超私事!葉月の『今日の出来事』

粗にして野、しかし卑にあらず。
お下劣大好き、お下品大嫌い!
オババの好き勝手な独り言。

ishikerijpさんへ (『千の風になって』へのコメントのお返事)

2007年02月13日 | 独り言
先日、亡くなったクラブの先輩の記事『千の風になって』を書きました。
とても気になるコメントをいただいて・・・・。
コメント欄にお返事を書いたのですが、
数日前の記事なので、私のコメントを読みに来てくださるか不安。
この記事も読んでくださるか、自信が無いのですが・・・・。


****************************************


はじめまして、こんにちは。
ishikerijpさんが、この返事を読んでくださるといいな、と願ってます。

ishikerijpさん、とても気になるコメントです。

『正直、死んでしまいたいといつも思いながら』

何かお辛い事でもあったのでしょうか・・・。
ishikerijpさんの背景がわからないので、軽々しくお返事することに戸惑いがありますが・・・。

ずいぶん以前のことになりますが、
わたくしも自身の生きる意味がわからずに悶々としたことがあります。
周囲が思うようにいかなくて、手首に包丁をもっていったことも。
それは、思春期というには遅い10代の終わりの時期でしたので
もしかすると大人への変遷期だったのかもしれません。(本人は真剣でした)



今、思うことは
「人は、自分の好むと好まざるに関わらず、誰かのために生きている」ということです。
私は特に何かを信仰しているわけではありませんが、
「命」の存在には”人知の及ばない大きな力”が関わっていると思います。
自分が今ここにいる事、それは自分の意思であって意思でない。(わかりづらくてごめんなさい)

「誰かの為」と書きましたが、特別大きなことを言っているつもりはありません。

昨日、電車の中で席を譲った妊婦さん。
今日、コンビニで買い物をしたときにぶつかって謝った人。
明日、社内でコーヒーを入れてあげるだろう上司。



毎日、どこかですれ違うであろう当たり前の人々の為に。




小さな子供の隣で添い寝をして、ふとその頬が自分の頬に触れた瞬間の幸せ感。
本屋さんで、落としてしまったお釣りを店員の方と大慌てで拾って、顔を見合わせて微笑みあったこと。
仕事で大ミスをしたときに、呑みに誘ってくれた知人。


ささやかで、気にもとめない様な日々の積み重ねです。



ishikerijpさんもそんな日常の中に生きてるのではないでしょうか?
日々の生活の中にこそ、意識しないことにこそ「幸せ」があるように思います。
激的な感情は日々の生活のアクセント。
アクセントは平凡があるからこそ彩られるものだと思います。


若くして病に犯され、短い命をうしなった私の先輩も、日常の生活の中に生きていたのだと思います。
彼女を悼み、またあの笑顔を見たいと願い、多くの人が涙を流しました。

失われていい命なんて一つも無いです。
ishikerijpさんが生きているだけで、生活しているだけで誰かが幸せなんだと思います。

この返事を書いて、私、今とても幸せです。
自分が漠然と感じていたことを、文章という「言霊」に載せて形に出来たから。
自分の気持ちを自分で確認できたから。
ishikerijpさんのお蔭です。
ありがとう。

また遊びに来てくださいね^^






コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アンチエイジングへのあくな... | トップ | 正しいバレンタインの過ごし方 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ishikerijp)
2007-02-14 22:48:50
ありがとう、葉月さん!
あなたの言う通りだと思います。
わかってはいるのです。
もっと謙虚に生きないといけないね。
返信する
ishikerijpさんへ (葉月)
2007-02-15 05:50:06
お返事ありがとうございます。

そうですよね、そうですよね。
頭ではわかっていても、心がついていかないときもありますよね。
私も同じです。


返信する

コメントを投稿