涙目筑前速報+

詰まるところは明日を知る。なだらかな日々につまずいて
向かうところはありもせず、未来の居場所だって未定―秋田ひろむ

明晰初夢

2012-01-09 05:26:09 | チラシの裏
今年も初夢を見た。
ここ数年初夢ってやつは結構な頻度で見ていたりする。
一昨年の初夢はどこのキングコングの西なんとかかえってくらいやったら感傷的な夢。
昨年の初夢はまんま『コブラ』のラグボール。
今年はどんなんが来るかなーと思ったら、内容は大したことなかった。
まあなんだったかっつうと所謂平々凡々な卓球の試合。2回戦目。
1回戦は何か相手が風邪ひいただか何だかで不戦勝だった。

もうありがちやなーって思った。
というのも、僕実際卓球部員でしたからね、高校時代。
うっせー暗いとかサーとか言ってんじゃねーよこちとら点が入った時は「よぉ!よぉ!」だったんだよ。
「サー」なんてね、あんなんお前ヒョロくて使えないよ?
使っていいのは女か金玉去勢したヤツだけ。

それこそおまえアレだ。当時の俺みたいにな。
クリスマス寸前まで半袖短パンの体育着で走り回っていて、テストの成績もクラストップ10内に入る文武両道イケメンモテスリムヤセマッチョにとっちゃ歯牙にもかけない掛け声なんだよ?
そしてアレだよ。ある意味この10番目くらいってのが味噌なんだよ?
秋元康だかがAKBのメンバー語る時なんぞで今っ更強調してる「クラスで1番よりも10番目くらいのどうたら」ってやつを僕は既にあの頃から実践してたんだよ?
もうその頃から偉大なる同志筑前さんは地域密着型だったんだよ?
それも男子校でだよ?ある意味勇気いるよ?
どうだまいったか。

まあいいやそんで夢の話だ。
で、もう2回戦目から入るんだけど、もうそん時には夢って分かったんです。
足音が一切してなかったし、視界も何やらモヤーってしてたもんだから、ピーンと来た。
うわ、来たよ。明晰夢来ちゃったよと。
で、相手はメガネかけてて、何か見覚えある。
多分1年の頃西部大会かなんかで2回戦行った時の相手だ。
名前は確か栗田だか粟田だかっつってた。
もうよう覚えとらんけどそんな感じだったと思う。
で、その時は流石に卓球初めたての僕が敵うはずもなく、ボコボコにされたんだよ。
その後メキメキ強くなって、筑前さんはリベンジを果たそうとするんだけど、再戦は叶わなかったわけだ。
その栗田だか粟田だかが今目の前に居る。
これはチャンスだぜと。
今こそ逆にボコボコにしてやるですぜよと。

で、1セット目は余裕でした。
もう6点くらいしか取らせなかった。
でも2セット目から僕の動きがある種こじんまりしてくるんだよ。
実はこれも定番だったんです。
あるじゃん、勝ってるとリスキーな動きを嫌って安易なプレーに走るパターン。
で、ワンパターンになってミス連発して自爆する流れ。

ちなみに僕はこの傾向を、後年になって「無敵艦隊症候群」と勝手に呼んでいるんである。
語源は2006年近辺のサッカースペイン代表。
なんかね、その頃のスペイン代表って、格下相手にも僅差で勝ってる時に安易なパス回しして自らピンチになる状況を作ってたんだよ。
で、ボールカットされて決められてうわーぎゃーとかなった挙句ホームで格下に引き分け(笑)みたいなお笑いを提供するっていう。

で、まあかく言う僕もその無敵艦隊症持ちだったりして、どうにも勝ってる時はリスクの無い方にリスクの無い方にってなっちゃう嫌いがあって、卓球に限らず結構苦汁を飲んだ事があるわけだ。
しかもこれって、その症状に気付いても、中々修正できないもんなんだよな。
前のセットでポコポコ決まってたスマッシュもドライブも入らない。
相手のドライブブロックしても返しやすい場所に行ってしまう。
もうね、こりゃあかんと。
諦めたら試合終了っていう言葉はあるし、そりゃその通りなんだけど、修正できない状況なんだもの。
こういう時は間を取って急ぎ過ぎなそのメンタルを落ち着かせることが必要なんだけど、それでも気休め程度にしかならねーし、相手流れに乗っちゃってると手がつけらんないからね。
そんで2セット目が逆にこっちが6点しか取れなくて惨敗。
気持ち切り替えて3セット目に突入すんだけど、やっぱり相手の方に分があるわけ。
気付いたら10‐16くらいで敗色濃厚なわけ。

ここで筑前さんはあんまやりたくなかった奥の手を使ったよね。
そう、明晰夢を使って結果を強制的に操作したわけだ。
そっからは凄かった。
『幽遊白書』における、蔵馬VS裏浦島戦で蔵馬が妖孤になった時くらいの一方的感。
最後の方は何かバズーカチャンネルみたいなスマッシュ出しちゃって、どこの『リベロの武田』なんだよって面持であった。
でも勝っても何か哀しいよな。
俺は自身の力で栗田だか粟田だかに勝ちたかったんだよ。
こんな「ドラゴンクォーター」のD-ダイブみてーなもん使って勝っても何ら嬉しくねーよな。
しかもこのD-ダイブ無制限に使えるんだよ。
これはない。絶対にない。
結局俺の中では栗田だか粟田に対して精神的に負け意識が残ってるんだな。
言い換えると、攻めの年にしていこうと考えている一方で何らかの抵抗感や不安感みたいなものが出ているのかもしれない。
よく分からんけど。


ちなみにその次の日に見た夢は前の職場の夢だった。
そこでももう仕事辞めてる俺にとっちゃ夢って分かるんだよな。
2日連続で明晰夢ってのは人生で初めてだと思う。
夢の内容は一言で言うと、理想的な職場って感じで、何とも哀しい夢だった。
なんつってもすげー皆仲良いの。
「不安感なんかどこにもない」みたいなそぶりで、仕事自体もごっつ落ち着いている。
ストレスを感じさせるような業務や人間関係なんぞ全くないって状況で、かと言って仕事サボっていかにもモラルハザード全開ってのも全くない。
皆穏やかな笑顔で楽しそうに仕事しておる。
こういう職場あったら積極的な社会参加もやぶさかではないって印象だった。
しかも俺が帰る時、上司から「頑張れよ」ってちょっと悲しそうに微笑まれた。
いや別に彼は死んでるわけでも何でもないんだけど、何かこれが最期の言葉みたく聞こえて来たりして何か哀しくなったよな。
そして起きた時、真っ先に『真説 ワールドイズマイン』を連想したね。
トシが言ってた荒唐無稽な要求。

「世に棲む生きとし生けるもの全てが、自由に、平和に平等に、美しく明るく楽しく暮らせる、幸運と善意と優しさと愛に満ちた世界を、要求する!」


この夢が、あのシーンで僕が思い描いた世界だったように思えてならない。
同時に、万が一あんな世界に僕が現実として身を置くようなことがあったら、僕は絶対ぶっ壊しにかかるんだろうなって思った。
いや「俺かっけー」とかそういうのではなくて、まあただの感情的なものなんだけども。
『論理哲学論考』にある「ハシゴを登りきったあとで、そのハシゴを外してしまわなければならない」ってな心境だった。
勿論ヴィトゲンシュタインは上記みたいな意図をもって使ったってことは無いんだろうけども。

人生やってる中で、「永続的に続く完全なる充足」ってのは得難いものだろうと思うわけだ。
多分10点満点中10点なんてそうそうあるわけないし、あっても時代が変わればまだ見ぬものや新たな興味によって移り変わっていったりするんじゃないか。
ただ、そこで感じたものを形にしてみたり、何故そう思うのかっつうのを掘り下げていくってのはとても大事な事なんだよと。
そういう意味では、ナンバガラストライブでの向井秀徳の言葉が凄いピンと来るんだよな。


歴史というものは、大変すばらしいもので、終わる歴史もあれば続いていく歴史がありますね。
そういった札幌の、私が影響を受けておるバンドの人たちはずーっとこう歴史が続いていってるわけですね。
その分こう重さを作品に表していっておるわけですね

そういう表現、歴史から発生する表現をされている方々です。
私もそういった自分の心の奥底から湧き出る、自分の歴史自分の思想・色んなものを全部ひっくるめてロックンロールに表したいと思って、そしてそういった先人たち、この札幌のすばらしいバンドたちのようになれればいいなと思ってやって参りました。



そんな感じで相変わらず年の初めに風邪こじらせて気だるい感じになりながら、奇妙な新年を迎え、無駄に考えていた筑前です。

新年あけましておめでとうございます。
関係者各位に於かれましては、本年もよろしくお願いいたします。
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