城犬のおいど

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武蔵国 由木城

2024-08-12 13:55:25 | 城館
武蔵国 由木城 <ユギジョウ>
別称柚木城・由木氏館・大石氏館
城郭種別城郭
縄張り平山城
築城者由木氏
築城年不明
廃城年不明
主な城主由木氏、長井氏、大石氏
指定史跡市指定
住所東京都八王子市下柚木
[Google] [地理院地図]
城址碑あり
現地案内板あり
スタンプ
現存建造物なし
復元建造物なし

概要
武州滝山城主大石源左衛門尉定久の居館があったといわれ、由木城とも呼ばれてる。
定久はのちに隠居し「心月斎(真月斎)」と名のり、この一帯100万㎡の広大な地を永林寺々領としたという。このあたり野猿峠までを殿ヶ谷戸というが、これは「往昔由木氏が旧跡なるゆえ、おのずから殿のあとという心にて殿ヶ谷戸と唱えて、村の小名に称すなり」と「武蔵名勝図会」に記されているとおり、由木氏の居住地でもあったと推定される。

総門

天文15年(1546年)建立。文禄4年に野火により焼失。宝暦元年(1758年)に再建される。1間薬医門切り妻造り銅板葺き。公卿格式10万石を徳川家康公により与えられた永林寺は、朱塗りの門と壁の5条線が許され、これより、由木の赤門と呼ばれている。総門は、文政11年(1828年)に八王子小町土佐棟梁により再大改修され現在に至る。
※現地看板より

三門

天文15年(1546年)建立。文禄4年に野火により焼失。寛文9年(1669年)相州藤原貞通棟梁により、再建3間1戸総円柱二階二重門入母屋造り銅版葺き。安永4年(1775年)12月に解体大改修され、その後昭和40年に大改修され現在に至る。三門上には、16羅漢木造を安置し、正面両側に仁王像を安置する。
三門とは、空門(一切を空と観ずる)無相門(迷いの煩悩を離れ悟りを得る)無願門(真実を悟り願求するところがない)三解脱門のことである。この三解脱を得て本堂に向かう大切な門である。
※現地看板より

中雀門(勅使門)


金峰山 永林寺

永林寺は、大石源左衛門尉定久公の居館(由木城)であったものを、定久公が滝山城主として滝山城に移るに至り、叔父である一種長純大和尚に譲り、天文元年(1532年)3月永鱗寺として創建された。その後八王子城主北条氏照公の助成を受けて天文15年七堂伽藍の完備された大寺院が完成された。天正15年後陽成天皇より勅願寺の綸旨を受け護国殿の勅額を受ける。天正19年9月徳川家康公が当寺に巡拝された折り、朱印10石、公卿格式10万石を授けられ、赤門の建立が許可された。又永鱗寺の鱗の文字を林に変え、現在の永林寺の寺名となり今日に至っている。又、当地域に10ヶ寺の末寺を有する、格地本寺寺院である。永林寺には、大石家丸に三つ星、北条家三つ鱗、天皇家菊、53の桐、徳川家三つ葉葵等五つ紋を有しており、往時を偲ぶ事が出来る。
※現地看板より







下馬


主郭

城址碑




2024/6訪問

周辺地図

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