・昭和44年3月27日(木)晴れ(アボリジニ達との最後の出会い)
今日こそシドニーへヒッチで行こうと決めていたので、7時に起きた。良く晴れていたので有難かった。出発する前、2日分の宿泊代を余計に払ってあったので、払い戻して貰おうと、マダムに頼んだが駄目であった。2度とダーウィンに来る可能性はゼロに近かったが、「又来た時にはここに泊めて下さい。」とお願いした。そうしたらマダムは「2日分はただで泊めさせて上げる。」と言ってくれた。ロンドンでも同じ様な台詞があった。
「それでは」と言ってゲスト・ハウスを去り、歩き出したら水筒(ペット・ボトル)を持って来るのを忘れ、取りに戻った。再び街をトボトボ歩いて郊外へ。その途中、仕事中に手を切ってしまい、お世話になった会社(Dalgety)の親切にしてくれた人が、車で向こうから遣って来た。私は気がついて手を振ったら、彼も手を振り走り去って行った。
太陽が照り付け、歩いているだけで暑かった。トボトボと街の中を歩いていたら向こうから止まってくれた車があったので、郊外まで乗せて貰った。降りた場所は、前(3月8日)にヒッチで南オーストラリア州へ行こうとしていた付近であった。静寂な大密林の中を1人で居るのは、怖かった。ここで30分過ぎたが、車は1台も通らなかった。
『弱ったなあ。前みたいにギブアップして引き返すなんて事は、今日はしたくない。』と思った。
『向こうからやって来る車に、必ず乗せて貰わなければ、次はいつ来るのか分らないのだ。手でヒッチの合図をするのではなく、ドライバーからも分かり易い様に、日の丸の旗を振ってヒッチ合図をしよう。』と思い、リュックからそれを取り出そうとしたら、向こうから1台やって来た。手で大きくヒッチ合図をしたら、グッグとその車を手元に引き寄せる事が出来た。
暑かったので有り難かった。密林の中をこの乗用車でいっきにPine Creek(パイン・クリーク)まで約156マイル(250km)乗った。ちょうど降りた所がパブとホテルの2つで1つの建物前で降り、その中年男性ドライバーからビールと昼飯をおごって貰った。そこで彼と別れた。前半は順調であった。パイン・クリークは、私が持参している地図上に小さく地名が書いてあるが、このパブと隣のガソリン・スタンドがあるだけで、周りは大密林の所であった。しかし、ドライバーにとってはこんな所でもオアシスなのであった。
午後1時30分、再びパブ前からヒッチを開始し、30分後に2台目の車に乗せて貰った。従ってヒッチ率は良かった。しかし炎天下のヒッチは30分でもきつかった。この車で64マイル(102km)、Katherine(キャサリン)と言う町まで遣って来た。地図上にも載っているキャサリンは、南オーストラリアと西オーストラリアを結ぶ重要な交通の要所であった。ここでヒッチしようと2時間以上待ったが、車が走って来ず、全く駄目であった。既に午後5時を過ぎていたので、この町で野宿する事に決めた。
町には人っ子1人見当たらず、車も走ってなかった。あたかもアメリカ西部劇の『真昼の決闘』に出て来る様な侘しい雰囲気が漂っている町であった。そんな小さな町の郵便局前で座って、暗くなる時間が過ぎるのを待った。するとアボリジニが遣って来て、私に話し掛けて来た。彼は22歳と言うが、顔が真っ黒、アボリジニの年齢は分かりづらく、年齢より大分老けて見えた。私が日本人である事が分ると、彼は日本人と文通をしていると言うのであった。『ホントカヨー。もし本当なら、その日本人はかわいそう。よりによってアボリジニと。』と独り言。その彼が、「10セント持っているか、それでビールを飲みに行こう。」と言うのであった。今会ったばかりなのにたかる様な事を言って、変な奴だなと思った。私は「持っていない。」と言った。
その場所でタバコを吸っていると、いつの間にか何処からともなく6~7人のアボリジニが遣って来て、彼等に取り囲まれてしまった。そして、「タバコが吸いたい、タバコをくれ。」と欲求するのであった。人食い土人(今ではこの様な表現は好ましくない)の様な顔をした原住民アボリジニ7人に取り囲まれ、怖い感じがした。同じ部屋に居たアボリジニに首を絞められそうになった件もあるので、『何をされるか分らない、ここは触る神に祟りなし。』と言う事で、タバコぐらいで命を落としたくなかったので、彼等に1本ずつ渡した。そして最初に話し掛けて来た若いアボリジニを促し、せっせとパブへ行った。
店にはまだ誰も居なかった。私は彼に12セント渡し、彼が小ジョッキのビールを注文した。私が最初に一口飲み、後は全部、彼が飲んだ。おごって貰って満足したのか、彼は悠然とパブから去って行った。その後、私はここで夕食をして、今日の日記を書いた。それにしても変なアボリジニ達であったが、オーストラリア滞在中、アボリジニを見たのが最後になった。
今夜は何処で寝ようか、気掛かりがあったが、寒くないので何処でも良かった。ただ蚊に悩まされなければ、と思った。夜、キャサリンの表通り(裏通りなんてないけど)、確か洋品店だと思うが、その店の前で寝た。寝袋は持ってなかった。夜の9時か10時頃、ポリス2人が遣って来て、起されてしまった。
「ここで寝ていては駄目だ。良い場所があるので、そこへ連れて行ってやるからパトカーに乗りなさい。」と言われ、仕方なくパトカーに乗った。何処へ連れて行ってくれるのか、「グッド・プレイス」とポリスは言っていたので、通りの軒下より良い場所であろうと期待した。所が、連れて行かれた場所は通りの裏の方にあるボクシング練習用のリングであった。確かにリング上は硬くないし、屋根もあった。しかしその周りは、木々が生い茂り、草ボウボウの藪の中でガッカリした。
「ここは駄目だ。蚊がたくさん出る。蚊に襲われて眠れないよ。警察の牢屋に寝かせて下さい。そちらの方がまだ良いです。」と私。
「牢屋は悪い事をした人を閉じ込める所だ。君は何も悪い事をしていないよ。」とポリス。
「『通りに寝ていた』と言う悪い事をしていたので、私をここに連れて来たのでしょう。」
「そう言う訳ではないが、牢屋に泊める事は出来ないし、通りで寝る事も駄目だ。それに危険な目に遇うかもしれない。ここはグッド・プレイスだ。モスキトー(蚊)は大丈夫、心配ない。だからここで1夜明かしなさい。」と最後は命令口調で言って、ポリス2人はパトカーに乗り、走り去ってしまった。
仕方なくリング上で寝る事にした。遠くの外灯の明かりで、真っ暗ではなかった。周りは、草や木々が生い茂る藪の中で案の定、直ぐ『ブーン』と言う音と共に蚊が襲って来た。直ちに野宿用にダーウィンで買った日本製の金鳥蚊取り線香を取り出し、私の周りをその蚊取り線香4個で蚊の攻撃から防御した。効果はあったが、それで100%防御出来るものではなかった。それなりに悩まされたが、いつの間にか寝てしまった。
今日のヒッチ距離は、220マイル(352km)であった。ダーウィン~シドニー間は2,554マイル(4,086km)―220=後2,334マイル(3,734km)だ。シドニーは遥か遠い空のかなたであった。シドニーへ進んだ確率は8.6%
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