中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

朝比奈隆が大学センター試験問題に!!!

2018年02月07日 09時40分58秒 | 日記
小澤征爾さんについての取材で、新日本フィルの創立当初からマネージャー、のちには楽団主幹として小澤さんを支えた松原千代繁さんに取材!
場所はサントリーホール前のフレンチ。

松原さんには、「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」でもお世話になった。その出版の際には、麻布などのバーでご馳走にもなっていました。おしゃれで、凄く頭の回転の知識もある方である。
中公文庫になってから、そういえばゆっくりお話しもしていなかったわけで、文庫を持参しました!

すると、「今年の大学センター試験で、朝比奈さんの問題が出たのよ」とおっしゃるではないか!!!
「問題は、朝比奈隆とハルビン交響楽団について述べよ、だった」
「え!!!!」
日本史の問題なのか、センター試験にうといわたしは、わからず、叫んでしまった。
「そういう 時代になったのよ」
歴史のなかで生き残り、戦争中に日本が支配した上海の交響楽団の指揮者として、軍部にとりたてられて向かった朝比奈さん。ーー
この本は、ご本人にも十数回にわたって取材。
ー日の丸を背負っていきましたよ!!
といっていた。
そもそもー朝比奈が大陸に向かったには、上海交響楽団にとりたてれることになったからだ。ー面白いから是非この本を読んでほしい。織田作之助賞もいただきましたよ!

上海に朝比奈を推薦したのは陸軍将校の中川牧三だった。

中川さんは京都出身、わたしがお目にかかったときは90歳を超えていたのか、いないのか。ー背の高いかっこいいオジサマであった。モテてモテてしかたがなく、何回結婚したのだろうか、、、という音楽家である。声楽家で、イタリア留学もしていたから語学も得意。
かれが朝比奈をとりたてたのは、 「 日本人離れした体型と、顔つき、性格的にも鷹揚で、外国人楽員の心をぐっと掴める指揮者だから、わたしの一存で決めた」
ボロボロのホームレスのような格好で上海に着いた朝比奈だったらしい。
中川先生の話も実に面白いので、本文をーどうぞ!!!

さらにその後、朝比奈は高給が出る満州のハルビン交響楽団の指揮者へ。
そこでは、関東大震災で大杉栄を虐殺した甘粕正彦が、復権していた。
ー李香蘭と、ぼくが、甘粕さんの両手に華、というか。
と、朝比奈さんは愉快そうに語ったものだった。


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1 コメント

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朝比奈隆とセンター試験 (のぶのぶ)
2018-02-09 01:54:35
朝比奈先生の記述は、センター試験世界史BP.46
第4問C文にあります。シュテルン氏についての文章です。
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