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デンカの宝刀(弁護士・不動産鑑定士・大東流合気武道教授代理の資格三冠王)

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昭和50年代の「中大法学部 vs 東大法学部」(その4:各論③ 刑法)

2023年06月25日 | 中央大学

昭和50年代の東大法学部

刑法講座は、やや混乱していた

 

それは、あの天才と言われ、

団藤重光先生の筆頭後継者であった

藤木英雄先生(東大卒)が

1977年(昭和52年)に45歳という

若さで亡くなってしまったからだ。

藤木先生は、

 ①司法試験、②国家公務員上級(法律職)

 試験、③東大法学部での成績の

 3つの試験で首席を取ったと言われる。)

 

「刑法講義 総論・各論」

 藤木英雄 著(弘文堂)

 

藤木教授が亡くなり、同教授が

担当していた講座を急遽、

平野龍一教授(東大卒)が代講する

ことになったのだが、

行為無価値論の立場から実質的犯罪論

取るかのような藤木教授から、

結果無価値論の総帥かつ団藤説の破壊者

である平野教授に代わったことで、

同講座を受講する学生たちは、

少なからず混乱したようだ。

そして、1978年(昭和53年)、

藤木教授の代わりに、

○○人事によって(?)

内藤謙教授(東大卒)が都立大学から

移籍してこられた。

そんな感じで、それ以後は、

刑法1部(刑法総論)を内藤謙教授担当、

刑法2部(刑法各論)を平野龍一教授担当の

ような形になった。

内藤教授は、団藤先生の門下生であった

 はずなのだが、平野教授が提唱した

 結果無価値論に転向(?)し、

 転向したどころか、結果無価値論

 より徹底させるという方向に行ったため

 平野教授の覚えはめでたかったか?

 とにかく、内藤教授の就任によって、

 団藤説、藤木説、そして行為無価値論

 が東大から駆逐された。)

 

ただ、当時、平野教授が有斐閣から出されて

いた「刑法総論Ⅰ・Ⅱ」「犯罪論の諸問題

(上)・(下)」や、

同教授が東大出版会から出されていた

「刑法概説」「刑法の基礎」などの著作は

あったものの、

 

「犯罪論の諸問題(上)」

 平野龍一 著(有斐閣)

 

「刑法概説」平野龍一 著

(東京大学出版会)

 

現役の東大教授で刑法の本格的な基本書

を書かれていた方はおらず、また、

司法試験受験界では、まだ、それほど

結果無価値論が盛んではなかったため、

司法試験を受験する東大生の多くは、

刑法総論は、団藤重光「刑法綱要総論」

大塚仁「刑法概説(総論)」を使用し、

刑法各論大塚仁「刑法概説(各論)」

使用するというパターンか(団藤先生は

東大を引退し、

大塚教授(中大中退、東大卒)は、ずっと

名古屋大学教授だった)、

あるいは、

亡くなった藤木教授の「刑法講義総論」

「刑法講義各論」を使用するというパターン

のどちらかというのが多かった。

藤木教授のものを使用する人は

 年々少なくなっていった。

 昭和50年代司法試験受験生にとって

 刑法の基本書と言えば、原則的には、

 まずは大塚「刑法概説(総論)」

 「同(各論)」で、

 特に各論は、大塚「刑法概説(各論)」

 が、民法の四宮「民法総則」並みの

 鉄板であった。

 なお、大塚仁先生は、最終学歴が

 東大法学部卒になっているが、

 中大法学部にも2年生まで在籍しており、

 (大学2年次に学徒出陣し、戦後、

  東大に入り直した)

 中大法学部のOBであると言えないこと

 もない。)

 

つまり、

大学の講義や試験は結果無価値論だが、

司法試験行為無価値論という二刀流

演じていた東大生が多かった。

 

中大法学部では、八木國之教授(中大卒)

下村康正教授(中大卒)が2枚看板で

あった。

ほかに、桜木澄和教授(中大卒)、

斎藤信治助教授(中大卒)などが

おられた。

 

「法学演習講座 刑法総論・各論」

 下村康正八木國之 編

(法学書院)

 

刑法1部は総論、刑法2部は各論であり、

いずれも3年生以降の受講なので、どの教授に

するかは自由に選択できた。

私は、大学3年時に下村教授の刑法1部

4年時に桜木教授の刑法2部を受講した。

本来なら刑法2部下村教授の講座を受講

したかったのであるが、そのとき、たまたま

下村教授が刑法2部を担当されなかったか、

私の別の講座の受講の関係で受講できなかった

か、どちらかだと思う(よく覚えてない)。

 

八木教授は、講義要項で、主観主義の立場を

明確にされておられたので、最初から、

受講候補には入れてなかった。

八木教授は、牧野英一(元東京帝大教授)、

 木村亀二(元東北大学教授)らの亡き後、

 日本の刑法学における主観主義の最後の

 旗頭だった。)

下村教授は、構成要件理論を採らず、

行為論の立場から刑法を講ぜられた。

下村教授は、話がうまく、人気も抜群で

大教室がいつも満杯だった。

(以前に刑事訴訟法の司法試験委員だった

 こともあった。

 下村教授は、当時は、現役の司法試験委員

 ではなかったので、司法試験の裏話なども

 色々と聞かせていただいた。)

下村教授の刑法ゼミは、難関のゼミ試験に

合格する必要があったが、私は、なんとか

合格をいただき大学4年のときに、

下村ゼミのゼミ員になることができた。

(私の学年の卒業総代(首席卒業)は、

 同じ下村ゼミの仲間だった。)

 

当時、中大法学部教授で、本格的な刑法の

基本書を書かれている方はおられなかったので、

司法試験を受験する中大生は、東大生と同じく、

刑法総論は、団藤「刑法綱要総論」

大塚「刑法概説(総論)」

刑法各論大塚「刑法概説(各論)」を使用

していた。

私は、これらの基本書だけでなく、

下村教授の代表的著書である

「犯罪論の基本的思想」

「続 犯罪論の基本的思想」

下村教授が通信教育課程の教科書として

書いていた「刑法1部」「刑法2部」

なども読んでいた。

 

「続 犯罪論の基本的思想」

 下村康正 著(成文堂)

 

つまり、

大学の講義や試験は主観説だが(八木

教授の講義を受講している場合)、

司法試験客観説とか、

大学の講義や試験は行為論だが(下村

教授の講義を受講している場合)、

司法試験構成要件論という二刀流

演じていた中大生が多かった。

(ただ、後年、司法試験の受験にあたって、

 私は結果無価値論に立つ前田雅英先生の

 基本書を使用したが、

 下村先生の行為論に符合するところが

 多かった。

 司法試験合格後に、下村先生が昭和50年代

 に書かれた「ポイント法律学刑法総論」

 読んでみたら、「行為無価値・結果無価値」

 のところで、「現実に刑法は『・・・・・・シタル

 者』と規定して、結果の発生を行為の要件、

 つまりは犯罪成立の要件としているから、

 結果無価値論の立場が尊重されなければ

 ならない。」と書いてあったので、

 「なんだそうだったんだ~」と思った。)

 

「ポイント法律学 刑法総論・刑法各論」

 下村康正 著(北樹出版)

 

当時は、東大生も中大生も、

大学の講義や学年末試験での刑法学説の選択と

司法試験や公務員試験での刑法学説の選択を

うまく使い分け、刑法という科目に関しては

二刀流を演じていたということになる。

 

 

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