貴乃花
お母ちゃん、見物やったのに~~~お母ちゃん、出廷しませんから
あの汚い世界を、お母ちゃん「ぶちまける!」と期待してたのにな。
ほな相撲嫌いのわしが、教えて進ぜよう。
相撲のルーツからの話になるから、ちょいと面倒や
超端的に言うと、昔は、神事に伴う行事として行われたのが最初!といわれてるようやな。
だいたい漢字の専門用語の多いのには、歴史も深いちゅうのが、日本の文化や。
デカイ
連中が、裸に近いふんどし一丁で、それも人前で倒し合いをするわけやで。普通の常識では「ありえへん」ことやろ。
それをわざわざさせた!ちゅうことは、よっぽど「娯楽」や「楽しみ」がなかったに違いない。←あくまでも、わしの「仮説」
それこそ、文楽やら歌舞伎ちゅう「古典芸能」「古典文化」=『伝統』と名の付く芸能や文化の一つやろ。
とてもスポーツ競技ではない、ただ肥えた奴等が人前で裸踊りじみた、押し合いをしてるだけのことや。
そこにまた「芸」があったから、いまのいままで継続できてきた。
これが本当の格闘技・スポーツなら、遠の昔に廃ってしまってるわい。
「芸」やから、見るのにも「桟敷」があり、酒を飲みながら、弁当を食らいながら、座布団を投げるんや。
真剣勝負の場で、誰が酒を飲み、まずい弁当を食う?
どうでもええ手ぬぐいや湯のみを土産に、男の真剣勝負を見る奴もおらんやろ。
「芸」やから、あれでええんや。
ちゅうことは、八百長と違うんやな
すべて筋書きかあり、今場所は誰と誰に優勝争いをさせ、誰が優勝~するか決まってる。
客入りの淋しいときは、最後の千秋楽までお客を引っ張っておいて「優勝決定戦」ってなとこまで引っ張る。
八百長以外でできる?こんなこと。
でも「芸」やから、八百長ではない
んやて。
そら裸で人前で踊らされてる連中や、何をしようとも「恥」もなきゃ~「外聞」もないわい。
全ての結果は「ごっちゃん!」の『お金』で終わりや。
とてもわかりやすいやん。
スポーツや本当の格闘技なら違うな。
見るほうも真剣や、手に汗にぎり、飲み食いなんてもってのほかや。
ちゃらけた、あの長い間・・・・・・・塩をぎょうさんふりかけ、お清めには見えないあのブタ塩投げ。これまた「塩芸」やから、伝統と思いかんにんしてやってくれ。
いまの相撲はその程度やから、わしゃ大嫌いなんや。
本当に「プロスポーツ」としてやるんやったら、真剣にやったらええ。
ほな応援もするし、ケナシたり、いじめたりせえへんのに。
鍛え上げた「男と男」が、真剣に闘うと、見てる側にも伝わるものが違うわい。
ただのデブッたブヨブヨ同士が、じゃれ合い・馴れ合いの土俵に上がっても、一向に感動もせんわい。
いまの横綱共は、真剣に金儲けしに日本にきてるし。
これまた「芸」+「欲」=モンゴルやな。
裏を返せば、たいしたもんよ。
あいつらくらい、真剣に「金儲け」に徹するのも、ある意味『プロ』よ。
貴乃花や若乃花のオヤジの時代には、もっともっときつい「八百長」があったに違いない。
七勝七敗の奴が、千秋楽で負けたことがない
角番の大関は、勝ち越す
きわどい力士同士のときは、金持ちの部屋が勝つ
そうして「伝統」やら「芸」を育んできたんや。
こいつらはその程度の団体よ、本当の意味でのスポーツマンではない。
協会ってな「欲の固まり」があり、世間知らずで、脳ミソが全部脂肪の生意気な馬鹿共が音頭を取ってる。
いまの日本の国会に似てる組織図やな。
「誠心誠意」やるんやったら、本気でやって欲しいわ。
これからも継続・継承するなら、スポーツ競技として『プロ』を作れ。
それができひんねんやったら、いままで通り「八百長芸」でもやって、酒飲みの客に、裸踊りでも見せとけ


あの汚い世界を、お母ちゃん「ぶちまける!」と期待してたのにな。
ほな相撲嫌いのわしが、教えて進ぜよう。
相撲のルーツからの話になるから、ちょいと面倒や

超端的に言うと、昔は、神事に伴う行事として行われたのが最初!といわれてるようやな。
だいたい漢字の専門用語の多いのには、歴史も深いちゅうのが、日本の文化や。
デカイ

それをわざわざさせた!ちゅうことは、よっぽど「娯楽」や「楽しみ」がなかったに違いない。←あくまでも、わしの「仮説」

それこそ、文楽やら歌舞伎ちゅう「古典芸能」「古典文化」=『伝統』と名の付く芸能や文化の一つやろ。
とてもスポーツ競技ではない、ただ肥えた奴等が人前で裸踊りじみた、押し合いをしてるだけのことや。
そこにまた「芸」があったから、いまのいままで継続できてきた。
これが本当の格闘技・スポーツなら、遠の昔に廃ってしまってるわい。
「芸」やから、見るのにも「桟敷」があり、酒を飲みながら、弁当を食らいながら、座布団を投げるんや。
真剣勝負の場で、誰が酒を飲み、まずい弁当を食う?
どうでもええ手ぬぐいや湯のみを土産に、男の真剣勝負を見る奴もおらんやろ。
「芸」やから、あれでええんや。
ちゅうことは、八百長と違うんやな

すべて筋書きかあり、今場所は誰と誰に優勝争いをさせ、誰が優勝~するか決まってる。
客入りの淋しいときは、最後の千秋楽までお客を引っ張っておいて「優勝決定戦」ってなとこまで引っ張る。

でも「芸」やから、八百長ではない

そら裸で人前で踊らされてる連中や、何をしようとも「恥」もなきゃ~「外聞」もないわい。
全ての結果は「ごっちゃん!」の『お金』で終わりや。

スポーツや本当の格闘技なら違うな。
見るほうも真剣や、手に汗にぎり、飲み食いなんてもってのほかや。
ちゃらけた、あの長い間・・・・・・・塩をぎょうさんふりかけ、お清めには見えないあのブタ塩投げ。これまた「塩芸」やから、伝統と思いかんにんしてやってくれ。
いまの相撲はその程度やから、わしゃ大嫌いなんや。
本当に「プロスポーツ」としてやるんやったら、真剣にやったらええ。
ほな応援もするし、ケナシたり、いじめたりせえへんのに。
鍛え上げた「男と男」が、真剣に闘うと、見てる側にも伝わるものが違うわい。
ただのデブッたブヨブヨ同士が、じゃれ合い・馴れ合いの土俵に上がっても、一向に感動もせんわい。
いまの横綱共は、真剣に金儲けしに日本にきてるし。
これまた「芸」+「欲」=モンゴルやな。
裏を返せば、たいしたもんよ。
あいつらくらい、真剣に「金儲け」に徹するのも、ある意味『プロ』よ。
貴乃花や若乃花のオヤジの時代には、もっともっときつい「八百長」があったに違いない。
七勝七敗の奴が、千秋楽で負けたことがない

角番の大関は、勝ち越す

きわどい力士同士のときは、金持ちの部屋が勝つ

そうして「伝統」やら「芸」を育んできたんや。
こいつらはその程度の団体よ、本当の意味でのスポーツマンではない。
協会ってな「欲の固まり」があり、世間知らずで、脳ミソが全部脂肪の生意気な馬鹿共が音頭を取ってる。

いまの日本の国会に似てる組織図やな。
「誠心誠意」やるんやったら、本気でやって欲しいわ。
これからも継続・継承するなら、スポーツ競技として『プロ』を作れ。
それができひんねんやったら、いままで通り「八百長芸」でもやって、酒飲みの客に、裸踊りでも見せとけ

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