なあんおばはんの日常

母親との同居

私の母は、所謂、毒親です。
なのに、引き取ってしまいました。


わたしは、
馬鹿です。大馬鹿者です。




そのことを
忘れていたわけではありません。


なのに、不思議なことに
今回、同居するにあたって
母に対して、
憎しみが無かったのです。


ずっと長年、母のことは
なるべく避けていたというのに。




母も随分年を取ったので
少しはマシになったりしてるかな、
なんて思ったのですが、

全く、変わっていませんでした。

相変わらず、
私に対して非道なことを平気で言います。
そのくせ、常に自分が被害者なのです。

私は母の毒のおかげで、
ダイエットができそうです。
母が毒を吐くたびに
胃が痛いし
吐き気がします。


私がどう対処するかが、
きっと本件の課題なのでしょう。



いちいち母の言うことを
間に受けたら、
間違いなく、母の毒に当たって
私の脳は今月中に、
きっと、また壊れるでしょう。

または、片頭痛?

あの片頭痛は、
激痛は、
....避けたいです。


なんとしても、
自分で自分を守るために

対策プランを立てることにします。


む、難しい。


まず、たまたま見つけた下記サイトで
私の母が毒親かどうかを確認しました。


しっかり、当てはまりました。
母は、毒親でした。

毒親に、どう対応するか。。

とうとう、私の迷路も出口に
近づいてきたようです。

ラスボスは、

母だったようです。

ここで、真の意味で

母の存在を克服?

理解?することで、

私は前に進むことができるのでしょうか。


ちなみに、
母はまだまだ長生きしそうです。
私の方が先に死ねたら、ラッキー?

でも、
そういうわけにも、いかないようです。



母がアルツハイマーや認知症になったら
もっと過酷なことになりそうです。

いつそうなるかもわかりませんが、
今はまだそこまでは、進行してないから、
ありがたいことです。


この数日間、
何十年ぶりかで、
母と一緒に暮らしていますが、

母を見ていると、
人は、何のために生きるのか、と、
ふと考えてしまいます。


私は、母のような生き方は
したくありません。

彼女は、
自分のこと以外のことを
考えるということを
長年放棄しています。
というか、欠落しています。

自分以外のことには
本気できちんと
向き合うことをしない、
できない、理解不能なので、

元々、そういう能力を
持っていなかったのかも
しれません。

82歳の現在も
未だに彼女は口を開くと
常に、愚痴や悪口や、文句と
不安や、ネガティブなことばかりです。
ポジティブ要素が非常に少ないです。

子供の頃から、母は私に
呪いをかけていました。

あんたは幸せになんかなれない、
いつかとんでもない酷い目にあう、
ここはあんたの家じゃない、
お母さんの家だ!

とかね。

わたしからしたら、
母がなんで
そんなことばかり言うのかが、
もはや、なぞでしたが、

母は、母にとって都合よく
思い通りにならない私を
脅してでも、言いなりになる所有物にしたかったのでしょう。

母の異常な過干渉の原因は
共依存願望だったのかもしれません。


常に、自分のみ。
自分だけが大事なのです。


一体、どうしたら
そんな生き方が平気でできるのか、
わたしには全く理解できません。


父が亡くなった時も
弟が死んだ時も

母は一人で悲劇のヒロインに
なって、なにもしませんでした。

父のお葬式でも、
弟のお葬式でも、
私は、故人への悲しみよりも
母の存在が重荷であり負担であり、
迷惑でした。

常に自分のみなので、
自分が悲しい時は、なにもしないで
その悲しみに浸っていれば、
周囲に迷惑がかかろうが、
どうでもいいのです。

1番の犠牲者は


私??



NO です。

1番の犠牲者は、

きっと母、本人です。

彼女は、今のままなら、
きっと死ぬまで
そのことにすら、気づかないでしょう。


ところで、
当然ながら、
母には仲の良い友人は一人もいません。

母は友人を必要としていません。

私が友人を作ると、
友人なんか作るな、
友人とは会うな、なんて
意味不明なことを本気で言ってました。

彼女は、
子供は産んだけど
親にはなりませんでした。
結婚したけど
妻にも、母親にも
家族の一員にも、
なりませんでした。

家族の世話をしたり
家事をやったのは、
自分の居場所を確保するための手段
だったようです。


家族への
他者への

真の愛情は

彼女には、ありません。




だから、かはわかりませんが、
彼女の夫も、息子も
さっさとこの世を去って行きました。

私は父や弟に、母を押しつけられて
しまいました。

残念ながら、
私はそういう役割を選んで
生まれてきたのでしょう。

これからが、
正念場なのだと思います。

考えて考えて、
立ち向かいます。


考えることをやめたら、
人はもう、人間じゃなくなるのかも
知れません。

母は、もうとっくに
人間をやめているのだ、と
私は気づかされました。

生きているだけ。

だとしたら、そんな存在に

いちいち傷つくのは

自分が馬鹿過ぎます。


今の私の強い味方は、
スリーグッドシングスと
そしてフィードバック。


そして、

ダンナと息子と友人たち。

私は一人じゃない。



いつも、一緒に助け合える
人たちがいてくれる。

私は幸せ者です。

だって、

私はもう、一人じゃない。

いま、そう思えるからこそ、
わたしは今、あの母を引き取ることが、
出来たのかもしれません。


みんな、私と出会ってくれて、
ありがとう。



わたしはきっと、大丈夫。







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