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-意気天を衝き、人を圧する藤田東湖の風情-(GHQ焚書図書開封 第151回)

2021-09-10 04:14:21 | 近現代史

GHQ焚書図書開封 第151回

-意気天を衝き、人を圧する藤田東湖の風情-

『弘道館記』『弘道館記述義』は『新論』と並んで明治維新を引き起こした原動力となった思想について述べている。

 特に、東湖は西郷隆盛を指導したことで知られている。

東湖は、鮫島庄三郎を智、西郷隆盛を勇、津田山三郎を仁の人と評価している。

 道半ばにして、安政の大地震で母親を守って東湖自身は圧死した。(享年50歳)

 吉備真備と阿倍仲麻呂を悪く言い、本地垂迹説を批判した。

 

 俗儒曲学 舎此従彼

 臣彪謹んで案ずるに、神聖の基を建てたふや、仁厚威武、固よりすでに宇内に冠絶せり、その文物の盛んなるごときは、頗る李唐に倣傚せり。ここに於いて、遣唐・留学・史に筆を絶たず。博物・詞藻・その人に乏しからず。然れども利の在るところ、弊もまたこれに随い、俗儒曲学、その好むところに阿り、此れを捨てて彼に従い、而して「人に取りて義をなす」の美意。荒めり。世の古を談ずる者は、博物に於ては必ず吉備真備を称し、詞藻に於ては必ず安倍仲麻呂を称す。臣を以てこれを観るに、俗儒曲学、此れを捨てて彼に従ふ者、未だ必ずしも二人の者これがをなさすんばあらず。すなわちその才学は多しといえども、またなんぞ以てなさん。・・・梵経は内典たり。儒書は外典たり。・・・耳目熟してその非を悟らず。甚だしきはすなわち夷を以って自から処り、・・・然りといへども、二人もまた神明に生れ、聖賢の書を読めり、・・・水戸藩藤田寅之助を訪ふ。此の人久しく名を聞く、・・・その頃常陸土浦藩に勤王の熱血漢佐久間東雄がゐた。東湖は或時東雄を訪れて・・・西郷南洲と東湖とは・・・・有村俊齊であった。・・・森有礼の如きは日本語を廃止して日本国民に日本史を教えず、世界史を翻訳して教科書とした程であった。・・・西郷は東上するや間もなく単身漂然と東湖の門を叩いて、・・・君と子との知ること未だ浅いに拘わらず、君は如何にして予が三徳を兼備するを知ってゐるか。

 参考文献:「水戸學」今井宇三郎、瀬谷義彦、尾藤正英 「藤田東湖の生涯と思想」大野愼

2017/11/08に公開

 



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