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N`s日記

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教える、伝える、わかる(理解する)、ひらめく。

2025年02月27日 | Weblog
教える。伝える。わかる(理解する)。ひらめく
これらは、私の中では、これらすべてが「学ぶこと」につながると感じている。

Aという事象を伝えるには、いろいろな方法がある。
たとえば文章を読む。書く。計算する。などいろいろである。

そこで、その結果として「A」と事象を理解する。

「A」という事象は、本や指導者、PCなどの人や道具を使用して、「A」という事象がその人の脳の中で再構築されて、意味をなしたときに初めて「わかる」{理解する」などの現象に至ると思う。

たとえば「B」氏の頭の中にあるイメージが,「C」氏の中に同じイメージが認知され、再現された時が、「B」氏の考えが「C」氏に伝わった瞬間である。

つまり「学ぶ」ということは、「他者」に「そのイメージが認知された瞬間」が「わかった」につながるのではないかと常々思っている。

次に重要なのは、その「情報」の伝え方だ。
「情報」を伝えるには、たぶんいくつかの条件が必要だ。

たとえば、伝える相手のパーソナリティがどんなパーソナリティかを見極めることは、この先の「教える」「学ぶ」の効率に大きな影響を与える。

たとえば、厳しくイメージを伝えるほうが「伝わりやすい人」もいる。また一方では「かみ砕いて」やさしくおしえる方が、脳の中にイメージしやすい人もいる。そのいずれでもない人もいる。
「教える側」は、そのことをよく理解しなければ、「相手の脳の中」にイメージを伝えられない。

これは、簡単なことではない。しかしこれが「教育」ということなのだろう。

人は、「ある一瞬に理解する」
その一瞬のために、「様々な方法・方略」を教える側は持つ必要がある。

・相手またはグループなどのパーソナリティをよくよく考え、見抜く必要がある。
・方略を考える。
 どの方法がベストか。
・理解できたか「伝わったかを検証する」

これらが、人を成長させる。・・・・・・

私はよくこのことを簡単に「自分の頭の中にあるもの」を相手に「コピー」できたかどうかだと思っている。
ちょうど遺伝子の転写のようなものだと思っている。

したがってエラー時には、大きな問題になることもある。

「何かを伝える側」は、そのことの重大性も認識しないといけないとも思う。






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