私想うんです、この世を去るとき、後に残す人に、笑顔で思い出して欲しいと。
母が若くしてなくなったとき、母の悲しく辛い人生より、母が残した、天真爛漫の笑顔を思い出すんです。
辛い時は、その笑顔に、どんなにか救われ、励まされ、淋しさが吹っ飛んでいきました。
だから、子ども達にも、満悦の笑顔を残してあげたいと想ってます!
果てしない
苦しみ
悲しみ
辛さ・・
そういうものを体験することは
意味のない事ではないとも
思っています。
世の中、人生、無駄なんて一つもないと想います。
それを理解するのに時間はかかりますけど。
母の死を 私は受け入れることが出来ませんでした。
神も仏も無いもんだと 、憎くてならなかった!
何故?何故?と答えの見つからない問いを投げかけて生きていました。
20年以上経っても、母の死を涙流さずに想う事は出来ませんでした。
そして、30年経ったこのごろ想うんです。
この30年に、出逢い、起こった全ての事を経験する為に、母は、私の前から去ったのかもしれないと。
母は、小さい田舎町の商家に生まれ育ち、兄弟と同じく、東京の大学に行く予定でしたが、
戦争で、そのチャンスを失い、親の言いなりに、見合い結婚し、隣町に嫁ぎ、不幸な結婚生活をしたあげく、
日の目を見る事無く、若い命を亡くしました。
夢も、能力も、大きな器も備えた人でしたが、それを生かす事無く人生が閉ざされました。
そんな母の、自由で、叶えたかった夢、見 たかった世界を、
母は、私を通して、叶えたかったのかもしれないと。
なんて大した事を成したではないですが、
いろんな人と出逢い、気持を分かち合い、いろんな文化を学べた事は大きいかと想います。
正しいと想う事は何でもやってきた。
もし私の中に母が生きたとしたら、きっと、楽しかったんじゃないかしら。
そんなふうに想うと、これからも、最後まで、しっかり生きなくっちゃとおもうんです。
人の思いは
どこの人であろうとも
そんなには違わないだろうと・・
私はそう想っています。
心を開いて、向き合えば、基本的な所で、きっと通じるものがあると信じて生きています。
笑顔や挨拶に反応する事も其の一つ!
まだまだ、希望は失っていま せんよ!
いまだに
明日に向かえない想いっていうのも
抱えてしまうのも自然の事だと想います。
過去の想いを否定したり、捨てたり、忘れたりする必要は無いと想うんです。
ちゃんと愛せた事、大切に胸に抱いて、
それをエネルギーにして、自信もって、
新しい世界を切り開いていけばいい。
失なったものを取り返そうとするより、新しいものを築いていけば、
悪い事より、いい事を増やしていけば、
社会は住みやすくなり、
人生は満たされていく! と希望を抱いています。