普段、特別意識もせず社会/個人生活に浸透しているタブ-とジンクスに、
心をなだめたり、励まされたり、誘惑を避けてもらったり、行動を自視自覚と、色々お世話になっているんですね。
人って、回りへの影響や状況を考えず、
ただ何となく、気分的に、ついやっちゃったという行動って多いですよね。
そのほとんどの結果は、良い事あんまりなくって、後悔、萎縮となり得ますよね。
そんな人間社会だからこそ、社会的、目に見えないルール、タブ-とジンクスとかで、
ブレーキをかけようとしているのかもしれませんね。
理論的に処理し、目的、価値観を明確にし、計画を立て、決断して行動する時は、
タブ-とジンクスぶつかりそれを乗り越えてまでも突き進む事になるのですが、
その場合、かなりの覚悟、慎重さをふまえていますから、結果がどう出ようと、後悔はないと思います。
ま、社会の目からしたら、孤独な存在でもありますが、私はかまいません
犯罪でない限り、納得いく生き方だと想っています。
人生、一歩先は見えない。
見えない未来について,不安を抱いたり、自分ではコントロールできない愛する物たちの安否を心配して、
良くない事想像して、自己嫌悪になって、どうしても自分が許せないで苦しむ事がありました。
(「心のなかでの姦淫も罪であり、やってはならない」というのはキリスト教の訓え........ : 読んでみたいです。)
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最近になって、そんな自己嫌悪を処理することを学びました。
自己認証療法です。
考えても恐ろしい事を想像してしまう自分が許せない、
それは、愛するもの安全を願い祈る想いから、
無力な自分へ不安を抱いてしまうから起こる心境であって、
災難を願っているのでは決してない。
むしろ、
安全、幸福を祈る印だと自分を慰めることが出来たからです。
そうする事で、心の平和を生み出せることが出来るようになりました。
“大丈夫、無事を祈る想いがそうさせているの、”ってね。
タブ-とジンクス、疫学が、統計社会学的産物であるというのが面白い。
想えば、ステレオタイプというのもそうですよね。
タブーの脅迫力、それは、宗教に於ける信仰心の証と言いますか、
そんな物で、人間を縛り付けようという人間のエゴが、
宗教の名で人殺しを堂々天下で正当化してやってしまう原因なんでしょうね。
まさに、両刃の剣、
平和の祈りでもあり、かつ、殺人免許でもあり得る。
今日も穏やかないいお天気です。
何時も塀を駆け回って、やってくるリスが、私の窓辺で、立ち止まり、なんか、私にお喋りしてましたよ。
私も手を振って、挨拶していました。
ワン子は、ひなたぼっこより、私の机の傍のベッドの方が安心らしく、朝からよく寝てます。
この子は私の分まで睡眠取ってくれます。(私は毎日4時間しか眠れないというのに.......)