トンボが留まった!

心のつぶやきをここに記します。

メール:mysweetclover@mail.goo.ne.jp

『“弁当の日”がやってきた』(竹下和男)/明るい未来への心の教育!

2009-10-26 12:41:40 | Weblog
卒業生に送る言葉、目頭が熱くなりました。

http://d.hatena.ne.jp/lp6ac4/20091003

ある小学校で「弁当の日」という日をつくって
この日だけは、親が一切口出しせず子供だけでお弁当を
つくって学校の昼ごはんにみんなで食べるという日なのです。
この弁当の日は、子供たちに家事の力と、人のために食べ物を
作る喜びと、誇りと、自信と、最高の笑顔をもたらすのだそうです。
そんなことを実践していた子供達の卒業式に校長先生が
子供たちに贈った詩がとっても素敵なのでご紹介させてください。


あなたたちは、「弁当の日」を二年間経験した最初の卒業生です。

「親はけっして手伝わないでください」で始めた「弁当の日」でしたが、どうでしたか。

食事を作ることの大変さが分かり、家族を有難く思った人は優しい人です。

手順良く出来た人は、給料を貰える仕事についたときにも、仕事の段取りのいい人です。

食材が揃わなかったり、調理を失敗したりしたときに献立の変更が出来た人は、工夫が出来る人です。

友達や家族の調理のようすを見て、技を一つでも盗めた人は、自ら学ぶ人です。

こまやかな味の違いに調味料や隠し味を見抜いた人は、自分の感性を磨ける人です。

旬の野菜や魚の、色彩・香り・触感・味わいを楽しめた人は、心豊かな人です。

一粒の米・一個の白菜・一本の大根の中にも「命」を感じた人は、思いやりのある人です。

スーパーの棚に並んだ食材の値段や賞味期限や原材料や産地を確認できた人は、賢い人です。

食材が弁当箱に納まるまでの道のりに、たくさんの働く人を思い描けた人は、想像力のある人です。

自分の弁当を「おいしい」と感じ「うれしい」と思った人は、幸せな人生が送れる人です。

シャケの切り身に、生きていた姿を想像して「ごめん」が言えた人は、情け深い人です。

登下校の道すがら、稲や野菜が育っていくのを嬉しく感じた人は、慈しむ心のある人です。

「あるもので作る」「できたものを食べる」ことが出来た人は、たくましい人です。

「弁当の日」で仲間が増えた人、友達を見直した人は、人と共に生きていける人です。

調理をしながら、トイレやパックのゴミの多さに驚いた人は、社会を良くしていける人です。

中国野菜の値段の安さを不思議に思った人は、世界を良くしていける人です。

自分が作った料理を喜んで食べる家族を見るのが好きな人は、人に好かれる人です。

家族が手伝ってくれそうになるのを断れた人は、独り立ちしていく力のある人です。

「いただきます」「ごちそうさま」が言えた人は、感謝の気持ちを忘れない人です。

家族が揃って食事をすることを楽しいと感じた人は、家族の愛に包まれた人です。

先生たちは、こんな人たちに成長してほしくって二年間取り組んできました。

おめでとう。

これであなたたちは、「弁当の日」をりっぱに卒業できました。


皆さん、おはようございます。
何だか良いなと思う記事を見つけましたので一緒に読んで頂けたら嬉しいです。
やっぱり「食」が基本なんだなって思います。

すぐ食べられるものは、コンビニにで何でも買えるけれども
レストランで注文すれば何でも出てくるけれども
スーパーに何でも並んでいるけれども
お米一粒でも、肉でも野菜でも魚でも、誰かが愛情を込めて作った物、
いろいろな人を経由しなければ口に入ることは出来ないと
当たり前にしていることだけれども、そして今の生活は便利過ぎるけれども、
毎日の生活は感謝することばかりなんだなと思いました。




一期一会

2009-10-24 16:15:44 | Weblog
一期一会
出会いは別れの始まりであり、
その出逢いが素晴らしいほど、別れは辛い・・・

頑張って生き延びさせた月下美人を例のおじいちゃんに見て欲しくて、
朝早くからボランテアに駆け込んで、おじいちゃんのところへ。

でも、

おじいちゃんは そこにはもういなかった。


昨日の朝、天国へ召されたそうだ。
安らかな死だったという。

私と話したのが意識がはっきりしていた最後の会話だったらしい。

あと5日で、94歳の誕生日だったのに・・・
楽しみにしていたのに・・・
まだ、聞きたいことたくさんあったのに・・・
(のちに教授曰く、死を前に、誕生日への希望を胸に最後を迎えられてお幸せだったわねと。)

でも、

”来るもの拒まず、しっかり向き合って、最善をつくすのみ”

というおじいちゃんの生き方は、最後まで貫かれたようだ。

2日間だけの出逢いから、
私は大切なものを教えていただくことが出来ました。

心から感謝の気持ちでいっぱいです。

おじいちゃんの安らかなるご冥福をお祈りいたします。

合掌

ドキっとして涙が出そうになった。

2009-10-23 15:39:30 | Weblog
何やってんだろう。

ボランティァで、お年寄りへのランチ配達に遅刻気味、
TVケーブルの支払いをクレジットカードで・・・
そうだ、アイスをクーラーに入れてトランクにいれていかなきゃ、
布の買い物袋も忘れないように・・・
オッと、返品する、PCケーブルコードと、レシートは何処だったっけ・・・
コストコで、ガソリン入れるの忘れないように!

急がなきゃ!!お年寄り達が待っている!!

(無事配達を済ませ、買い物に走る。)

ショッピングセンターの入り口に、
きょうは、犬を連れたホームレスのおじいさんが、物請いをしている。
スープハウスで、おじいさんは食事はもらえるけど、
犬のご飯まではもらえないよね・・・
一日中あそこに立ったままだと脱水しちゃうんじゃない?
ワンちゃんにご飯と、おじいちゃんに水だな、
おやつ・・・やわらかいものがいいな・・・

あれ??
クレジットカードと、コストコのメンバーカードがない。現金は700円?
どうしよう、
あちこち買い物するつもりで出かけたのに、お金無しで出てきちゃった!!

しょうがない、
ワンコとおじいちゃんのものだけ、小切手で買って帰ろう!

犬のドライフード、550円、
犬の餌の缶詰100円。

イチジククッキー400円。
水ボトル150円

”チョッとかさばるけど、これはおじいちゃん、これはワンちゃん”
赤信号で止まったところで、袋2つを渡すと、
ワンちゃんが、とっても嬉しそうに、
というか、餓えて今にもかぶりつきたそうに、喜んでもらってくれた。

なんか、感じのよさそうなおじいさんがワンコをなだめると、
ワンコは照れたように、お行儀よくして
嬉しくてたまらないって顔で、私に笑いかけた。

その愛らしい表情;
でかいブルドックから、そんな印象を受けるとは予想もしていなかったので、
私の心はピョンと飛び上がって、ぐっと胸に込み上げるものがあった。
目頭が熱くなって溢れそうになり、
私もふとわれに返り、車に戻った。

”そのコ愛らしいね!”ッて声かけたら、
おじいさんが嬉しそうに”ありがとう!”っていってくれた。



帰り道、

本当は、人の世話してる場合や身分でもないんだけど・・・

でも、先のこと考えてもしょうがないよね、
なるようにしかならないし、
いざとなったら、何とかするさ!

今日は、あのワンコとおじいちゃんが、切羽詰っていたんだから、
あれでよかったんだよ。

なんて想いながら返ってきた。
予定の買い物 何も出来ずに・・・

転んでもただ起きなかった!

2009-10-22 17:04:38 | Weblog
[昔、どこかで出会った言葉]

転んでもただ起きなかったのである。

意地きたないのではない。

真剣だったのである。



”失敗することを恐れるよりも、

真剣でないことを恐れたほうがいい、

たとえ失敗しても、ただは起きぬだけの充分な心がまえができてくる。”


まさにそのとうりです。

真剣さは責任感から生まれ、

責任感は深い愛情から生まれるのだと思います。


愛があるから頑張れる!

今日という日、一期一会

2009-10-22 16:15:44 | Weblog
上がりそうで、上がらない鬱陶しい朝、
ボランティアに行く途中、花を買い、
目の覚めるような黄色の菊の花を持っていった。


**言葉が消えて、ぼんやりとした面影を一人寂しく,
何もしたくないと、胎児姿勢で横たわる
おばあちゃんに花を届けた。

御婆ちゃんの目がきらっと光って、
驚きとともに大きな笑顔が生まれた!
嬉しそうに手に抱いて、鼻をこすりつけて、
”ありがとう!”っていってくれた。

その日の午後、
おばあちゃんは私の誘いに応えてくれて、
歩行器で、散歩がてら、体操も一緒にやってくれた。
面会室で休みながら、興味深そうに太陽が出た外の様子を見て、
ゆったりとしながら、
穏やかな語らいのひと時がもてました。


**耳が遠くて、世界の孤島に一人ぽつんと座っているおじいちゃん。
文字盤でしかコミュニケーションが出来ない。
花を持って現れた私に気付くと、
雨雲から顔を出した太陽のように、
パッと明るい笑顔!!
’お~う!お~う!”と感激の声まで出して、鼻をこすりつける、
暫くして、
”香はしないが、とっても美しい~!どうもありがとう!”と
とっても喜んででくれた。

持っていた私のお気に入りの短文書を私と一緒に読みませんか?
と薦めると、気持ちよく受けてくれた。
私も一緒に楽しみたいので、
おじいちゃんこえだして読んでくれますか?

普段、人と喋るチャンスがなかなかない
おじいちゃん、一生懸命大きな声出して
私に本を読んでくれた。

時代の流れに流されず、
大地にしっかり踏ん張って、
手仕事で生活を立て、
長老の知恵を敬い、
自然とともに生きる文化を大切に生きる
メンドナイトのお話でした。

ほんの少しのひと時でしたが、
おじいちゃんも私も、
素敵な日が過ごせそうな気持ちになりました。

その日の午後、珍しく、広間でビンゴゲームに、
参加しているおじいちゃんを見かけた。


*ホスピスの患者さん、
もうご飯も食べなくなったというおじいちゃんを訪ね、

膝からつま先のマサージをしながら、
おじいちゃんの人生観を、きいていた、

”おじいちゃんの人生を一言で現したらなんですか? ”
”私の人生は10だ!
素晴らしい人生だった!
自分は本当にラッキーだ。”

死を前に、
こんなに、満たされた気分でこういいきれるってすばらしいなって想いました。

”人生何をしたらいいのか、くよくよ考えたりしないで、
やるべきことは、ちゃんと目の前に現れるもんだ。

しっかりそれを見極めて捕まえて、

一生懸命やり徹したらいい。

成功は後からついてくる!”

世界大恐慌の辛い時代を生き延び、
第二次世界大戦を生き延びた強さは何処から?

”すべきことをしっかりやるしかないという一途な想いだ”

ホント大きいおじいちゃんの知恵袋から
次々に素晴らしいアドバイスが溢れてくる。
もっと聞かせてくださいねとお願いしてきた。
”うん、またおいで”と言ってくれた。

足のマサージをとても喜んでくれて、
”それ何処で教わったの?とっても気持ちいい”
と言ってくれた。
’気持ちよく過ごしてもらいたいと思って
ただその思いでやっているだけです。
足の裏の壷とか、身体にいいときいてますが、
よく知りもしないんです、
今度いつかちゃんと学びたいと想います”
といったことでした。


午後は、
”この前88歳になった遠くに住む妹さんの
お誕生日を祝って、めいが歌いま~す!’
と言って、チョッと変わった珍しい
ハピーバースデーの歌を熱唱してしまいました。

"お誕生日おめでとう!私たちは何時も貴方の事を愛しています!
貴方が、バースデーケーキのろうそくを吹き消すとき、
一つだけその光がが貴方の瞳の中に燃え続けます。
其れは貴方が何処に行こうと貴方と共に輝き続けます。
お誕生日おめでとう!私たちは何時も貴方の事を愛しています!”

そしたら、

’もうすぐ、僕の94回目の誕生日が来るから、
そのときまた歌ってくれるかい?”
とリクエストいただきました。

キャロットケーキに、
クリームチーズが乗っかったケーキが好き
と言うおじいちゃん。

盛大なお誕生日をやろうねってやくそくしました。

おじいちゃんの誕生日まで、後6日、

頑張って!頑張って!
その日まで元気でいて欲しい!

秋、落ち葉拾い

2009-10-20 15:49:29 | Weblog

『あなたの許可なくして、
誰も、あなたを
傷つけることはできない』

エリナー・ルーズベルトからの言葉





「世の中に憎い人があろうはずがない。あなたがなにか憎らしいことを考えているだけだ」


「感謝の念をもって生きるようになったら、どれだけ人生のスケールが大きくなるか」



「愛する。それはお互いに見つめ合うことではなくて、
一緒に同じ方向を見ることである」byサン・テグジュペリ




生き残れるものは、
強いものではなく、
賢いものでもなく、

変化できるものである・・・byダーウィン



「『辛い』という字がある。
 もう少しで『幸せ』になれそうな字である。」
  by星野富弘






「お金もいらないの。

着物もいらないの。

たったひとつの命もいらないの。

やさしい言葉がほしいのよ」




TVで、101歳の方が言ってた言葉です。





人生の終わりにほしいもの、

やさしい言葉。


はじめに言葉ありき
終わりに言葉ありき。







ますます厳しい社会生活が待ち受けているようですが、そういう時だからこそ、心を通わせる友の存在が必要なのではないかと想います。心を閉ざしたら、希望の光も入って来なくなるのではないでしょうか?手を繋いで心が誰かと通じ合っていれば、大きな山も乗り越えられるし、嵐だって怖くないと想います。(以下、発言者覚えていません)

危機は、チャンスでもあるといいます。

必要な発明の母。

物事には、影と光の両面がある。どちらにフォーカスを向けるかで人生が変わる。

神は、私達が、乗り越えられることを信じて試練をお与えになる、私達がどう向き合うかを見るために、神の我々に対する信頼にこたえるためにも、しっかり向き合って生きたい。

神は、不幸をもたらさないと約束されてはいない。
不幸のどん底にいても、決して、私を一人見放すことなく、這い上がるまで、私の心を支え、何時のときも傍にいて私の手を放さないと約束してくださっているのだ。

出来るか出来ないかやってみなきゃわからない。
限界を超えたとき、初めて、自分の限界を知る物だ。

人生で3回失敗したと想い そこから学んで前に進むかか、
人生失敗に終わったと想いそこで終わるか、
自分の心次第だ。

最後に、”笑う門に福来る!”






”真実を愛せ。

ただし、過ちは許せ”

―ヴォルテール (1694-1778) 。 

にあるように、人の過ちで、傷つき、その傷を癒し克服するのは、あやまち(故意に悪戯できずつけたのではない〕を許すことで、心を開放するしかないと思うのですがどうでしょうか?





尊い愛は、何時も与える姿です。
人から掻き集める姿で愛を表現することはありません。
正義だ、真実だと掲げて、人を傷つけることを、宗教戦争が物語っています。思いやりの心が全てなのに・




いつ災難に遭うかは運次第だが、

どう立ち向かうかは我々次第だ。





愛と恐れがめったに共存し得ないものである以上、

そのどちらかを選ばねばならぬとすれば、

愛されるより

恐れられるほうがよほど安全なのだ。 


―ニコロ・マキアヴェリ (1469-1527): 『君主論』






人生を長くすることはたいして出来ないが、

深く広くすることは大いに可能だ。


(誰かわからないです、ご存知のから教えてください、〕元気がでる言葉ですよね!







 人生の生き方は二通りしかない。

 
  全て当たり前のように振る舞うか、


    全て奇跡のように感じるか。 


―アルベルト・アインシュタイン










長い話の締めくくり・・・・・・’ありがとう!”

2009-10-14 22:08:30 | Weblog
長い話の締めくくり・・・・・・’ありがとう!” [*過去の記載より]


ありがとう!


私の心に、
人を信じる勇気があるのは、
貴方から受けた愛情のお陰です。

真っ暗な闇の中でも、
恐ろしい嵐の中でも、
私は決して一人ぼっちじゃない、
日の出の約束は、貴方の愛、
わたしの心に”希望”を教えてくれたのは貴方です。

貴方は、わたしの人生で、初めてであったひと、
その温もりと、信頼と、希望、
それらに支えられて、
今日まで生きてきました

貴方から受けた愛がある限り、
これから歩く人生も、大丈夫だということを、
私は信じることが出来る。

だから、貴方に届けたい
ありがとうの心

私を育てて世の中に送り出したその瞬間、
貴方は、私の前から姿を消してしまわれた。
貴方の耳元にささやきたかった
”ありがとう”の言葉は届かないまま。

あれから随分月日ががたちました。
あれから私も母となり、
月に住む貴方に、
何度も何度も語りかけました・・・
貴方は何時も、黙って、私を見守ってくれました。

貴方と生きた月日よりも 長い月日がたちました、
あなたより長く生きている自分がここにいます。

貴方が教えてくれたことを、
貴方に伝えたかった想いを、
子ども達に、周りの人たちに
精一杯投げかけて生きてきました。

何時か、また、貴方の腕に抱かれるその日まで、
貴方へのありがとうの気持ちを
伝えながら生きていきます。

”ありがとう、おかあさん!”

I LOVE YOU !



心の発達論とヴァリデーション[認証]の必要性

2009-10-14 22:06:52 | Weblog
心の発達論とヴァリデーション[認証]の必要性   *[過去の記載より]


[エリック、エリックソンの心の発達)

人生における心の発達論

人は、それぞれの成長段階に於いて、
適切なる課題をクリアすることで、
次の段階を健全な心で受け止め
まっすぐに成長していけるのである。
適切なる課題をクリアすることが出来たものは、
人生における様々な出来事を、恐れることなく、素直に受け止め、
それをまた成長の糧として前進していける力を持ち続け、
最も、満たされた人生を過ごすことが出来、
安らかなる死を迎えられるのである。





心の発達論とヴァリデーション[認証]の必要性

**乳幼児期に於いては,[信じること]TRUST、
母親が、その時その時(NOW&ALWAYS)いつも、
必ず飢えや寒さから守ってくれる。
自分は愛されている、拒否されることは絶対ない。


 **少年少女期に於いては、コントロール(CONTROL)、
自分で、様々なことをやりだす。
転びながら、失敗しながらも,いろんなことを発見し、出来るようになる。
[歩き出し、自分で食べれるようになり、自転車に乗り出したり、
一人でお使いに行けるようになったり、スポーツや、楽器をこなすようになったり]


親の愛情を十分に受け、周りの人を信用出来る人間は、
転びながら、失敗しながらも、絶望したり、投げやりになったりせず、
辛くても頑張りぬく力や、失敗しても立ち上がれる心を持つようになる。
乳幼児期に植えつけられた信用を頼りに、応援されながら頑張れるのである。

しかし、もし、その愛が与えられていなかったとしたら、
周りの人間に対して不満感を持ち、愛情に飢えた心を持つようになり、
何か思うように行かないと、社会や人のせいにし(BLAME)
自分で責任を取ることが出来す、困難に立ち向かう頑張りがきかない。

また、親が、完璧な子供を要求するあまり、
失敗は許されないとか、不完全は不十分という観念を植え付けてしまうと、
ギリギリの線をしっかりコントロールする緊張感を心に秘め、
失敗を恐れ、執着心の強く、融通の利かない性格が築かれていく。


**思春期に於いては、
これまで、全てに関して自分をサポートし、守ってくれた人との絆を振り払って、
自分の力を試し、自分の価値観を見つけたい、
自分という個性を持った人間を見つけ出す、いわゆる反抗期。

どんな時も愛情を注いでくれる親の愛を信じる者は、
どんなに激しく親の愛を踏みにじっても、
愛が絶えることはないという確信に支えられて、
自己発見の旅に出かけられる。
社会に一人で立ってみて、自分の翼を試し、人にもまれながら、
自分という人間的個性、価値観を見出し,
自分とは何者?というものを見つけることが出来る。


どんな時も愛情を注いでくれる親の愛の確信のない者は、
不確かな愛を失うことを恐れ、むしろ、それにしっかりしがみつき、
いい子でいようと頑張り、依存することでしか存在できず、
自分ひとりとしての価値観が見出せない。
離れることも不安,かといって,一人で社会に飛び込むなんて、
怖くてとても出来ない苦しみを心に秘めて、
殉教者として生きることになる。


**成人期に於いては,
自分以外の誰かに心を許し、特別な感情を分かち合う親密な関係を持ちたいと思う。

自分というものを見つけられたものは、何があっても変わらぬ愛を信じているから、
恐れることなく心から人を愛することが出来るし、
例え恋愛に失敗しても、必ず自分を取戻して立ち上がることが出来る。

しかし、乳幼児期に親の愛を十分に受けられず、愛されることに不安を持ち、
失敗を恐れて、冒険が出来なかった子供時代、
不確かな愛にしがみついて、付属者としか生きられず、
一人の自立した人間として自分を見出せないまま大人になった者は、
他人に心を許し、親密な関係を持ちたくても、
受け入れてもらえなかったり、嫌われたりするのを恐れて、
一人、自分の殻に閉じこもったまま、孤独な人生を送ることになる。


**中年、熟年期に於いては、ほぼ人生の新しい経験は踏まえ、人生のピークを過ぎ、
もうそんなに若くはない、人間生き続けることは出来ないこと、
身近な人がなくなったり、病気に悩まされたり、
恋愛や、仕事に失敗したり、大きな困難を経験する。

転んでも立ち上がる、前向きに突き進んできた人は、
それらの大きな損失や障害を静かに受け止め、
新しいことを加えることで、亡くしたもの空間を埋め合わせをし、
新しい幸せを求めて前に進むことが出来る。

しかし、完全でないものは受け入れられない、
いつも、自分の人生をコントロールしていないと我慢できない人は、
それらの、いたたましい損失や,障害は、自分のコントロールの効かないものであり、
痛々しい心の苦しみは己の心に押し込めてしまう。
依存していたものがいなくなれば、自分というのは存在しないことになり、
仕事を失うと、人間としての価値がないことになる。
だから、損失や障害を拒否することで、生き残ろうとする。
[新しいことを学ぶことをせず、何時までも時代遅れのものにしがみついている。
新しく心を許す友を見るけようとせず、亡くした友にかなうものはないと、はねつけてしまう。
音楽好きで耳が遠くなっても、補聴器をつけようとしない。
俺は会社役員だったんだ、金にもならないボランテイアなんて馬鹿にするな。]

頑固に、損失や障害を拒否し続け、其処から一歩も前に進めない。
全てが変わってしまっても、
昔の、コントロールできていた時のままの生き方をしようと頑張る。


**老年期においては、自分が生きてきた足跡をたどり、
過去との和解を持とうとする。

人生を閉じる前に、失敗や、間違い、かなわなかった夢を含めても、
やり遂げられた成果に満足し、そんな自分が好きで、
よく頑張って生きてきたと誉めてあげたい。
私の人生は価値あるものだった。
私は誇りを持って死んでいける、
本当に生まれてよかったという結論に達する。

しかし、老いぼれて髪も薄くなり、目も耳も遠くなり、
物忘れもしだした自分に憂鬱になってくる。
なくしたもの全てを受け入れられないまま抱え込んで、心に押し込めたままにすると、
苦しみ、人に対しても辛く当たったり,憤慨したり、挙句の果てに、絶望感に落ちってしまう。
苦しみ、葛藤:もし、無視し続けると、心の中で轟き始め、優うつになってくる。

優うつ:心が怒り狂った状態である。
胸の内に込められ、長い人生ずっと抱えてきた、
愛情、罪悪感、羞恥心、反抗心、怒りのような感情が、
年を取った時、とうとう押さえることができなくなり、
大きく膨れ上がった膿のように流れ出す。

それぞれの成長期には、果たすべき課題がある。
果たされないまま放置され、心に仕舞い込んだままにしておくと、
老後に及んで、とうとうコントロールが聞かなくなり、
大きな問題として浮かび上がってくることになる。

どんな人も、心のわだかまりを解決して死にたいのである、
それは本能的なものであり、
それを果したいが為に様々な、問題行動として浮かび上がってくる。

未完の課題に、しっかり向かい合い、[認証]VALIDATEすることで、
心に平和をもたらし、安らかなる死が迎えられるのである。


...“The Validation, Breakthrough” by Naomi Feil (ナオミ ファイル)より...

長期介護保険

2009-10-14 22:06:01 | Weblog
長期介護保険


長期介護保険というのがあります。
うちの場合、

自分で、トイレやシャワー、着替えや食事が出来ない状態になったら、

2年間、

自宅介護の場合、介護者を雇う支払い一日7000円支給。家族介護は支払いの対象にならない(*)

老後養護施設の費用・月65万円[平均相場70-75万円]

に入っています。

もしも、主人に介護が必要になった場合、
私は仕事が出来なくなりますから、
主人の自宅介護をしながら少しでも収入が入るように
[*家族介護でも、資格を持っていれば
保険から支払いが降ります7000x30=21万円/月]
介護の資格を取っておくことにします。
この資格は、老人学を学んだ後、
仕事をするときにもプラスになると想います。
これは、来学期に取ろうと思っています。

老若男女・ いくつであっても、

2009-10-14 22:04:13 | Weblog
老若男女 幾つであっても、


人が人として生きるために最小限必要な事:

1.愛されたい。

2.必要とされてたい。
(誰かの役に立ちたい〕)

3.心の感情〔気持ち〕を表現したい。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

退職後、老後の計画に、田舎で農業とか、
世界旅行とか、海外移住とか、つり人生とかお考えなかた、

丹精込めて作った野菜や魚を分けて喜び合う家族や友達がいなかったら、幸せにはなれません。

一人で旅行しても、つまらない、
一緒に楽しめる人と旅行するところに楽しみがあるのでは?
旅は、ホッとする我が家があってこそいいもの、
やっぱり、居心地にいいベースが大切です。

唯でさえ寂しい老後、
住み慣れた土地、家族、友達との縁を好んで切って、
言葉も通じない見知らぬ土地に移住?
理解できません。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マズローの法則(エイブラハム・マズロー)
欲求の5段階説ともいいます。
人間はまず第1次的欲求によって動機づけられますが、
それが適度に満たされてくると、
より高次の第2次的欲求によって動機づけられます。

更に第3次的欲求と続いて、
これが人間のモチベーションの要因となります。
この段階ではより低次の欲求はもはや動機づけの要因とはなりません。

下記の�→�→�→�→�の順番に進行します。

�生理的欲求(食欲・睡眠・性欲)
�安全性欲求(住居・衣服・貯金)
�社会的欲求(友情・協同・人間関係)
�自我の欲求(他人からの尊敬・評価される・昇進)
�自己実現欲求(潜在的能力を最大限発揮して思うがままに動かす)

新入社員が、入社を希望する会社とは、単に給料だけ高い会社よりも、仕事を通して能力の発揮できる会社、働いていて楽しい会社や多元的な生き甲斐を充足できる会社へとシフトしています。

何しろ人生の中で極めて多くの時間を過ごすのですから、会社の選択は重要です。
会社の選択を間違えると、幸せになることができない可能性があります。
賃金だけ高くしても、人は働いてくれません。
人は褒められ、評価されることを喜びますから、お金以外の生き甲斐を見出すことが大切です。(bingo)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50歳くらいになると、
�自我の欲求(他人からの尊敬・評価される・昇進)
�自己実現欲求(潜在的能力を最大限発揮して思うがままに動かす)

つまり、精神や、魂、宗教とかいったものとつながりが深まります。

心を満たす、社会に貢献する事をしたいと思う年代です。

高齢社会に備える

2009-10-14 20:42:35 | Weblog
年金制度が施行された1940年代の平均寿命は47歳、
65歳に達し、年金を受け取ることが出来た人はほぼわずか、
しかも、そのほとんどが3年余の授与期間だ。

此処70年の間に、平均寿命は80歳を超え、
ほとんどの人が年金を受け取り年金授与期間は20年以上に及んでいる。
其処に,800万ともいわれる団塊世代が年金を受け取る時代が訪れようとしている。
そして、支払い勤労者の数は年々減っているというのに・・・



昔は、年寄りとは65歳以上全体を示していた。

現代は、
65-75歳を若年高齢者、
75-85歳を中年高齢者、
85歳以上を高年高齢者と

3段階に分けて見られるようになっている。
老後は長いのです。勤労社会人として生きた分くらい長いのです。
退職して、旅行するくらいしか考えている方、
先々のこと考えて準備したほうがよくないですか?
お金もあるうち、体も動くうち、頭も働くうちに・・・
早いほど、安心で、楽なことないです。

人間そう簡単に死ねないのですよ。
介護を受けている方ほとんどが、自分は子供の世話にならず、老人ホームにはいり、
すぐお迎えが来るさと考えていたんではないでしょうか? 
彼らの親は、こんなに長生きしてなかったでしょうから。
しかも、4世代大家族制でしたし、近くに兄弟達も住んでいましたし
年寄りの一人や2人お世話するのはまだ楽だったし、
家族として当たり前のことだった。




50歳あたりから、子育てが済み、生活のリズムのリセット期、
女性は、更年期障害に悩みながら、
仕事に出たりして自立、社会体験の時代を迎える。子供の婚期を迎える。

55歳あたりから、孫の世話が始り、夫がそろそろ退職を迎える時代、
2人で、旅行したり、セカンドライフをエンジョイしだす時代。
このころ、親達が、85歳を過ぎだし、介護生活も忙しくなる。
まだまだエネルギーがある活動期。

若年高齢者は、セカンドライフをエンジョイしながらリラックスしていたり、
孫の世話に明け暮れていたり、
親の介護に追われていたり。

中年高齢者は、自分の体にもいろいろは変化が生じ、
車の運転や、旅行、子供の世話が困難になってくる時代。
もっぱら、高年高齢者のためのボランテイアをしながら、
自分たちの生活を充実したものにするのが中心の時代。

高年高齢者は、一生懸命自立生活に挑戦する時代。
介護を受ける時代。




核家族社会の現代、“地域家族社会”のようなものを必要としていませんか?
地域ぐるみが家族のような役割をする、
若いおばあさんたちが、地域の子供達の世話をして、

(**人生で、一番大切な時期ー自分と人を信じる心が培われる時期に、タップリ愛情をすすぐおてつだいができます!!)

**乳幼児期に於いては,[信じること]TRUST、
母親が、その時その時(NOW&ALWAYS)いつも、
自分は愛されている、拒否されることは絶対ない。


 **少年少女期に於いては、コントロール(CONTROL)、
自分で、様々なことをやりだす。
転びながら、失敗しながらも,いろんなことを発見し、出来るようになる。
[歩き出し、自分で食べれるようになり、自転車に乗り出したり、
一人でお使いに行けるようになったり、スポーツや、楽器をこなすようになったり]


必ず飢えや寒さから守ってくれる。




元気なお年寄り達が、介助の必要なお年寄りの世話も率先してする。

近い将来自分はこういう介護をしてもらいたいという介護を心を込めて出来る。
そういう姿を、後に続く若者に見せることが大切です。
命あるものの運命を最善に生かす生き方を、
老いの道の良いお手本を見せてあげれます!

こういった特徴のある暖かい生活様式が、
より快適、安易に過ごせるような社会のシステムを、
長い目で維持、または、移行しやすいように
築いていくときだと思うのですが・・・。

では、団塊世代に課された課題は?

2009-10-14 19:48:06 | Weblog
では、団塊世代に科された課題は?


国を動かすエネルギーの固まり、まさに、団塊世代

の老後はどうなるのか、

そして、

もっと長い目で見た社会の行く末は・・?

日本の高齢社会の基盤を作り上げるのは、団塊世代しかありません。
なぜならば、
ジェネレーションXとYに、団塊世代を抱える力がないと予想されるからです。

昔こんな歌がありましたね、

こぶしの歌(?)

生きている君達が、
生きて飛び回る空を
貴方に残しておいてあげれるだろうか 父さんは、
目を閉じて御覧なさい、
空が見えるでしょう
近づいて御覧なさい、
りんごの花が咲くでしょう????

土・・・、

うみ・・・・・・・

あれ?歌詞を忘れてしまいました。
どなたかご存知ですか?

とにかく、何を言いたかったかというと、

自分たちの老後、子孫の将来を守るために

何が出来るだろうかということを考えてみたいんです。

みませんか?

みましょうよ、

ネ、そうしませんか?