毎日、ウェリナ

お兄ちゃんと
ウェリナのつぶやき
時々ママのつぶやき

月命日

2021-08-29 15:08:57 | 日記

今日はウェリナの2回目の月命日でした。
なんだか未だに不思議です。いないことがとても不思議です。

写真とか見てもね、なんだか13年間も一緒にいたのに、夢の出来事に
思えて仕方ないんです、長い長い夢を見てた感じが未だにします。

この写真は幟を見るとわかると思うけど「おかえりモネ」の撮影地です。
「おかえりモネ」ですが
私たち、ウェリナにとっては
「ただいま登米」です。

あのウェリナとの時間は神様からのプレゼントだった。
一旦は離したけど、また戻ってきたウェリナ。

運命の出会いだったんだよな。私達は。

ウェリナが歩けなくなり、立てなくなり・・
テレビは見ない代わりにYouTubeで音楽を聴いてた
今でも聞いてるけど「OAHU」オアフという曲

特に意識してなかったんだけどこれが一番癒される音楽で
ずっとリピートして聴いてた。

そしたらね、「Welina oahu」というオアフ島の歌があることを知りました。
歌詞をみたら、それはそれは心が安らぐような歌詞でね。

すごい偶然だなって思いました。

自分に起きる、全ての事は最後の最後に
パズルのピースがピタリと収まるように納得いくんだと
感じました。どうして全く気にしなかったことがいきなり
気になりだすんだろう?の先には(どれぐらい先かわからないけど)
あ!そうだったのか、だからなのか!って。

ウェリナの月命日である今日、この「歌」の存在をしりました。
なるほどなって。すごく納得できた。

「どうして?!」って思う事の答えが命日ごとに明らかになる
そんな気さえしてきます。それもウェリナからのプレゼントだね。きっと。


また歩き出したよ

2021-08-26 11:38:05 | 日記

いちょんさん。

また歩くことにしました。
私には見えないけど
散歩が好きだったウェリナの事
きっといちょんさんには見えてるよね

ウェリナが逝ってしまってから
一緒に歩いた道を歩くのが怖かったよ
でもね、散歩するって言ったら
どの道歩いたってウェリナと歩いた道だから
避けようがないんだよね。

姿が見えなくて寂しい人間チーム
でも、ウェリナはきっといつも通り

そしていちょんさんからみた私達も
きっといつも通りなんだよね。

だから元気に歩くことにしたよ。

小さなウェリナと共に

2021-08-23 14:49:13 | 日記

小さなウェリナを連れていつも通りに海の街へ行ってきました。
いろんな意味での緊張感はありましたが、2週間の滞在を終えて昨日無事に
帰ってきました。何事もなく帰ってこられてよかったです。

小さくなったウェリナは今年が新盆でした。

こんな風にじーちゃんの横に置いてもらいました。
お花もいっぱい飾ってもらいました。

小さなウェリナは毛が抜けることもなく、よだれを垂らすこともなく
静かでした。

お盆の当日、海の街では夕方玄関の前に迎え火を焚きます。
本当はお墓の前で焚くのですがあいにくの雨で玄関前でした
しっかりとお迎えできたようです。もともとじーちゃんは
静かな人でしたが、ウェリナはうるさい女でした。
まずね、よく音を立てる。相変わらずおを立てる。

と言ってもウェリナまだ49日が住んでなかったので
こちらにいたかもしれませんね。もしくはあっちに行ってて
帰ってきたかもしれません。どっちだったのかな。

今年も関東に住む兄貴家族はくることができず
母と私の2人でした。そこに見えないウェリナとじーちゃんが来て
なんとなく少しだけ賑やかな雰囲気を感じました。


庭掃除をしていたら虫がいて、お花の周りを
よっこらしょ!って歩き回ってました。
「もうそろそろポージングしてみたらいいのに」と言ったらこのポーズ
お尻ばっかり向けていたけど(笑)
どの命にもウェリナが宿っている気がして邪気にできませんでした。

お盆明けの16日は帰ってきた仏様を送る日です。
なんとなくね、お昼頃涼しかったので(歩いても汗が程よく出る程度の温度)
ウェリナが若いころ歩いたコースを散歩してきました。

三崎公園の『約束の丘』(勝手に命名)には一つしかなかったはずの椅子が
増えてました。ここで先に天に行ってしまったすっちゃんと
一度会うことができました。あの時の2犬の笑顔は今でも忘れられません。


歩みを進めてるとこの蝶々にも会いました。
夏に歩くと必ず会える蝶さんです。綺麗ですよね。
散歩距離は6キロ越えでした。でも、まだまだ大丈夫歩ける。
よく歩いたな・・毎日だったもんな・・楽しかったな・・
ウェリナとお話ししながら歩くとあっという間でした。


帰ってきて、夕飯を食べ終わってから送り火を焚きました。

ぐんぐんと煙が天に昇って行きましたよ。

そう、送り火の日はウェリナの49日と重なりました。

ウェリナはそういう子です。亡くなった日は29の日
食いしん坊ウェリナにぴったり。

火葬した日「夏越しの大祓」という半年の区切りの日でした。

そして49日は送る日。忘れん坊の私が忘れないように
こういう日を選んだのかなって。お利口ちゃんです。

送り火を最後まで見届けて、しっかり消火して
家に入ってくると空気感が違いました。
「いない」というのがちゃんとわかりました。

父も今回はウェリナと一緒に帰って行ったので
よかったかな。ウェリナも見たことのないじーちゃんだったけど
きっと仲良く歩調を合わせて歩いて行ったね。

よかったよかった。安心したよ。

小さくなったウェリナと無事に昨日戻ってきてね
思った。やっぱりいないって。不思議だよね。
ちょっとした違いなんだけどね。無事に帰ってきた安心感と
ウェリナが本当にいなくなった寂しさでやっぱり涙がでた。

しっかりと楽しく朗らかに
そして軽やかにまろやかに生きていこう!!

そうそう、49日ってね、新しく生まれ変わる準備に入る日なんだって
私の大好きなこーるくんママさんがYouTubeでお話ししてました。
素敵な言葉なので、私もそう信じてこの先出会った全てのものが
愛しいウェリナだと思って大切にしたいと思います。

またね、ウェリナ。



四つの目

2021-08-02 13:39:25 | 日記
ウェリナがいなくなってから度々登場するウェリナままです。
ウェリナのお話を楽しみにしてくださってる皆さんには申し訳ないです。

亡くしてからの日々の変化だったり気持ちを書き残す事で
誰かの気持ちに少しでも寄り添う事ができたらいいなって思ってます。
いつかのために。いつかくる日のために。そうだウェリナママは
どんな風だったんだろう?って。

昨日ね、とーちゃんがね、ウェリナがいなくなって一ヶ月だけど
なんだかもっとずっと前の話に思えるねって言ってたんだ。

遠い昔。そう思うのは、きっと少しずつ弱って元気なウェリナを
思い出せなくなってたからかもしれないなって。
その時に思ったの、人間とワンコの経過時間の違いを。
人と比べると1歳年をとると犬は人の何年分っていうでしょ。
それが、これかもしれないって思ったの。

ウェリナが立てなくなってからの時間はそれほど多くなかった。
でもものすごく時間が長くは感じた。

元気な時には感じられなかった時間の長さだった。

楽しい時間は早く感じるでしょ。
美味しいものはすぐに食べ終わっちゃうでしょ。
それと似てるのかもしれないよね。

ウェリナが亡くなって暫くは思い出しても現実と夢との行ったり来たり
その中で自分が生きてる感じがしてた。
ウェリナが生きていた空気がまだ家の中にしっかり残っていたからかも
しれないな。それがだんだんと変わってくるの。段々ね。

ウェリナと暮らしたウェリナの空気が無くなって
物質的に離れていくのを実感すると喪失感が満ちてくる。
からと言って泣いていられる生活環境じや無い
姑がいるからね。ご飯も作らなくちゃいけないし
日々の生活もあるから。

そして次に来る気持ちは、4つの目なの。

寂しくて涙が出る時ってのは私とウェリナは離れてるんだよね。
安定している時、楽しい事を楽しいって感じている時
これはね、ちょっと思ったんだけど、多分間違い無いの
私が見ているものをウェリナも見てる。
私の体の中に入って私の目を使って周りを見てるんだって。
なんだか素直にそう感じた。そう思うとなんだか楽しい。
うんうん、確かに楽しい。それに幸せ。

今はそれが、行ったり来たりなんだろうな。まだまだ。
自然に悲しみが癒える時ってのはそれが当たり前になるんだと思う。
「癒える」のと同時に、少し軽くなる。
それは今まで4つの目で見ていたのが2つになるから。
2つになっても悲しかったり寂しかったりの比重が軽くなるから。
そしてウェリナが本当に抜けて次の命の準備をはじめるから。
なんだかそれを今日は強く思った。朝の散歩。

とーちゃんを送りながら、ウェリナと散歩していたけど
暫くしてなかった。もちろんウェリナが歩けなくなった事もあるし
いなくなってからもしてなかったけど、今日は久しぶりに歩いてみた
悲しい、寂しいという感覚はなくて、私の目を通してウェリナも見てる
今までよりも少し高い視線から。そう思うとちょっと嬉しくなった。