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Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

この孫にかかったら……

2021年04月16日 13時53分58秒 | エッセイ

      大学4年生の男の子。
      この孫は、〝おばあちゃん扱い〟が、とても上手だ。
      格別、おべんちゃらを言うのではないが、
      受け答えに屈託がなく、ユーモアを交じえて、
      おばあちゃんをほんわりさせるのに長けている。

           
      
      おばあちゃんが、覚えたてのLINEで
      「たまにはご飯を食べにおいで」と誘えば、
      「じゃ、○日に行こうかな」と乗ってくる。
      おばあちゃんにすれば、
      孫が遊びに来てくれるだけでもうれしいのに、
      「おばあちゃんのあの筍ご飯食べたいな。それから天ぷらも。
      ナス、かぼちゃ、さつまいも、それから鶏……
      そんなのがあれば最高」
      そう言われたおばあちゃんは、心大いに弾み
      「はい、はい  用意しておくからね」
      痛い膝もなんのその、スーパーへと足取りも軽く走るのである。
      そして、筍ご飯はおかわり3杯、要望通りの天ぷらも
      ぱくぱくと口の中へ入っていった。
      おばあちゃん もちろん大満足の表情だ。

           
      その孫が、母親(僕の長女)の元を離れて
      1人暮らしを始めるという。
      「今のうちに1人暮らしを経験しておくのもいいんじゃない。
      炊事、洗濯、掃除……何でもやってみればいい」
      母親は平然としている。そういう子育て法なのだろう。
      祖父母が口を出すことでもあるまい。

      すると、孫が家の中をゴソゴソやり出した。
      そして、「このカーペット欲しいな」と言うのだ。
      1人暮らしの家に敷きたいというのである。
      ちょっと高価なカーペットだから、
      さすがのおばあちゃんも「いいよ」とは言えない。
      「別のを買ってあげるよ」で収め、
      さらに「このソファベッド持っていきない」
      とプラスアルファを付けてやった。
      孫の一方的なペースとなったのだが、
      それでも、おばあちゃん ものすごくうれしいのである。
             
            
     
      最後は、おばあちゃんのジーンズ地のつば広帽子に目を付けた。
      「これももらおうかな」そう言いながら、かぶってみせる。
      一応鏡に映し、「はい いただき」。
      おばあちゃんは、にこにこ笑うばかり。
      「ねえ、それかぶって帰るつもり。どうなんだかね」
      へんてこりんな自分の長男に、母親は複雑な笑みだ。
      確かに、ちょっと変わった孫ではある。


これ 誤診ですか

2021年04月11日 17時50分51秒 | エッセイ

      「それ 確かですか」詰問するように尋ねた。
      医師は顔色を変えることなく、
      「このX線写真をご覧ください」むしろ笑みを
      浮かべながらそう言った。

               
     
      前日、マンション一階の我が家の
      小さな庭で草むしりをしたところ、
      情けないことに1時間もしないうちに腰が痛み出した。
      やがて、その痛みは臀部、脚のつけ根あたりに広がり、
      寝相をいろいろ変えてみてもいやな疼痛は消えなかった。
      鋭く痛むのではないが、圧迫されるような痛みに
      結局よく寝れずじまいで夜が明けた。


      普段は痛むこともなく医者通いすることはないが、
      もともと腰が悪い。
      そのうち痛みも引くだろうと思ったが、
      なんだか嫌な感じがする。
      膝が悪い妻と同じ整形外科へ行くことにしたのだった。


      医師に状況を説明すると、
      「草むしりがいけませんでしたね」と笑うばかり。
      ついでに「実は学生時代、椎間板ヘルニアで
      1カ月間病院通いしましたし、
      2年ほど前には圧迫骨折していると言われました」と言うと、
      医師の表情がちょっと変わった。

      この圧迫骨折と診断されたのは、
      膀胱がん手術の術前検査の際だった。
      X線写真を見ながら泌尿器科の医師が、
      「弱りましたね」と言うのである。
      「腰が圧迫骨折しているんですよ。
      これだと、腰から麻酔注射ができないかもしれません。
      場合によっては全身麻酔になるかもしれません
      のでご了解ください」そんな話なのである。
      ゴルフをした後など、腰が痛くなることはあったが、
      それは学生時代の椎間板ヘルニアの古傷のせい
      だとばかり思っていた。
      それが圧迫骨折しているというのである。
      痛むのは、そのせいだったのか。
      手術自体は当初予定通り局所麻酔で済んだが、
      これによって圧迫骨折が規定事実となってしまった。
      いや、してしまっていた。

      整形外科の医師が表情を変えたのは、
      そんな話をしたからだった。
      「その時、がんの骨転移の検査もしましたか」と言うのである。
      「それはしたと思います」と答えると、
      「ちょっとX線を撮ってみましょう」となった。
      そのX線写真を見て、医師はこう言ったのである。
      「圧迫骨折はしていませんよ」
      「えっ、それ 確かですか」
      「このX線写真をご覧ください」となったのである。
      そして、X線写真を見ながら     
      「椎間同士の衝撃を吸収する、つまりクッションの役割をする
      椎間板がつぶれてしまっていますね。
      おそらく、これは若い頃の椎間板ヘルニアの古傷でしょう。
      骨折しているわけではありません」
      こんな話なのである。
      医師は「がんが骨に転移し、それで圧迫骨折した
      のではないか」と懸念したのだという。
         
            
             
椎間板ヘルニアで曲がった腰
      
      専門外の泌尿器科の医師による「圧迫骨折」を受け入れ、
      ゴルフも止め、未練を残さぬようにと道具も処分してしまった。
      それが、圧迫骨折ではなかったとは……。
      泌尿器科の医師を恨む気はないが、
      整形外科の医師の前で「今度会ったら何と言ってやろう」
      と語気を強めた。
      実は近々、再発した膀胱がんの術前検査が予定されているのだ。


頬っぺ つんつん

2021年04月08日 15時10分25秒 | エッセイ

      ふっくらして、すべすべの頬っぺを
      たまらずつんつんすると、見知らぬ爺さんの
      そんな無遠慮な振る舞いに、
      ちょっとまごついたような表情をする。
      それがまた可愛く、指先がもう一度頬に触れる。
      

        
      

      甥っ子の腕にしっかり抱かれた、生まれてまだ半年の
      男の子が、お初の挨拶にやってきた。
      
      甥は確か僕の長女より一つ下だったから、もう50歳のはずだ。
      そんな年齢になって初めて抱く我が子とあれば、
      その喜びを隠すのは難しかろう。
      目尻は下がりっぱなしである。

      自らを振り返ると、我が子だとあまりにも時間が経ちすぎ、
      どうにか思い出せるのは23年も前の初孫の誕生だ。
      あの日の朝6時頃、病院からの電話に叩き起こされ、
      車を急がせた。
      看護師さんの腕の中にいた、小さな、小さな女の子。
      看護師さんは初孫見たさに駆け付けた祖父母に、
      その子をそっと渡してくれた。
      あまりの小ささにちょっぴり怯みながらも
      腕の中にしたあの感触、その記憶は随分と薄れて
      しまっているのだが、甥の抱く幼子のけがれのない表情が、
      たちまちあの時の喜びを蘇らせ、心を和ませてくれる。

                          
      
      甥は、バツイチである。
      前妻との間には、残念ながら子に恵まれなかった。
      ただ、それが甥の離婚理由ではない。
      いろんな事情が重なった挙句のことだった。
      離婚したのは確かに不幸なことではあっただろう。
      別れないで最後まで添い遂げることが出来れば、
      それが最善なことに違いない。誰しもそう望んで結婚する。
      だが、夫婦間にはままならない感情のズレが生じやすいものだ。
      それは当の夫婦だけにしか分かりようのないこともあり、
      傍が離婚の理由を分別臭く断じるのは難しい。
      訳がよく分からないままに離婚する夫婦も、
      この世間にはたくさんいるのである。

               
      
      離婚がひどい打撃を与えもする。
      肝心なのはそこから立て直す強い意志を持つかどうかである。
      幸い、甥は強かった。
      そして2年ほど前に新たなパートナーと出会い、
      初めて我が子を抱けたのである。
      寄り添ってくれる妻、生まれてきた我が子、
      2人が心の傷を癒してくれる。
      だらしないほどに、くしゃくしゃとなった甥の表情が、
      そうだと言っている。
     
                  
 
      「どうか、パパを幸せにしてあげて……頼んだよ。
      そして君もパパやママと一緒に幸せになってください。
      そう祈っているからね」幼子の耳元にそっとつぶやいた。





嘆くなかれ

2021年04月06日 13時20分31秒 | エッセイ

      誰が言い出したのか知らないが、
      「35歳限界説」というものがあるらしい。
      転職も結婚も、積み重ねてきた経験というプラス要因を、
      年齢というマイナス要因が上回る、
      その分岐点が35歳というのだ。
      この説に取りつかれたような30代前半の
      男性公務員の話が新聞の片隅にあった。
      「真面目だけがとりえ。職場の花形部署にて
      必死に頑張りましたが、結果という事実を出せず
      焦るばかり。婚活も同じです」
      「35歳限界説は理にかなっていると思うようになりました。
      そんな状態で、年齢を重ねることに恐怖心を抱いています」


      また別面には、損保大手の元常務執行役だった人の
      こんな話が紹介されていた。
      「62歳で会社人生に区切りをつけ、妻と旅行したり、
      テニスをしたりと、悠々自適に過ごしていました」
      「しかし、60歳代後半に入ると、会社の先輩やテニス仲間の
      悲報もたびたび。妻も体調を崩し、自分の残りの
      人生について考えるようになりました」
      「元気で自立していられるのは80歳までとすると、
      人の役に立てるのは10年余り。もやもやしていた時、
      見つけたのが介護付き有料老人ホームでのパート勤務。
      70歳を迎えた誕生日から働き始めました」
      「人は限られた時間を生きています。私は目的を持って
      残りの時間の一部でも、世の中のために使いたいと思う。
      どう使うかは、自分次第ですからね」

      
      付け加えて、アメリカの心理学者による
      「流動性知識」と「結晶性知能」の話。
      前者は「新しいことを覚えたり、問題を推理したり、
      解決したりする知能。若い人ほど新しい技術や
      テクニックをすぐに覚え、あっという間に上達する」
      「20歳ぐらいまではぐんぐん伸び、その後は
      年齢とともに下降する」
      後者は「過去に蓄積した知識や判断力、
      技能を使って日常生活に応用していく能力。
      60歳ぐらいまで上昇し続けていく」


         若き人 嘆くなかれ

       
            鉢にきれいに咲くもよし

              
            水中にしっかり
            根を張るもよし


           青空を堂々と従えるもよし

      人生100年時代 君の思うがままだ!


うつろい

2021年04月03日 12時33分51秒 | エッセイ

      桜はもう陰をつくらない。
      薄色の花弁は散りゆき、陽が枝葉を透かして差し込む。
      ちょうど1年ほど前、この川べりの石段に
      桜の木がつくる陰にすっぽり包み込まれるようにして
      若い2人が座っていた。


      
      少し早めの昼食だったのだろうか、
      近くのスーパーのレジ袋からドーナツみたいな
      そんな形をしたパンを取り出した彼女は、
      かすかな笑みを浮かべながら彼に渡した。
      同じように缶ジュースも。
      彼は無言のまま手を差し出して受け取り、
      時折彼女の方に目をやりながら
      パンをかじり、合い間にジュースを飲んだ。

      年の頃は2人とも30前後と見えた。
      2人は2人きりの時をはしゃぐでもなく、
      浮かれるふうもなく、年相応といえばそうなのだが、
      物静かなたたずまいであった。
      2人の前を通り過ぎ、50㍍ほど進んだ時、
      がしゃという音がした。
      振り向けば、踏みつぶされぺしゃんこになった
      缶が彼の足元にあった。

            

      少し先の川べりの小さな砂場に
      保護犬・マナの姿を、やはり1年ほど前から
      それこそぷっつりと見なくなった。
      当時、4歳のメスの柴犬だった。
      生まれて間もなく捨てられ、動物愛護管理センターで、
      あるいは殺処分されかねない身の上だったのを
      新しい飼い主に引き取られ、安穏に暮らしていた。
      それでも「いまでも人への警戒心が強く、
      こうやって外に出るのも、この砂場遊びの時くらい」
      マナを慈しむ新しい飼い主はそう語っていた。
      だが、新型コロナウイルスの感染拡大により
      福岡も緊急事態宣言となった昨年4月以来、
      この砂場には姿を見せなくなった。
      
      今日も川べりを歩きながら、あの愛らしい
      マナの面影を思い浮かべる。


      
      惜春――そして次の季節を迎える準備をする。
      日本最大の阿蘇の野焼き。
      ダニや人畜に有害な虫を駆除するとともに
      牛馬の餌を育てるのである。
      そして、あの夏の草原の美しさを演出するのだ。

      わびしくもあり、眩しくもある季節の移ろいである。