Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

続・アイム ソーリー

2020年12月12日 06時00分00秒 | エッセイ
         ソーリー ビートルズ
    今は、君たちの歌を聞くことはまれとなった。
  代わって、父や母たちのように「悲しい酒」や「舟唄」、
     そんなものが無性に聞きたくなるのだ。

The Beatles - I Want To Hold Your Hand - Performed Live On The Ed Sullivan Show 2/9/64

    「何、このうるさい歌。こんなの長続きするはずないわ。
    麻疹みたいなもの。すぐに消えてしまうに決まっている。私、こんなの嫌い」
    レコードプレイヤーの上で、ビートルズが「抱きしめたい」と歌っていた。
    ほどなく彼女は去り、ビートルズは傷心の僕を
    「Let It Be~これも神の思し召し。なすがままさ」と慰めてくれたものだ。
    学生時代の淡い、そして苦い思い出話の一つである。

あれから50年余経った。今、ライブハウスのステージに立ち、
そして、ビートルズを歌っている。
側でギターを気持ちよさそうに弾いているのは孫である。
孫との共演で「Something」を歌うなんて、
50余年前には想像すらつかないことであった。
マイクを持つ手が、小さく震えている。それと、やっぱり照れ臭い。
そりゃそうだ。80に近い年齢。加えて、もともとのかすれ声だ。
ひいき目に見てくれる人は「魅惑のハスキーボイス」などと
持ち上げてくれるのだが、それさえも相当にすり減ってきた。
それでビートルズを歌うというのだから、我ながら厚かましい奴だと思う。
まあいい。声まで真似て歌うわけではない。
音程をはずしながらもそれらしくシャウト出来ればОK、本望なのだ。

    なぜ、それほどにビートルズを……なんて野暮は言わないでほしい。
    「ビートルズの音楽性はここが素晴らしいんだ」なんていうのもなしだ。
    そういったことは音楽評論家にでも任せておく。
    歌も、それに女性も好きになるのに理屈はない。
    たとえば、女性を好きになるのはほとんどが「
    見る」「聞く」「嗅ぐ」「味わう」「触れる」、
    つまり五感の為せるワザだと思う。
    そこから先は互いの感性が大いにものをいい、
    それを昇華できれば真の恋愛として成立するのだろう。
    いくつかの若き日の〝あのときめき〟を思い起こせば、
    そのようなことではなかったか。
    随分昔のことだから少々心もとない話ではあるが……。

ビートルズ嫌いの彼女は去った。
でも、ビートルズは60年近くもずっと僕の側にいて、
時に心を弾ませ、あるいは励まし、慰めてくれた。
ジョンもジョージもすでに亡く、ポールとリンゴの二人だけになったビートルズは、
今もなお生き続けている。

        (3月5日の当ブログにアップしたものを再掲しました)