ソーリー ビートルズ
今は、君たちの歌を聞くことはまれとなった。
代わって、父や母たちのように「悲しい酒」や「舟唄」、
そんなものが無性に聞きたくなるのだ。
The Beatles - I Want To Hold Your Hand - Performed Live On The Ed Sullivan Show 2/9/64
「何、このうるさい歌。こんなの長続きするはずないわ。
麻疹みたいなもの。すぐに消えてしまうに決まっている。私、こんなの嫌い」
レコードプレイヤーの上で、ビートルズが「抱きしめたい」と歌っていた。
ほどなく彼女は去り、ビートルズは傷心の僕を
「Let It Be~これも神の思し召し。なすがままさ」と慰めてくれたものだ。
学生時代の淡い、そして苦い思い出話の一つである。
あれから50年余経った。今、ライブハウスのステージに立ち、
そして、ビートルズを歌っている。
側でギターを気持ちよさそうに弾いているのは孫である。
孫との共演で「Something」を歌うなんて、
50余年前には想像すらつかないことであった。
マイクを持つ手が、小さく震えている。それと、やっぱり照れ臭い。
そりゃそうだ。80に近い年齢。加えて、もともとのかすれ声だ。
ひいき目に見てくれる人は「魅惑のハスキーボイス」などと
持ち上げてくれるのだが、それさえも相当にすり減ってきた。
それでビートルズを歌うというのだから、我ながら厚かましい奴だと思う。
まあいい。声まで真似て歌うわけではない。
音程をはずしながらもそれらしくシャウト出来ればОK、本望なのだ。
なぜ、それほどにビートルズを……なんて野暮は言わないでほしい。
「ビートルズの音楽性はここが素晴らしいんだ」なんていうのもなしだ。
そういったことは音楽評論家にでも任せておく。
歌も、それに女性も好きになるのに理屈はない。
たとえば、女性を好きになるのはほとんどが「
見る」「聞く」「嗅ぐ」「味わう」「触れる」、
つまり五感の為せるワザだと思う。
そこから先は互いの感性が大いにものをいい、
それを昇華できれば真の恋愛として成立するのだろう。
いくつかの若き日の〝あのときめき〟を思い起こせば、
そのようなことではなかったか。
随分昔のことだから少々心もとない話ではあるが……。
ビートルズ嫌いの彼女は去った。
でも、ビートルズは60年近くもずっと僕の側にいて、
時に心を弾ませ、あるいは励まし、慰めてくれた。
ジョンもジョージもすでに亡く、ポールとリンゴの二人だけになったビートルズは、
今もなお生き続けている。
(3月5日の当ブログにアップしたものを再掲しました)