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花と野菜とスケッチブック

春夏秋冬・花と野菜とスケッチとそして人と一緒に・・・

東京メトロ

2012-04-11 22:54:47 | その他

コインロッカーに荷物を取りに行く。夫は「今のロッカーはお金は後払いらしい、便利なもんだな」などと言ってロッカーを開けようと、操作手順に従った。「整理券の番号を入れてください」夫????

1つしか空いてないロッカーに荷物を入れてふたを閉め、赤いランプがついたのを確かめて、「お金は後払いか・・・」と思いつつ、地下鉄の入り口で待っている妻のもとに走って戻ってきた。身軽になって、浅草で旅の最終日を満喫して荷物を取りにロッカーに・・・

荷物を取りに来た人を見ていると、みな整理券らしきものを持っていて、そこに記されている番号を当てはめている。ロッカーに荷物を入れ、お金を入れて初めて整理券が出てくる。後払いなんて都合のいい話あるはずがない。疑いもしない夫のおっちょこちょいにもあきれるが、刻々と迫っている「こまち」の乗車時間。今さらせめてもどうしようもない。

とりあえず記されいる連絡先に電話を入れると、10分くらいで係りの人が来てくれた。温厚そうな方で「お金を入れないで閉めた場合は、ランプがついてもしばらくすると点滅して開いてしまうんですよ。今閉まっているってことは他の人が使っていると思いますよ。でも、開けて確かめてみましょうか」そう言ってくれた。

取りに来る人、預ける人、なかなか操作ができない。やっと開けて、確かめるが私たちの荷物ではなかった。着替えなど大したものは入っていなかったけれど、孫がきっと喜ぶだろうと買った土産がこうなるとひどく惜しい。肩を落としてあきらめかけたその時、開けたロッカーに荷物を取りに来た人が、「もしかしたら、このロッカーに荷物を入れた人ですか?駅員さんに預けましたよ」と無断で開けたことを怒りもせずに、教えてくれた。人のよさそうな若いご夫妻だ。本当にありがたい。地獄に仏だ。名前を聞いておけばよかったと後で思ったが、その時はただただ頭を何度も下げて、駅員さんのもとに走る。

東京メトロの若い女の駅員さんだった。いかにも事務的「ちょっと待ってください」どこかに電話している。「中に何がはいっていたんですか?」「緑のバックなんです。猫の模様の化粧ポーチ」「他には?」夫「秋田へ帰る新幹線の時間が迫ってるんだよ!」声を荒げる。そこにさっきの若いご夫婦がきてくれて、「何時何分ころあずけましたよ」と時間まで告げてくれる。「ここにはありません。階段を登った右側の事務所にあるので、そこまで行ってください」なんと冷たい物言い・・・若いご夫婦に頭を下げ、夫と走る。息が切れる。

「お父さん、いらいらしないでよ。」などと言いながら、事務所に着く。緑色の見覚えのあるバックがあってほっとする。「それです。よかったあ」とハアハア肩で息をつく。ところがだ。私たちに背を向けて、中年のおじさんとつんとしたメガネ姉さんが、「中に入っているものを言ってください。」とのたまう。「猫の模様のポーチ」「それとあとは、着替えかな」「着替えなんてはいっていませんよ」ホテルから送った荷物と勘違いしていた。夫が「バックの下の方に緑の袋に入ったおもちゃがあるはずだ」プッツンしたのは私だった「ここは警察ですか!?列車の時間がせまってるんですよ!」向こうも仕事のマニュアルだろうが、あまりに事務的な対応に東京メトロの印象は私の中で最悪になった。

東京発16時56分の「こまち13号」に何とか間に合った。ロッカーの係りの人、若いご夫婦のおかげで、こちらの不手際にもかかわらず荷物も失わずに済んだことは奇跡に近い。そうだそうだ。最後に親切な人に救われたことに感謝だね。なかなかおさまらない腹立たしさを、2人反省と感謝で鎮めて帰途についた。

あの時の若いご夫妻本当にありがとうございました。おかげで孫の笑顔が見られました。

 


関東へ2(故郷水戸)

2012-03-25 19:39:37 | その他

14日9時半上野発スーパーひたちに乗り水戸着10時42分。早くなったなあと思う。子供の頃「東京に行く」ことは一大事だった。各駅停車だったものなあ。

水戸駅南口に降り立った。南口は故郷を去った後にできた。どこの都市もあとからできた駅口の発展が目覚ましい。まるで知らない街並だ。今回実家の弟の車が折悪しく故障しているとのことで、レンタカーの予約をしていた。徒歩1分のレンタカー会社が見つけられずに電話を入れると、歩道橋の上からすぐ見つかった。

故郷を離れて40年近い。車で街中を走った日は遠い彼方。ナビとおぼろげな知識を頼りに実家にたどり着く。この日もハードスケジュール。昼食を摂るとすぐ弟の案内で、認知症が徐々に進んで介護施設に入所した伯母を訪ねる。

ちょうど嫁いだ娘(私には従姉妹)二人がやってきていて、思わぬ再会ができた。母の姉である伯母は父の兄に嫁いでいる。姉妹が兄弟に嫁いでいる。幼い頃から会う機会も多い従姉妹とは、とりわけ仲が良かった。今回は会うことはかなわないと思っていたのに、神様が引き合わせてくれたのかもしれない。伯母の認知の度合いがわからなかったが、顔を見るなり「〇ちゃん!」と私の名を呼んで、顔をくちゃくちゃにして抱きついてきてくれた。髪もすっかり白くなり、足腰も弱っているようだが、歩ける。姉妹二人で毎週落ち合って訪れているという。遠くに嫁いだ姪をいつも気遣ってくれ、幼いころから娘のように可愛がってくれた伯母の老いを目の当たりにして、長年の無沙汰をあらたにした。再会を約束して別れを告げる。

その足で、父母の墓参りに行く。伯母に会いに行く道々で見かける家々の瓦屋根にはいまだブルーシートがかけられているのが目に付いた。東日本大震災の傷跡がいまだ残っている。弟の話では墓石もだいぶずれて、やっと直ったばかりだという。崩れ落ちたものも少なくなかったそうだ。手を合わせて無沙汰を詫びた。

実家に戻る頃には日も暮れ始めていた。一服して外食で済ませようよという話になり、出かけようとしていると、先ほど会った従姉妹の姉さん夫婦が来てくれた。そのまま焼き肉店に行き食事を共にすることができた。

介護施設で主任を任され夜勤も多く忙しい日々を送っている弟だが姉夫婦の急な訪問に快く休みをとってくれ、あちこち案内してくれた。少し太って元気そうで安心した。「ゆっくり時間をとってまた来るよ。」などと話していたら、エリアメールが鳴る。「地震だ!」久しぶりの大きい揺れに、びっくり。水戸は震度4だったが、震度5+の地域は日立と千葉だった。近頃茨城県千葉県沖を震源とした地震が多い。息子たちから相次いでメールやら電話が入る。「大丈夫か?」と心配してくれたようだ。弟と話しながらも、睡魔に襲われて、うつらうつら。入浴もそこそこに床につく。疲れてはいるが、目的が一つ一つ遂げられ、懐かしい人に会えるうれしさの方が勝って、心地よい眠りについた。

 

 

 


関東へ1

2012-03-24 16:20:06 | その他

3月13日、8時35分の新幹線で東京へ向かう。長男たちが見送ってくれる。

新幹線大好きな夏海が「ジージとバーバ新幹線に乗ってくの?ナッチも乗りたいなぁ」なんて言うので見送りの時に泣くのでは?と思っていたけれど、涼しい顔でバイバイしたので、ほっとしたと言うより気抜けした。嫁さんからのメールに「ジージとバーバこまちにのって行っちゃたね」と言ってたそうだ。2歳半夏海はほんとに口が達者になった。

今回の目的は6年間ご無沙汰している叔母たちに会うこと、父母の墓参、急逝した叔父の仏前にまいること、四男の住まいを訪れることだ。そしてできれば30数年前に二人で暮らしたはじめた下町の狭いアパートのあった場所をさがしてみたいとも思っていた。かなりハードなスケジュールだった。

12時に東京駅に着くと四男のお嫁さんのお父さんお母さんがホームで待っていてくれた。後から家を出たという四男達とも会えて、みんなで昼食をとる。四男の娘みーちゃんとゆーちゃん、年子の二人は双子のようだ。どちらも人懐こく、「あきバーバ」(2人がそう言います)と手をつないで歩いてくれる。

電車を乗りついで、中野の駅に。バスに乗って最寄りの停車場から歩く歩く。東京の人はよく歩く。秋田は歩かない県で女性が2位男性が5位だそうだ。どこに行くにも車がないと目的が達成できない地方の人の方が歩く機会を失っているのは皮肉なものだ。都会では電車に乗るために駅まで歩く。階段を上り下りする。目的地に着くまでに必然的に歩かなければならない。お店を巡って歩くだけでも結構な距離がある。あちらもこちらも人人人だ。歩いた、疲れた。常日頃歩いていない秋田人の私だった。

2LDKのアパートは、一戸建ての秋田の広すぎる家に比べれば本当に狭い。けれど、つい昨年まで住んでいたひと間のアパートに比べれば夢のようだと話す四男夫婦の嬉しそうな顔に、若かったころの自分たちが重なった。みーちゃんゆーちゃんのお遊戯会のビデオを見、ひとしきり話して部屋を予約してくれている近くのビジネスホテルに案内され荷物を置く。マンション暮らしのお父さんお母さんとおち合い、8人で中華料理のお店で和気あいあい夕食をとり、何年振りかでカラオケに・・・ほろ酔い加減も手伝って、みな盛り上がりそれぞれ得意の歌を聞かせてくれた。息子とお嫁さんが唄った歌に泣かされた。夫も同じ思いだったようで鼻をすすっていた。

四男が「ありがとう」と「アンマー」、お嫁さんが「私だけの天使」を・・・歌で思いを伝えてくれたのだろうと勝手に受け止める父と母。お嫁さんの娘たちへの思いも伝わってきてホロり・・・本当に楽しいひと時だった。

次の朝、通勤時間帯で覚悟していたが思ったよりもスムーズに上野駅に着くことができた。水戸へ向かう。

中野駅まで見送りに来てくれた、みーちゃんゆーちゃん息子夫婦の姿が目に焼き付いた。


大雪七変化

2012-02-04 15:01:58 | その他

ご覧ください。この辺はまだよい方かもしれません。

今月、またまた寒気団がやってきそうです。今までにない大雪の冬です。

                              

除雪車が寄せて行った雪山(下は家の畑)

 目覚めると雪寄せ

             

      降り続く雪

             凍てつく朝(空気まで凍る)

  足跡(カラスと?)

        夕焼け廃屋

夕暮れの雪原(田)

           晴れ間

                 

 

 


不安

2012-01-27 11:50:32 | その他

50代もあと一年、還暦を迎えるなんて信じ難い。幼かった頃、お隣に住んでいた50歳だと言うラーメン屋のおばさんが、本当にいいお年寄りに見えた。昭和30年代、当時平均寿命は何歳くらいだったのだろう。

元気で自分のことは自分ででき、苦なく余生を生きていけるなら、80代でも90代でも長生きはめでたいことだ。しかし、少子高齢化は進み、不景気による若者の就職難、働き盛りの人たちは給料削減やリストラなどなど、先行きは不安ばかりだ。国債ばかりが増え、年金の支給なんて臨めやしないと、政治に疎い若者さえ、政治不信は実感とともに広がっている。

若い世代が窮していけば、結婚はできず、結婚しても二人で働かなければ食べていけない。となれば、子供を産み育てるゆとりも見いだせない。親の世代を見守るゆとりなど持てるはずもない。団塊の世代、高度成長期に暮らした人たちには、落ちていく日本の姿は火を見るより明らかなはずだ。日本はどこで、ボタンを掛け違えたのだろうか?あの戦後の目覚ましい発展の途上、日本独自の本質的な大事なものを見失ってはいなかっただろうか?発展途上得たものも大きかったけれど失ったものを今一度考え正す時かもしれない。見誤った政府の判断に乗せられ、あふれる情報に振り回される私たちにも責任がないとは言えない。何が真実か、正しいか、見極める知恵がとても大事だと、この年になって遅ればせながら考えるときがある。

見識のある政治家がいない今の日本の不幸、政治の過ちは国民の生活を脅かし、これからの日本の進むべき道のよしあしを決定してしまう。

心してほしいですね。政治家は私たちの代表だということを。国民のことを第一に考えているのでしょうね!必死で日本丸が大海原で沈没しないように舵取りしてほしいものです。叡智と判断力を(もっていないか?)・・・不安です。