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語り継ぐ日本の歴史 by 浅利慶太

2009年09月21日 | エンタメなどレビュー
さっき、昨日使ったバッグの中味を整理したら、パンフみたいなものが出てきました。
そういや、チケット渡したときにもらったんだっけ。。。
その時は、何も見ずに折りたたんでバッグの中にしまっちゃったけど。

見るとお題が「語り継ぐ日本の歴史 浅利慶太」と書いてある。

読んでいくうちに、なんだか昨日見た「ミュージカル南十字星」が
「私は貝になりたい」と違って、ただの割り切れない悲しみだけでなく
強いメッセージを帯びた内容だったことの理由がわかってきたような気がしました。


「~やがて劇団四季を創る。それから半世紀。考えてみると、私が人生でよく知っているものは、
戦争と芝居と言ってしまってもいいかもしれない。それにしても、戦争は苦しみに満ちていたが、
芝居者の人生も大変だ。」

「~しかし問題は、愚かさと狂気に捉えられたその戦争の実相である。
多くの人は戦争を遠い過去のものと考えている。本当にそうなのか。」(抜粋)


A4のパンフレット3枚分にぎっしり書いてある文章を一通り読んで(本当にぎっしり書いてある)、
「自身が身をもって体験した悲惨な戦争について、いろいろ証言を集めたり調べた上で、
芝居を通して次世代の人達に語っていこうとしているんだな」と感じました。

「三作を創るに当って念頭に置いたのは~」って書いてあるってことは、
まだ他にも戦争をテーマにしたミュージカルか演劇みたいなのがあるってこと


そおかあ~。
なんか複雑だ。

私の親族の中では、以前ブログで書いたように去年の9月の台北行きで
「やっと長い戦後が終わった」という感じでした。

でも被爆2世の福山雅治みたいに間接的にでもいまだに戦争の影響を受けて、
戦後を終わらせられない人もいれば、
浅利慶太みたいに「戦後」として簡単に終わらせずに、いつまでも後世に語り継ぐ責任がある、と
考えている人もいるんだね。


でもそれって、すごくエネルギーが必要だよなあ。。。



話は全然違うけど、20代の時ドイツの老人ホームで遠足に行く企画があり
それの介助ボランティアをしたことがありました。
(といっても観光バスの乗り降りの手伝いをしたり、チケットを配る程度のものでしたが)

そしてホームの老人達と遠足先の喫茶店で一緒にお茶したときに、
私が日本人だとわかるやいなや「自分は空軍で日本に行ったことがある」とか
「自分は陸軍で、日本軍と練習で一緒だった」とか
嬉しそうに自分の昔話をしはじめました。

私は私で、みんなが日本の話をしだしたから、ビックリ


でも周りのドイツ人の年配ボランティアのおばちゃん達に「そんなこと話してはダメ」と
言われてましたけど。

でもそれでも「日本とドイツは兄弟の関係だよ」って言ってました。
ま、でもよくよく聞くと兄はドイツで、弟は日本らしい・・・。
(どうでもいいか)

やっぱり、戦争の話はタブーだったんですかね。
多分、今でもヒトラーの話を外国人がするのを嫌がると思います。
でもその割によくTVでは、戦争のことを反省する番組をやってたように思いますけど。
(もう何十年も経ってるのにまだ反省してるのか、とその時は正直思った・・)

こっちも敗戦国の日本人なので、あんまり戦争のことを突っ込んで聞いたことはありませんでした。


で、話を戻すと、その時にそのお爺ちゃん達は「オハヨウゴザイマス」とか「コニチハ」とか
日本の地名を表すカタコトの日本語を話していたのですが、
その中に「ササゲーツツ」って言ってたお爺ちゃんがいて、何回か聞き直したことがありました。

で、結局意味わかんなくて、その時は単なるこのお爺ちゃんのうろ覚えか
と思って片付けちゃいました。

でも今回のミュージカルで、思いがけず「ササゲーツツ」がわかりました。
また、その言葉の示すポーズもわかりました。

「ツツ」は鉄砲のことで、「ササゲー」も別に掲げるか献上するかのポーズでもないんですね。


あのお爺ちゃん、まだ元気でいるかなあ・・

私よりもっと若い日本人だったら、もっとお爺ちゃんの言ってる意味わかんないだろうな、きっと。


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