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ドクターサトウの海外・アメリカ正規留学おもしろ体験記

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青年期の自我同一性拡散(混乱)における性差について

2014-01-27 10:24:44 | 日記
青年期の自我同一性拡散(混乱)における性差について
  
                       佐 藤 恒 雄

The Difference of Identity Diffusion
between men and women students

Tsuneo Sato


This research was investigated the difference of diffusion between men and women students in
Tokyo. The finding result said, 1) students were moderately diffused their own identity, 2) there were significant difference of the degree of identity diffusion between the mean score of men and
women students,3)the mean score, which identity diffusion of this research’s college students, is significantly lower than the mean score of previous research of Kyoto University. These results will
contribute the study of self identity in developmental psychology.




I自我同一性の理論と青年期


(1)自我同一性の理論に関する歴史的背景  
    
青年期における自我同一性に関する研究は,E.Hエリクソン(Erikson,E.H.)による一連の研究が主流になって現在に至っているが,その源流はS.フロイト(Freud,S.1856—1939)によるところが大きい。フロイトの晩年の中に自我同一性の形成について言及している部分がある。彼は青年期における自我同一性に関する文化の役割の重要性を説いている。さらに、文化的同一性が形成されるにあたって,ある特定の原理の存在が不可欠であるとも言及している(1)。
 これに対し,E.Hエリクソンはこのフロイトの説について, これはフロイトが青年期における自我同一性形成について.民族的同一性(Ethnic identification)が形成されることの重要性をとくものであるとしている。そしてエリクソンによると,フロイトは,この民族的同一性(Ethnic identification)が,民族内に深く共通に存在し、それが民族内の人々に等しく分配されていることが,人格形成に深く寄与していると主張しているのであるとも言っている。
 エリクソンは,このようなフロイトの見解を受けて,1950年代における自我同一性に関する古典的な研究の中で,個人がどのような枠組みによって民族的グループ及び社会とのつながりを持っているのかを研究している。彼は,それ以前から自我同一性という概念を個人の核を形成するプロセスとして捉えていたが,フロイトの研究を振りかえることでこの自我同一性の形成が,人間個人の文化的側面についての核としても必要であると主張している。また彼は,この文化的,民族的同一性の形成が人間の発達段階の最終ステージを示すものとして,重要な要素であるとも述べている。彼は,「健全な自我同一性の形成のためには,この文化的同一性の形成が不可欠であり,これが望ましい可動しうる心理的均衡を生み出す源泉である。」と言っている。
 このエリクソンの見解はケイン(1980)やカブス(1972)らによって受け継がれ今日に至っている。彼らは,イタリア人を例にとって,その国の人々が自分の国に対して望ましい同一性(Positive identity)を持っている場合は,彼らの行動は,他の民族に対して柔軟で、自由で,かつ開放的であるのに対して,その反対に、人々が彼ら自身の民族的バックグランドに対し,望ましくない同一性(Negative identity)を持っている場合は、自己に対しても憎悪を持ち、他の民族に対しても攻撃的な行動を示す傾向があることを明らかにしている(2)。 
 自我同一性に関する民族学的アプローチの他には,自我同一性という概念を操作的に定義し,実証的に研究していこうとする人々も存在している。それらは,ブロンソン(1959),グレン(1960),プロック(1961),マーシカ(1966.1967.・1910),ベーカー(1971),ウォーターマン(1972)らであるが,近年ではその困難さのためかこうした研究は,ほとんど見られなくなってきている。
これらの研究の多くは,自我同一性が確立された状態を想定して定義しているために,同一性
の問題を一般的適応の問題と区別して検討することができない点が問題であると言えよう。たと
えば,マーシカらの研究は,職業的なイデオロギーの帰依(Commitment)という狭い観点からのアプローチにすぎないものと言える。以上のような背景によって,自我同一性の形成に関する研究は今日に至っているが,概念的,実証的な研究の両方向性でアプローチしてきていると言えよう。

(2)エリクソンの自我同一性理論

アメリカの精神分析学者であるエリクソン(Erikson,E.H,)は、新プロイト学派と同様に,パーソナリティの発達において,生物学的な決定因子よりも、むしろ社会的影響の方を強調していた。彼は、精神分析の創始者であるフロイト(Freud,S.)のいう幼児期の人格上の重要性を否定はしなかったのであるが、自我の現実指向的または統合的機能に注目し,精神分析発達理論を幼児期から成人を経て老齢期に至るまで発展させたのである。また,彼は,人間のライフ・サイクル(人生周期)を八つの段階に区分している。
 これらそれぞれの段階は対関係で組み立てられているところに特徴がみられる。そして,左側
がその段階で獲得を求められている人格的要素であり,右側がそれに失敗をしたどきに抱く異常
といえる状態である。第一段階の基本的信頼対基本的不信は、誕生からほぼ一年間の乳児期であり、この段階の発達課題としては、生育上最も親密な関係にある母親(あるいはその代理)との相互作用を通じて,自分が存在している世界が存在している世界を確かなものと感じ受けとめていくことである。子どもは母親を確かなものとして心の内面に刻み込み、信頼を寄せることができるならば,例えば母親の授乳が多少遅れたとしても;待つことが可能となる。 ところが、母親が子どもの欲求を十分に受けとめなった。仮に受けとめたとしても、誤った応答でコミュニケートする場合において,子どもは母親を確かな対象として心の中にとどめることができなくなってしまう。そうなってしまっては,対象を信ずる心の芽生えにおいて困難になるばかりではなく,判断のより所の成立さえなくなってしまう。つまり,これが基本的不信である。 基本的不信の状態に陥った場合,他者を信頼する心がないために,その後のあらゆる対象や外界との関係が大きく障害されることになりかねない。
以上からこの段階は、他者および自己に対する基本的信頼の形成は乳死期の母子関係にあり,これは健康的である自我同一性を築き上げていくための基本的部分となる。そしてこの時期にお
いて重要に思われることは,母親が子どもに対し、与える愛とか口唇的満足の量でなく,母親との関係の質であるといえる。例えば,母親が子どもの要求を敏感に深く感じとり,感情的になることはなく、一貫した保育がなされたときに人に対する基本的信頼が育まれるというものである。          また,エリクソンによれば,この基本的信頼の欠如がある場合,統合失調症が発症しやすく,更に基本的信頼の弱さが人格の根底にある時、そううつ病にかかりやすいと述べている。
 第二段階の自律性対恥と疑惑は,1歳から2,3歳の幼児前期であり、フロイトの「肛門期」
に相当する。 排尿・排便を中心とする日常生活習慣を身につけること、つまり,自律性が発達課
題となる。これは,子ども自身の達成課題ではあるが,社会性がかなり含まれる生活課題である。
そのため,それがうまく習慣化されなかった場合や,あるいは精一杯行っても親に厳しく叱られる
ことが多かったり,励まされたり、褒められたりするようなことが少なかぅたりすれば,周囲に対して恥の感情や自分の能力に疑問を抱くなどの感情を強めてしまう。恥とか疑惑の感情を多少なりとも軽くさせようとして防衛することに関しては。問題はないが、それが決して間違えることがないようにしすぎると、同じことを何度も繰り返したりする「執着的性格」へと発展することがある。また,自律性が獲得できない場合、敵意に満ちた強情であるなど、恥と疑惑に満ちた精神構造になってしまことがある。したがって、この段階における特徴は,幼児が社会的行動を学習するところにあるといえる。
第三段階の積極性対罪悪感は、2・3歳から5・6 歳までの幼児期後期であり、フロイトの「エディプス期」に相当する。この段階の発達課題は、前に述べた第二段階の達成を基礎として積極性を身にづけることである。 更に,この時期は、著しい探索行動と性への好奇心をもつのが特徴
としてあげられる。これは,子どもの行動範囲が急速に拡大し,質問を矢継ぎ早に投げかけたり,自己主張をするようになる時期である。従って、この段階は「第二次反抗期」と呼ばれ
る。この時期の積極性、自主性は,想像力という知的な発達と重なって「ごっこ遊び」を発展させる。それが社会的な役割や制度を習得する原動力となるのである。     
 どころが,この段階において、もし積極性や自主性が身につかなかった場合,いつも何かに脅
えているような,あたかも何か悪いことをしているような罪悪感をいだくことになる。またその
一方で,積極性の行き過ぎに対しても,子どもは罪悪的不安を抱くこともある。
この積極的に随伴する罪悪感は,必ずしも悪い感情とはいえない。罪悪感が(主体性を阻害し
ない程度に)ほどよく子どもの心の中に取り込まれれば、他人に対する親切な心や良心となって,
道徳的な感覚の発達にもつながっていくものである。しかし,この積極性が外界から受けとめられずに, うまく育つことができなかった場合、主体性及び道徳観も育つことはないし、またその逆
で,過度に罪悪感並びに恐怖感を抱くのである。この段階においては,子どもの良心の発動がみられ、自己判断ができ、自己観察や自己指導並びに自己処罰するようになる。そして、このような道徳的感覚が確立されることにより,健全な自発性の感覚も発達することになる。
 第四段階の生産性対劣等感は、6・7歳から12 ・ 13歳の児童期で,フロイト「潜伏期」に相当
する。この時期は,精神的には比較的平穏な時期である。また,この段階における発達課題とし
ては,勤勉さの感覚を身につけることであるが,それは劣等感を抱くことになるよそしてこれは
一般に,体系的な学校教育を通じて行われる。更にこの教育において,子どもはおとな達への同一化を形成していき,基本的な技能を身につけていく。社会的技能や知的活動並びに対人関係などを通じて勤勉性及び自己信頼感を育み,社会において役に立つ生産的な人間として、自分は自分であるという感情発達の基礎を築き上げていくのである。
第五段階である成年期の自我同一性拡散(混乱)については,エリクソンが自我同一性の概念を提案し,この時期に、「自分とは一体何であるか」という自己についでの定義が完全に築きあげられていなければならないとした。また、それを猶予する時期を心理社会的モラトリアムという。成年期においての自我同一性の混乱及び,拡散とはとても危険なことである。いかなる職業を選択すべきか、男性として、女性としての生き方などに深刻に考え悩む時期であるといえる。
第六段階の成人期前期における親密さ隔たり対自己吸収は、自己確立した人々(おとな)につ
いて述べられている。つまりこの時期の人間は、他者に対する寛容さがあって、親密になれるのである。そして,自己犠牲もいとわぬ、他者への強い献身的な精神の持ちうるといえよう。もし、自己を
確立することに失敗した場合,他者との関係もそこなわれ,結果的には孤独になってしまうだろう。
第七段階は成人期における生殖性対停滞である。これは,社会が成熟した成人を必要とする点
から,エリクソンは、生殖性の概念において、次代を育成するという意味としてのおとなの義務
のことをいっている。 そしてこれには、家族を養い育てることも含まれる。家族のない者は、育成して、生産的活動並びに創造的活動をしなければならないとしている。
 第八段階の成熟期における完全性対絶望と嫌悪は、以上の七段階の総まとめの時期である。こ
の段階では、自己のライフ・サイクルを全面的に受け入れる。例としては、両親を有りのままに
受け入れることや愛することができるようになって,自分の生涯は自分の責任であるなどの事実
を受け入れることがある。更に、時間や場所を隔てた人間に対しての同志愛や次代を通して受け
つがれてきたことを受け入れ、人間愛を実行し,自らの老いまでも肯定的に受け入れられるよう
になるとしている。
 以上が,エリクソンの自我同一性理論における人間のライフ・サイクルの八つの段階の説明で
ある。 この発達段階において、「自我同一性拡散(混乱)」は、第五段階の右側に位置している。第五段階では,誰もが社会・心理的に自我同一性を獲得することが課題とされている。 しかし,それに失敗した場合は,社会生活上の適応障害に陥り,病的な状態を示すようになってしまう。それが,「自我同一性拡散(混乱)症候群」である。この「自我同一性拡散(混乱)」の状態に陥る原因が,第一段階から第四段階での発達課題の未達成にあると考えている。つまり,この発達段階説を順に追うことは,「自我同一性拡散(混乱)」に至る人格形成不全の背景を探ることにおいて重要な点となってくるといえよう。

(3)わが国における自我同一性研究の動向

 わが国における自我同一性の研究が盛んになったきっかけとなったのは,小此木啓吾のE.H
エリクソンの諸研究の紹介によるところが大きい。特に彼の代表的な著書であ
る“Psychological issues “IDENTITY and The CYCLE? (自我同一性,アイデンティティとライ
フサイグル)の小此木レ(1973)による邦訳で研究者のみならず一般にも広まった。これを受けて,
自我同一性という概念を操作的に定義し,実証的な研究を行おうとする欧米の研究においても,
砂田(1978),藤崎(1975),ゾ安藤他(1975),井上他(1975,1976,1977)らによって,同様の
研究が進められた。
これらの研究の多くは,自我同一性が確立された状態を想定して定義しているので,自我同一性の問題を一般的な適応と区別していない点があった。これに対し無藤(1979)は,マーシカ
(1966)の手法を参考にし,方法論的な検討を行っている。また、砂田(1979)は,自我同一性
という概念を操作的に定義し,臨床的経験的な知見を得るために自我同一性拡散(混乱)の程度
を計る質問紙を作成している。   
 以上のような動向で現在に至っているかこの自我同一性に関する研究は,わが国においてそれ
が、紹介されてからまだ30年ほどしか経っていないので,教育心理学の領域においても比較的新しい研究分野であるといえよう。

                    II.調  査

1)調査の目的及び問題 
この調査の目的は,大学生における自我同一性拡散(混乱)の状態を調べるものである。自我拡散の尺度については,砂田(1979)らによる「同一性混乱尺度」を用いるものとする。砂田は(1979)は京都大学教養部(1・2年次)男子学生150名を対象に自我拡散についての尺度を構成し調査を行ったが,対象は男子学生のみである。これは尺度構成という立場から,被験者を限定したものと思われる。従って,本研究では、大学生における自我同一性拡散(混乱)における、男女差について言及するものとする。

                      方  法
1)被験者及び調査時期・場所                 
 被験者 東京都内の社会福祉を専攻する大学1年次生(男子学生78名,女子学生85名 計163名)。
2)測定の尺度  
 測定の尺度は砂田(1979)の同一性混乱尺度を用いた。  
砂田は、 自我同一性拡散(混乱)をEriksonの部分症候の記述に基づき、以下の8つの下位概念で定義した。
a)時間的展望混乱:時間に対する切迫感。時間に対する無力感。生活速度の低下。待てない
こと(時間に対する信頼の欠如)。希望が持てないこと。この定義は通常の時間的展望という意
味とずれがみられるが,Eriksonのたとえば「時間というものが存在しなかった幼児初期へ退行
すること」といったような多様な記述を基に定義したものである。以下の定義も同様の手続きを
踏んでいる。
b) 自意識過剰:恥。疑惑。自己確信の欠如
c)役割固着:空想への逃避。 罪の意識。自己放棄的な役割への固着。否定的同一性の選択。自由選択感の欠如。
d)労働麻蝉:労働の麻蝉。 ゛競争に対する過剰力意識
e)j同一性拡散(混乱) 内的同一感と内的連続感の欠如。両性的拡散(混乱):男性性確立の混乱。親密な対人関係の保持の失敗
g)権威拡散゛(混乱):権威に対する両義的態度。
h) 価値拡散(混乱) :価値観の混乱。 
 以上の概念に基づき,砂田らは、東大式パーソナリティ検査,矢田部ギルフォード性格検査、日本版MMP I, Eriksonの著書などを参考にして,各下位概念ごとに6項目計48項目からなる質問紙を作成した。そして,各下位概念に関する質問項目内容としては,以下のとおりである。

a)について 1.その日のうちにすべきことを翌日まで延ばすことがある。 2.何でも物事を始めるのがおっくうだ。3.ひとかどの人間になろうとする希望を失いそうになる。 4.待たれているととてもいらいらする。
b)について 1.私は十分に自分を信頼している(逆方向)2.やれる自信があっても人が見ているとうまくできない。3.私は自意識過剰だ。
c)について 1.一生の仕事についてたびたび志をかえた。 2.私はすまないことばかりしてきた人間だ。 3.どうしてよいかの決心のつかないことがよくある。 4.何かしているより空想にふけっているほうがよい。 5.時々ぼんやりしてとめともないことを考えていることがある。 6.今までの生き方はまちがっていた。
d)について 1.本を読んでもいままでのようによく理解できない。注意を集中するのに他の人よりも苦労する。 3.時々頭の働きがにぶくなる。 4.一つの仕事に打ちこむことができない。
e)について 1.今の自分は本当の自分でないような気がする。2.私には相反する2つの性格
かおるように思える。 3.気がかわりやすい。4.自分がなにものであるかわからない。
 f)について 1.異性の友だちはほとんどできない。2.私を本当に理解してくれる人はいない。3.女(女性の場合は男)に生まれればよかったと思う。4.良い友だちをたくさん持っている(逆方向)。
g)について 1.まわりの人は私を一人前にあつかってくれない。 2 .機会があっても私はよい指導者にはなれないだろう。 3.ほんとうに尊敬できる人が自分にはいない。 4. いばっている人がいると言うことがただしくてもわざと反対したくなる。 5.困った時には相談するおとながいる(逆方向)。
h)について 1 . 私は確固とした政治的な意見をもっている(逆方向)。2.私は安定した人生観をもっている(逆方向)。 3. 世の中の動きが時々わからなくなる。 4.悪いことがなにかわからなく
なることがある。
反応については。3件法とし、同一性拡散(混乱)の方向を示している。選択肢の反応を「はい」
が2点、「いいえ」が0点、「どちらでもない」が1点とし、できるだけ「どちらでもない」という反応をしないように求めた。なお、逆方向の設問に関しては、得点は「はい」と「いいえ」が反対となる。


 結  果

 本調査における,全被験者163人の平均得点は,29.64点で標準偏差は12.13であった。 これ
は砂田ら(1979)の結果(京都大学)と比べると有意に低いものである。 この得点を男女別でみると、男子では,平均が35.14で,標準偏差は,10.22となり,女子では,平均が24,02で標準偏差は7.
02となった。男子の方が統計的に有意に高い値を示した。従って,本調査においては,男女間の自我同一性拡散(混乱)の程度に差が出たといえよう。



                        考  察

 本研究を行い分析を加えた結果、大学生の自我同一性拡散(混乱)について次のようなことが分かった。
 今回の男女大学生の自我同一性拡散の程度は、平均して中程度であり、個人間差も先行研究(砂田ら、京都大学)のものと比較して大きくなかった。これは、今回の学生のほうが、京都大学の学生より自我同一性おいて安定していると言える。この理由としては今回の学生は、同じ一年次生であっても、専攻が社会福祉学であることによると考える。対して京都大生はまだ、専攻が決定されていない状態である。従って、将来何をすべきかを決めていない学生が多いことに起因していると考えられるだろう。
それならば、今回の東京の学生のほうが、同一性が安定しいて良い状態なのだろうか?必ずしもそうは言えないだろう。それは、もしかしたら自分たちはもうこれくらいで良いとあきらめている可能性があるかもしれないからである。このことに関しては、今後詳しく調べていく必要があるだろう。
 この問題は男女差についても言えるだろう。今回、自我同一性拡散(混乱)の得点は男子学生のほうが有意に高く、男女差があることが分った。これは女性のほうが発達が早いことに起因しているといえるし、目的意識がはっきりしているからかもしれない。しかし、これも自分はこの程度で良いと、ある意味ネガティブに考えている可能性もある。この点も今後の課題として検討していかなければ
ならないと考える。また、今回は一年次生を調査対象としたが、これが2年次、3年次と学年が上がっていくと結果も変化していくと考えられるので、この点に関しても今後の課題としたい。

 引用文献
(1) Mc’goldrick .M Ethnicity and Family Therapy, The Guilford pressNY1989 PP4~5
(2)砂田良一 「自己像との関係からみた自我同一性」教育心理学研究,第27巻第3号 1979
  PP178~179
参考文献
1.田島信元,「子供の発達心理学」福村出版.1987
2.杉原一昭,「事例で学ぶ教育心理学」福村出版.1987
3.杉原一昭,「事例で学ぶ教育心理学」福村出版
4.田中敬二,「発達心理学」日本文化科学社.1986     
5.Mc’goldrick.M Ethnicity and Family Therapy, The Guilford pressNY1989
6.Bourne.LE psychology, its principles and meaning , Holt Rinehart and Winston 1982
7.エリクソンE.H 「自我同一性(小此木敬吾訳)」誠信書房1985
8.砂田良一 「自己像との関係からみた自我同一性」教育心理学研究,第27巻第3号 1979
9.無藤清子 「「自我同一性地位面接」の検討と大学生の自我同一性」教育心理学研究,第27巻第3号1979




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