一般的にアメリカの中等教育は、多岐にわたっていて一概には言えません。
ただ、単位制で原則としては無学年制ですからその点は日本のそれとは
大きく異なっています。
もう中学校段階で大学のようなシステムになっていますから生徒が自由に
クラスを履修できます。この点はとても良いとおもいます。
ホームルームはあっても週に一回程度なので、日本のようにいつも同じクラスメート
といるわけではありません。
日本のようないじめがアメリカでは少ないのはそのせいかとも思います。
雰囲気は明るく生徒たちは元気がいいと思います。
ただ、生徒たちの学力に差ができてしまうという問題点もあります。
生徒たちはあまり気にしていないようですが。
良い点としては、生徒が好きな勉強に集中できることです。そして大学受験のための
勉強をしなくてもいいところでしょう。
大学準備校のプレップスクールでさえ受験勉強をすることはありません。
もちろん一流大学に入るためには、かなり勉強しなければなしませんが、「受験勉強」は
しなくてもいいのです。
「受験勉強」へのプレッシャーがないので、のびのびしているのだと思います。
この点もわが国の教育に取り入れることができたら良いと思います。
ただ、単位制で原則としては無学年制ですからその点は日本のそれとは
大きく異なっています。
もう中学校段階で大学のようなシステムになっていますから生徒が自由に
クラスを履修できます。この点はとても良いとおもいます。
ホームルームはあっても週に一回程度なので、日本のようにいつも同じクラスメート
といるわけではありません。
日本のようないじめがアメリカでは少ないのはそのせいかとも思います。
雰囲気は明るく生徒たちは元気がいいと思います。
ただ、生徒たちの学力に差ができてしまうという問題点もあります。
生徒たちはあまり気にしていないようですが。
良い点としては、生徒が好きな勉強に集中できることです。そして大学受験のための
勉強をしなくてもいいところでしょう。
大学準備校のプレップスクールでさえ受験勉強をすることはありません。
もちろん一流大学に入るためには、かなり勉強しなければなしませんが、「受験勉強」は
しなくてもいいのです。
「受験勉強」へのプレッシャーがないので、のびのびしているのだと思います。
この点もわが国の教育に取り入れることができたら良いと思います。
《真・善・美》
結論から言って、真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。
“ある時、何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのか、と。すると友人は、何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”
私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし、単純にからっぽという意味でもない。私という意識、世界という感覚そのものの原因のことである。この時、我々は『空・から』という言葉によって、人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。我々の世界は質感。また質感の変化から、その裏側に真の形があることを理解した。そして、我々はこの世界の何処にも居ず、この世界・感覚・魂の納められた躰すなわちこの裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。
《志向性》
目的は、何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路、それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは、或感覚を再び具現させる基盤としての目的経路の原因・因子が再び具現する能力と可能性を与える機構、手段によって、再具現可能性という方向性を得たものである。志向は複数あり、意識中にある凡ゆる感覚的対象に支配される。
『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは、表象下に複数の因子が存在するということである。』
『因子は経験により蓄積され、記憶の記録機構の確立された時点を起源として、意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』
我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し、再具現可能性を持つことが出来る場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。
志向が躰に対応している場合でも、因子の具現に対応した感覚的対象(条件)がない場合はこの志向は生じない。但し、意識を介さず、機構に直接作用する物が存在する場合もある。
《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』
『再具現性を与える機構としての己と、具現の方向を決定する志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』
生命は、過去の意識の有り様を何らかの形に変換し保存する記録機構を持ち、これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。
生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり、この志向が再具現の機構としての肉体に作用して変化を生じる。この為廃れる志向が生じる。
*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。
己と自の発展とは、躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識(現象)から新しい志向が生み出され、この志向が再具現の機構である肉体と意識に連動して作用する。生命は然の理に屈する存在ではなく、その志向により然としてある意識と肉体を変革する存在である。
『志向(作用)→肉体・機構』
然の理(ぜんのことわり)
自、志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。