最近はこの時期に「夏祭り」を行なっている地域もあるのですね。
暦の上では「秋」である9月下旬に、複数の地域で「夏祭り」が行なわれるようになったということは、このままでは「夏」に行なわれる「夏祭り」が消滅してしまうのではないかと思い始めた私であります。
(まあ、9月=夏というように人々の意識が変化するのであるならば問題がないのですがね・・・)
さて、今回は「祭のシーズン」というテーマなので、昔からこの時期が「祭のシーズン」となっている「文化祭」のお話をいたします。
先日、数年ぶりに出身高校(都内の某私立高校)の文化祭に行ってきました。
校舎の雰囲気は卒業した頃と変わりはなかったのですが、母校について書かれた某週刊誌の記事の影響からか、訪れている人々の雰囲気が、私が通っていた頃とは大きく変わっていました(勿論生徒も)。
また、出迎える先生方の顔ぶれが大いに変わっていて、時の流れを感じました。
顔見知りのとある先生と久々に会話をし、「大きく雰囲気が変わってしまった」という感想を述べたところ・・・
・ 教員が若返り、ベテランの先生の半分が退職されたこと。
・ 新しく入ってこられた先生方が、熱心に学習指導(ただし「大学に受かるため」の指導)や部活の指導を行なっていること。
・ 進級規定や生徒指導を厳格化し、これによって留年・(自主)退学をする者が増えたということ。
という3点が、私が「雰囲気が変わった」と感じた原因ではないかとお話されていました。
これらは皆先代校長が行なった学校改革の一環で始めたことだともお話されていました。
この話を聞いて、生徒や先生が一丸となって馬鹿なことをやっていて、なおかつのんびりとしていた時代に生徒だった私からすると、今この学校に通っている生徒は、「檻に入れられ飼育員に飼いならされた動物園の動物」と一緒ではないかと思ってしまいました。
確かに今の体制のほうが色々と将来有用な人を育てることが容易にできると思うのですが、これでは先生が生徒を引っ張ると言う形になるので、生徒は「先生の言うこと聞いていればうまくいく」と考えるようになり、結局自分自身で何か新しいことを考えられず、「応用力が育たなくなってしまうのではないか」と思います。
また、高校卒業の時点である程度応用力がないと、大学進学後や社会人になってから躓いてしまうのではないかと恐れています。
「大学に入るまで」の人間を育てることっていいことなのでしょうか?
そして目先の利益を追いかけることが学校教育なのでしょうか?
母校に対する疑問を更に深めた1日でした。
(なんか、祭って感じの話じゃないですね・・・)
久しぶりの投稿です。
あまり飽きっぽい性格では無いのですが、ものぐさな性格ゆえ数ヶ月間このブログを放置してました。
数少ないこのブログの読者向けに色々と報告を。
● 仕事関係
なんとか夏まで乗り切りました。
ただいま秋に向けて充電中です。
● 人間関係
前回の記事で色々と書いてありますけれど、今はなんだかんだって気楽ですw
入院してたところのほうが人間関係的には嫌な場所でした。
ただ、深い付き合いは無いのが欠点(?)ですが・・・
● 京急
6月終わりに初代京急1000形が引退しましたね。残念!
私は派手に最後を見送るということはせず、日常生活の一場面の中で最後を見送りました。
● 携帯電話の位置ゲーム
あまりこのブログでは話題にしていませんでしたが、2年ほど前から携帯電話のGPS機能を利用した位置ゲーム、「ケータイ国盗り合戦(以下 国盗り)」と「コロニーな生活plus(以下 コロプラ)」にはまっています。
当時1日の移動距離が160kmくらいあったので、その暇つぶしにと位置ゲーム始めた結果有効利用しようとした結果はまったという次第です。
どちらのゲームもレベルが比較的高めだということ、またゲームオーバが存在しないということから、飽きっぽくなければ続けられるゲームです。詳しくは、各公式ホームページを参照してください。
● 遠出
5月の連休中に栃木と浜松に行ってきました。
とまあこんな感じです。
また、気が向いたら書きます。
・精神的な面で疲れがくる→肉体的な面で疲れてくる。
・すぐ寝てしまう→早く目が覚めて眠れない。
・楽しいことがみつからない。
・やるべきことがあるのは分かるが、手がつけられない。進まない。
大学院に入院した当初に逆戻りです。
・すぐ寝てしまう→早く目が覚めて眠れない。
・楽しいことがみつからない。
・やるべきことがあるのは分かるが、手がつけられない。進まない。
大学院に入院した当初に逆戻りです。
お彼岸ですね。
このブログをみていらっしゃる方はお墓参りは済ませましたか?
私も昨日・一昨日と父方・母方双方のお墓参りに行って参りました。
タイトルにも書いてある通り、最近「気遣い」について考えさせられる出来事がありました。
具体的な内容については言及は避けますが、一言で言ってしまえば、
「(muneyukiは)なんでこんなに気がきかないんだ!」
という内容の感情論をいった人がいるっていうことです。
はっきり言って、これ言った人大人気ないです。
・・・こうやって書いてしまうと、「muneyukiは気がきかない人間」というふうに捕らえてしまう人も出てきてしまうので補足をしておきますが、
今回の「気がきかない」は、本当に「気がきかない」のではなく、
「気を遣うタイミングが悪い」という意味の「気がきかない」です。
これについては先方も言及しています。
(ただ単に相性が悪いだけかもしれませんが・・・)
人と接するときは、相手との意思疎通を図るために、
相手を思いやることや気遣うことが大切だと思います。
しかし、相手が自分のことに対して思いやりがなかったり、
気がきかなかったりしたことで目くじらを立てて、
「あいつは思いやりがない、けしからん!」とか
「あいつは気がきかない!」とか言ってしまうのはどうかと思います。
「他人は他人、自分は自分」という考え方を徹底していかないと、
こういったことに対して目くじらを立てることになってしまうのではないでしょうか?
---------------
ちなみに、私は以下のような「気遣い」をする人は正直苦手です。
・ せかせか気を遣い回る人
(本人が一生懸命なのであまり悪く言いたくありませんが、落ち着きがなくてあまりよい印象を受けません)
・ 裏が見て取れる気遣いをする人
(大抵分かってないふりしてますが、正直気持ち悪いと思っています)
このブログをみていらっしゃる方はお墓参りは済ませましたか?
私も昨日・一昨日と父方・母方双方のお墓参りに行って参りました。
タイトルにも書いてある通り、最近「気遣い」について考えさせられる出来事がありました。
具体的な内容については言及は避けますが、一言で言ってしまえば、
「(muneyukiは)なんでこんなに気がきかないんだ!」
という内容の感情論をいった人がいるっていうことです。
はっきり言って、これ言った人大人気ないです。
・・・こうやって書いてしまうと、「muneyukiは気がきかない人間」というふうに捕らえてしまう人も出てきてしまうので補足をしておきますが、
今回の「気がきかない」は、本当に「気がきかない」のではなく、
「気を遣うタイミングが悪い」という意味の「気がきかない」です。
これについては先方も言及しています。
(ただ単に相性が悪いだけかもしれませんが・・・)
人と接するときは、相手との意思疎通を図るために、
相手を思いやることや気遣うことが大切だと思います。
しかし、相手が自分のことに対して思いやりがなかったり、
気がきかなかったりしたことで目くじらを立てて、
「あいつは思いやりがない、けしからん!」とか
「あいつは気がきかない!」とか言ってしまうのはどうかと思います。
「他人は他人、自分は自分」という考え方を徹底していかないと、
こういったことに対して目くじらを立てることになってしまうのではないでしょうか?
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ちなみに、私は以下のような「気遣い」をする人は正直苦手です。
・ せかせか気を遣い回る人
(本人が一生懸命なのであまり悪く言いたくありませんが、落ち着きがなくてあまりよい印象を受けません)
・ 裏が見て取れる気遣いをする人
(大抵分かってないふりしてますが、正直気持ち悪いと思っています)