校舎の裏の桜

校舎の裏の桜
尾崎豊命日~出身中学校の想い出1画像 Vol.1 画像 Vol.2 画像 Vol.3 画像 Vol.4 画像 Vol.5 画像 Vol.6
尾崎豊11月29日誕生日に渋谷の歩道橋で会いましょうか
4月25日12時6分に、お墓で黙祷をささげる集いも恒例になり、命日にお墓参りをされる方々がおられるようです。
17年間、尾崎豊の命日は、雨の日が続いているようです。
歌にある校舎の裏でタバコをふかした焼却炉はありません。
尾崎豊のいたころ校舎の裏に室外プールがありました。
こちらは、第2体育館となり1階体育館、2階室内プールとなりました。
校舎も、昨年耐震補強のと冷暖房の工事が入り少しずつ姿を変えております。
桜の木も大きく成長し、今年も、母校の桜は、綺麗に咲きました。
開花が卒業式に間に合えばよかったのですが、間に合わず、4月7日の入学式の写真を撮りました。
尾崎豊さんと豊さんを慕う皆さまにささやかなご報告をしたく、掲載いたしました。
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追伸、(4月25日記事に追加いたしました。)
尾崎さんの中学生時代に、暴走族が流行り、また、それぞれの学校の一部の生徒が○○学校VS○○学校のような闘争で鉄パイプや木刀を持ち傷つけあった事件は、新聞にも載ることがあったと記憶しております。尾崎さんがそうであったということではなく、そのような時代背景であったということですので、誤解しないでくださいませ。
尾崎さんが中学校2年生の時、3年生のある生徒が、夜に校舎にしのびこみ、窓ガラスを壊しまわった事件がありました。卒業の歌詞にある「~夜の校舎、窓ガラス、壊してまわった~」は、この実話からきているものだと思います。
尾崎さんの1学年上の修学旅行で、宿舎のトイレでタバコをふかしたのを、先生に見つかった生徒が、顔を何発も殴られ鼻血を派手にだしたあげく、修学旅行の途中で自宅に返されるという出来事もありました。
この様な例のように、枠から外れた者への体罰は、あたりまえのように行われておりました。
今では、考えにくいことかと思います。
ここら辺の時代背景を知る方は、あの時が、リアルによみがえってくることと思います。
また、尾崎さんの曲は、リアル体験した方のお子さんなど次の世代にも浸透し、世代を超えたものになっているようです。
桜というと学校の卒業や入学の印象が強くあると思います。
ひょっとすると尾崎さんにとっての桜は、敏感な心のアンテナにふれる、やるせないのだったかもしれないと思いました。
尾崎さんが、当時、学校の桜をどんな思いで見ていたかは尾崎さんしかしりえぬことと思います。
最初に掲載しました文書でお伝えしましたとおり、桜の木も成長し、校舎や風景もかわりました。
今、生きていたら、どんな曲を、どんなメッセージを伝えてくれるのか・・・
それをイメージするききかけとして母校の桜の写真をえらびました。
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