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歴史と暮らしを変えた化学 第5回 NHKラジオ

保存してあったNHKラジオのバックナンバーです。

歴史と暮らしを変えた化学 第5回

東京大学非常勤講師・元法政大学教授…左巻健男

学習メモの抜粋。


間違いあれば、
私の聞き間違いか、理解不足です。
また、" "内は感想です。

今回は第5回、衛生化学と水、ローマの水道、コレラと水。

 

・衛生、生きることを衛(まもる)ということ。

・20才の青年男女では、
男では60%が水。
女ではそれよりも低い55%くらい。
筋肉にはかなり水が含まれていて、脂肪には水があまり多くないから。
筋肉量のが少なく脂肪が多い女性の水分比は低い。

・水ありで食料ナシならば3週間くらい生きられる。
水もなしだと数日しか持たないだろう。

・日本では湯につかる風呂の習慣は江戸時代から。
・世界で見ると湯の風呂は1万年くらい前に、
スコットランドで始まったと言われている。

・古代ヒンズー教徒は身を清潔に保つのが戒律だったため、
BC3000年ころには家庭に風呂があった。

・クレタ島の貴族は頭上に水ためのあるトイレを使っていた。
最古の水洗便所と言われている。

・パレスチナではダビデ、ソロモンが治めたBC1000-930にかけて、
水道網が整備されていた。

・古代ローマの公衆浴場は、スポーツ施設、
売店や詩の朗読をする会場などがある、複合施設であった。

・ローマ滅亡後の中世では、
衛生という観点では後退してしまった。

・キリスト教の戒律が人々の生活を規制していた。
いかなる肉欲もできる限り制すべきであるという考えから、
裸で風呂に入ることはダメになった。

それだと臭くなるので、香水が発達した。

・AD1500年ころに宗教革命が起きるが、
衛生観念はそのまま変わらずだった。

・1600年代に水道設備は一部に復活したのだが、
入浴用ではない。

"後北条氏時代の小田原の水道は、このころのヨーロッパよりも先進的だったのか。
中国ではどうだったのでしょうね?。"

・エチケットの語源は、庭園への立ち入り禁止の立て札のこと。
大きな催しがあると、排泄用のオマルが足りず、庭で用を足す事態になった。
それで庭が臭くなるのを防ぐため、立ち入り禁止の札を立てた。
立札の仏語はエチケットだ。

・スカートを履くのは、どこでも用を足せるように。
ハイヒールは汚物のぬかるみを歩いても、スカートが汚れないようにする必要性から。
この時代のハイヒールは踵だけではなく、つま先も高くなっていた。

・道路を歩いていると、2階から汚物が降ってくるので、女性を道の真ん中にエスコートする風習ができた。
マントは汚物を浴びても、衣服がやられないようにするためだった。

"この時代のヨーロッパはかなり衛生後進国ですね~。"


・コレラは1883年にコッホが発見。

・コレラでは下痢と嘔吐が起き、適切な治療をすれば死亡率11%。
何もしなければ約半数が死亡する。

・これより30年くらい前に、水が原因だと見抜いたスノーという医者がいた。
これが、衛生化学という学問分野の始まりではないかと言われている。

・それより前にはコレラの原因はミアズマ(不純物、汚染という意味のギリシャ語)という悪い空気がであると言われていた。

・スノーは水道会社が違うとこれらの死亡率が違うことに気づいた。
死亡者と住みかとを地図上にプロットしたところ、ある手押し井戸が原因だと思われた。
そこで、その井戸を使えないようにすると、コレラのが収まった。

・日本での近代水道は1887年横浜で始まった。

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