ピエロの綱渡り

お勧めできない綱渡り人生

軽い精神

2012-10-31 | 哲学
あらゆる「~業界」につきまとうイヤらしさ、うっとうしい感じは、そこにつきまとう閉塞的な自己満足と、不毛な尊大によるものに思われる。 パイを増やせばある程度は解決することかもしれないが、パイを増やすとはつまり、帝国主義に他ならない。売り上げ至上・巨大化信奉と云ってもいい。 限られたパイを奪い合うのは、不毛を再生産するだけになる。 もっと別の方法があるはずだろう。 * デカルト研究者とは、ある意 . . . 本文を読む

ところで

2010-08-26 | 哲学
日仏哲学会で9月11日(土)に発表する予定。 まだ整理と深化が充分なされていないんだけど…。 テーマはデカルトの身体論について。 ご興味ある向きはいらしてください。 ※ 写真はシチリアで知人の先生が作ってくれたズッキーニのパスタ。 ズッキーニを炒めるのではなく、オリーブ油で丁寧に揚げるのがポイント。これをウドンのような生パスタ(しかしウドンよりずいぶん腰がある)に合わせ、しまいにさらにオリーブ . . . 本文を読む

カリスマ拒否、権威却下

2010-07-30 | 哲学
とんでもなく時期ハズレになったけど、以下は『クレームとガイド』(2010年3月28日付)の続きのつもり。 ---------------------------------  ところが世間には、全国優勝のエースや模試の一位以外の者のほうがはるかに多いから、自分が何をすればよいのか、何をする能力があるのかがわからない。「どうすればよいかわからない」人たちが待っているのは、ただに導いてくれるガイド . . . 本文を読む

道徳法則?

2010-05-26 | 哲学
以下、悩みつつも働きまくり、稼ぎまくっている知人のブログに書いたもの。 --------------------- 汝の意志の格率が同時に普遍的立法の原理に妥当し得る様に行為せよ。(カント) それは努力か、職業か、安定した生活か、家族か、友人か? 否! それは愛だ!(聖ベルナール、パスカル、ジョン・レノン) 力だ!(ニーチェ) 存在だ!(ハイデガー) 善だ! (西田幾多郎) 爆発だ . . . 本文を読む

小うるさい「人工」

2010-04-28 | 哲学
 ひとの立てる音はうるさいが、自然の音は心地よい。隣でギターを弾かれるのはたいていうるさく、こちらの平安を乱すものだが、すぐそこで鳥がさえずったり、小川が流れたり波の音が聞こえたりするのは、こちらの精神の安定にむしろ寄与するくらいである。  あるひとのすることなすことは、他人にはうるさくてかなわないかもしれず、「こんなすばらしいものは世にまたとあるまい」として出された『モナ・リザ』とかロマネ・コ . . . 本文を読む

桜 その二

2010-04-05 | 哲学
 満開の桜は子供のころから見ていたにちがいないが、曖昧な記憶しかない。はじめて桜は美しいとハッキリ意識したのは、自宅から駅までの通り道にある接骨院の庭にある、八重桜の満開を見てからだった。そのころ二十歳前後だったと思うが、一本の八重桜の壮麗な満開ぶりに、その下に足を止めて眺め入る楽しみに初めて気がついた。モネの絵などを見て、わけがわからないなりにおもしろいと感じていた頃と、だいたい重なるのではない . . . 本文を読む

2010-04-03 | 哲学
 桜などを意識して見るようになったのは、いつ頃からだろう。子供のときは、あんなものを見たって、どうということはなかった。桜が咲いたからといって、大勢が集まって、その下で何やら騒いだりして、何がおもしろいのかと思った。  子供の関心は現実的で狭くて、自分に直接影響を及ぼすできごとにしか興味を示さない。桜が満開になったって、そんなことは自身に何の関係もない、彼には、いま何をして遊ぼうか、先日こじれた友 . . . 本文を読む

クレームとガイド

2010-03-28 | 哲学
 ところが、今回わたしが思ったのはそんなことではない。すっかり当初の思惑から話がずれたが、気になったのは「若者たちが、あたかも消費者として社会に『何とかしろ』とクレームをつけている」と氏が書いていたことである。  これは一面では、消費者というだけで王者のごとく(「こっちは客だぞ!」)ふるまえる、奇妙で極端な日本の現代社会の問題をついているのかもしれない、あなたが買った、何でもいいが、箱にある「お客 . . . 本文を読む

35歳

2010-03-03 | 哲学
 内田樹という、レヴィナスの弟子でいまは神戸の女子大で哲学を教えている先生の名前を知り合いから聞き、ちょくちょくブログを見ているが、日本の現代社会と哲学者の関わり方の、これはひとつの答えになりうるだろうと思われ、なかなかおもしろい。というのは、このひとの文章は何よりまずわかりやすい、哲学の下地はちょくせつ表には現れておらず、ただ身辺や世間の問題を気ままに論じているにすぎないのだが、だからこそ他人に . . . 本文を読む

考えてあることの喜び

2010-02-02 | 哲学
 今回はバリバリ西洋哲学。  デカルトの「考えるわたし」の底流に遍在する、「存在することの喜び」についてのわたしの発表についてのK氏の反論(これはK氏の自由意志の存在を否定する論と大いに関連している)への、再反論というか、わたしからの返信である。  こういう議論、わたしはそもそも苦手なんだけど(「では、得意なことは?」と一女性に訊かれ「酒を飲んで管を巻くことくらいですね」と答えたら「それはたぶん . . . 本文を読む

手料理はなぜうまいか

2010-01-02 | 哲学
 食事を喰う立場でばかり考えるから自己中心になる、作るほうになって考えてみれば、違う観点がハッキリ出てくる。  たとえば料理人の場合で考えてみれば、渡世の手段で仕方なく料理人になった人もいるだろうけど、そのような人であったとしても、自分の作った料理を客が「うまい」と喜ぶのは、嬉しいことにちがいない。料理人の気持ちを純粋に推し進めていけば、行き着く先は「自分の料理で多くの人に喜んでほしい」ではないだ . . . 本文を読む

食事で居心地よく

2009-12-25 | 哲学
 さらに言えば、食事とは自分が世界の中で生きていくための方法のひとつ、それもきわめて重要な方法である。これは自己保存というような意味ではなく、ハイデガーのいう現存在Dasein、「いまこの世界にいる(放り出されている)存在être-au-monde」が生きていくための、必要不可欠な方策としての食事、ということである。  つまり、われわれはこの世界にあって、本質的に居心地が悪い。それは、わ . . . 本文を読む

食事の哲学

2009-12-06 | 哲学
 まず思いつくのは、魂と肉体の結合の問題で、もし人間が純粋に魂だけの存在であるなら、食物摂取などはもっともナンセンスな行為になる。それを端的に表しているのが各宗教に見られる断食の教えで、人間を霊魂だけの存在に純化し、あるいは霊魂を今よりさらに高めるため、できる限り食べ物を摂取しないようにする、というのは、人間を霊的存在として見ると、きわめて理にかなった考えに思われるし、だからこそ、断食やその他の禁 . . . 本文を読む

当て馬の悲哀

2009-10-27 | 哲学
 北海道で義兄が経営するサラブレッド育成牧場に、ある日小学生たちが社会見学に訪れた。箸のような脚の優雅なサラブレッドが居並ぶ厩舎から離れた囲いの中に、地元の馬、通称「道産子」が一頭だけ、太い脚でぽつねんと立っている。体格ご立派なアングロ・サクソン人種の中に、ただひとり胴長短足の日本人が混じっているのを見るようで、まことに親しみが持てる。  だが、なぜ一頭だけ場違いな(そもそも場違いなのは、イギリス . . . 本文を読む