ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

三国街道を歩く     (須川宿から猿ヶ京宿へ)(群馬県) 2017.5.5

2017-06-23 09:07:51 | Weblog

(写真は、猿ヶ京関所資料館 )

昨日は、三国街道を永井宿から猿ヶ京宿まで歩き、
猿ヶ京温泉に1泊、宿の温泉に浸かって街道歩き
の疲れを癒しました。


今朝は、宿の近くの「猿ヶ京」バス停から、路線
バスに乗って、約10分、「たくみの里」バス停で
下車します。

「たくみの里」は、「三国街道」の「須川宿」でも
あります。

「たくみの里」には、陶芸・わら細工・竹細工など
の”手作り体験工房”や、そば打ち体験、
こんにゃく手作り体験などの様々な工房が点在
します。

これらの工房は、「須川宿」の農家を改築した
ものです。
ここには、「道の駅 たくみの里」もあり、1日中
過ごせる様なエリアになっています。
「須川宿」は、須川平と呼ばれる広い段丘面の上に
あり、街道は、ほぼ直線で、中央を水路が通って
いました。



上の写真の現在の本陣宅は、明治初期の建物です。

宿場の中央には、本陣兼問屋と脇本陣が隣り
合っていました。

1779年、脇本陣から出火、大火となり、隣りの
本陣を始め、須川宿の大部分が焼失したそうです。

明治に入り、「須川宿」は、鉄道からも遠く、
また、三国街道(国道)の直線化により、国道が
須川宿を外れてしまい、寂れる一方でした。

しかし、須川宿では、昭和59年から「たくみの
里」造りを進め、町並み保存、周辺の素朴な野仏
巡り等を中心に、コンニャク作り等の体験型の
施設を街道周辺に多数展開して村興しを始め
ました。

そして、平成8年「三国街道須川宿」として歴史
国道に指定されました。
宿場町のほぼ中央にある脇本陣跡は、次頁の
写真の「須川宿資料館」になっています。




資料館の門は、本陣の門を復元したもので、江戸
時代の本陣の門柱や門扉を使用しているそうです。

内部はワンフロアーの展示室になっており、本陣
の道具類の他、宿場町に関する古文書などが展示
されています。
(200円)(撮影禁止)

その古文書の一つ「須川新田町立て定書」には、
須川に新田を造れば、その分の3年間は年貢不要
にする旨が書かれています。

定書には、更に、新田造成の人足に盗賊を使って
はならない、とあります。

ということは、逆に言えば、NHK大河「女城主 
直虎」の様に、盗賊を人足に使っていた、という
事なのでしょうかねえ・・・

また、展示室の奥には、本陣の上段の間が復元
されています。

資料館を出て、たくみの里のメインストリート
「宿場通り」沿いの工房や食堂などを覗きながら
歩いて行きます。



「宿場通り」を抜けると緩やかな坂道になり、
ここを下って行きます。

ここからは、三国街道を、昨日とは逆方向に、
須川宿から猿ヶ京宿まで歩きます。

緩やかな坂道を下ったところに、「野仏巡り」の
旗が立っており、その奥に写真の「野仏
(道祖神)」がありました。



野仏の先も下り坂が続き、これをどんどん
進ん行きます。





下り坂が終わり、その先は、途切れ途切れに
現れる旧三国街道(中部北陸自然歩道)の
標識を頼りに、田園風景の中を歩いて行きます。





やがて、赤谷川に掛かる「あいのわたし」橋を
渡り、浅地集落に入ります。









集落を抜け、急な上り坂を上って行くと、国道
17号に合流しました。




国道17号を少し歩くと、左手に、「赤谷湖」
(あかやこ)沿いの猿ヶ京温泉街までの遊歩道
の地図がありました。



遊歩道の地図の近くに、上の写真の「謙信の
さかさ桜」(県指定天然記念物)がありました。
これは、上杉謙信が、関東出兵の際、逆さに
挿した桜の鞭が根付いた、と伝えられる樹齢
450年の桜の樹です。
地図に従って、赤谷湖沿いの遊歩道へ下りて
いきます。
ここから、赤谷湖の素敵な景色を堪能しながら、
猿ヶ京温泉街までウォーキングです。

赤谷湖は、赤谷川をせきとめた相俣ダムの人造湖
です。



江戸時代には、三国街道は、この湖の底に
ありました。

江戸時代からの三国街道沿いの笹の湯、湯島温泉
は湖底に沈みました。

現在は、三国国境の山並みを湖面に映す静かな湖
で、ワカサギなどの釣り場スポットになって
います。

赤谷湖遊歩道を、ぐるっと半周回って、猿ヶ京
温泉街を目指します。

こどもの日ということで、赤谷湖の湖面を
またいで、写真の鯉のぼりが元気に泳いでいます。



次頁の写真の様に、赤谷湖の奥の上越国境の山々
は、未だ雪化粧のままです。

また、前方には、猿ヶ京温泉のホテルも見えて
来ました。

赤谷湖の遊歩道から、猿ヶ京の温泉街の下の崖の
急な坂道を上って行きます。






赤谷湖の遊歩道から、急な坂道を上り切って、
猿ヶ京の温泉街に出たところに、次頁の写真の
「猿ヶ京関所資料館」がありました。
(300円)( 水・木休館 )

三代将軍家光によって設けられた関所の役宅で、
役宅が現存するのはこの猿ヶ京関所だけだそう
です。


この役宅の建物を利用して、関所に常備されて
いた武具類、良寛の通行手形、新鮭の献上手形、
昔の旅の様子、猿ヶ京関所付近絵地図などが展示
されています。


関連資料で江戸時代の三国街道の旅の様子も
知る事ができます。


資料館の係のオジサンが一つひとつ丁寧に説明
してくれます。


(隠れキリシタンの稔侍仏)


(良寛使用の通行手形) 


(草津温泉湯治女の通行手形)  


(女通行手形)


(磁石)

三国街道には、宿場毎に、佐渡送りの重罪人を
泊める牢があり、これは他の街道には無い三国
街道の際立った特徴でした。
そこで、ここの資料館の説明のオジサンに、
猿ヶ京関所の牢屋について聞いてみました。
オジサンは、古文書の関所周辺の地図を見せ
ながら、猿ヶ京関所の多くのスペースを牢屋が
占めていた話しをしてくれました。

また、佐渡送りのエピソードとして、長岡藩が
佐渡送りの重罪人を護送中に、三国峠で雪崩に
合い、藩士は全員死亡、とうまる籠の中の重罪人
だけが助かった、という事件もあったそうです。

資料館を出て、猿ヶ京の温泉街のメイン
ストリートを散策します。

温泉街のメインストリートの全体的な印象として
は、寂れてしまっている感じです・・・





町中には、足湯ならぬ、写真の様な”手湯”が
点在します。

手湯は、結構お湯の温度が高くて熱かったです。




今朝、温泉宿の朝風呂に入ったのですが、赤谷
湖畔遊歩道のウォーキングでかなり汗をかいた
ので、メインストリートの日帰り温泉の茶店に
入ます。

日帰り温泉の食堂で蕎麦を食べてから、一風呂
浴びて、横浜に帰りました。

新幹線を往復使うのは勿体ないので、帰りは各駅
停車で横浜まで帰りました。


(関越交通バス・猿ヶ京バス停)

(JR沼田駅)

猿ヶ京 → (関越交通バス)→ JR沼田駅
→ (JR上越線) → JR高崎駅→
(JR上野東京ライン) → 横浜
コメント (10)

三国街道を歩く           (永井宿から猿ヶ京宿へ) (群馬県) 2017.5.4

2017-06-10 05:57:23 | Weblog

(写真は、三国街道沿いの満開の桜と桃の花)
東海道・中山道・日光街道の踏破が一段落した
ので、現在、「日本の街道(三省堂)」
(1,500円)を読みながら、これからの街道
歩きの構想を練っています。
日本の街道ハンドブック―「旅ゆけば心たのしき」街道小事典
竹内 誠
三省堂

この本は、以前にご紹介した「日本の街道(西東
社)」(1,500円)とよく似た本ですが、街道
沿いの歴史上の事件がコンパクトに説明されて
おり歴史ファンにはこちらの本の方がお薦めです。

街道歩きについて多少の知識を持つ人にとっては
要点の復習的な内容に過ぎませんが、街道歩きに
関心のある初心者にはお薦めの本です。
街道歩きの入門書として最適ですし、五街道踏破
後にどの街道を歩くかを検討するのにも最適です。

五街道については勿論、主要な脇往還についても、
はほぼ網羅しています。
関東、中部、近畿、中国、九州別に、各々の地方
の街道の地図と説明が、非常に簡潔にまとめて
あるので、地方の街道巡りの計画をたてる際にも
参考になります。

そして、この「日本の街道」を読んでいて、
その中の「三国(みくに)街道」を少しだけ
歩いてみたくなりました。
当時、江戸から越後・佐渡へ行くには、中山道の
高崎宿から分かれる「三国街道」を通り、、渋川
を経て、「三国峠」を越えなければなりません
でした。
そして、案内書によると、「三国街道」には、
他の街道には無い際立った特徴がありました!
その特徴とは、驚くことに、何と、宿場毎に、
佐渡送りの重罪人を泊める牢があった事です!

と言う訳で、先月のゴールデンウイークは、
「三国街道」を少し歩いて、群馬の猿ヶ京温泉
で1泊して来ました。
上野(8:58) → 新幹線Maxとき309号
→(10:06)上毛高原 上毛高原(10:32)
→ 関越交通バス→(11:10)猿ヶ京温泉
→ タクシー→ (4km)→永井宿











上の写真の猿ヶ京温泉のバス停から、タクシーに
乗って、約10分で、「三国(みくに)街道」の
「永井宿」に着きました。

「永井宿」(群馬県新治村)は、この先にある
三国峠への急斜面にへばりつく様にしてありました。

越後(新潟)と上州(群馬)の国境にある「三国
峠」は、冬は豪雪、夏は雨による土砂崩れの難所
でしたが、越後と江戸を結ぶ最短ルートだった
ために、多くの旅人が利用しました。
山深い宿場町にも拘わらず、越後側から上州側に
入って最初の宿場だったので、本陣を含めて
33軒もの宿があり、米の問屋場としても栄え
ました。
更に、永井宿の近くには、弘法大師が発見した
と言われる法師温泉があったので、湯治客も
この街道を往来しました。
路線バスを下りて、先ず「本陣跡」へ行きます。







本陣跡から急な坂を下りると、右手に上の写真の
「永井郷土館」がありました。
この郷土館は、廃校になった猿ヶ京小学校の永井
分校跡に設けられたのだそうです。

大名の高札や武具など約500点が展示されて
います。
ここで、三国街道歩きの情報を集めます。
それによると、古くは、上杉謙信が、関東へ出陣
する際に、十数回も三国街道の三国峠越えをした
そうです。
また、江戸時代の大名行列では、長岡、村上、
新発田などの各藩が三国街道を利用したそうです。
そして、現在では古碑や道祖神を巡るハイキング、
三国山登山道としてハイカーが永井宿を訪れて
いるそうです。

(戊辰戦争の前哨戦で、この地で、旧幕府軍として
 激戦を戦った郡奉行・町野源之助の写真)


郷土館のオジサンの話しだと、永井宿からは、
中部北陸自然歩道(旧三国街道遊歩道)の矢印に
沿って歩けば、簡単に猿ヶ京宿へ着ける様です。


郷土館を出て、坂道を更に下ると、右手に細い道
がありますが、矢印に従って、ここ永井宿から
猿ヶ京宿へ旧三国街道へ入って行きます。-


山道の街道沿いには、春の花が咲き乱れ、気分は
ハイテンション!、快適なウォーキングです。







森林浴を楽しみながら、渓谷沿いの中部北陸自然
歩道(旧三国街道遊歩道)の爽やかな
ウォーキングが続きます。






上り下りのある気持ちの良い坂道を歩いて行くと、
写真の「会津藩士白虎隊 町野久吉墓」が
ありました。

これは、戊辰戦争の前哨戦の三国戦争で戦士した
会津白虎隊の町野久吉ら5名の若者の墓です。

久吉は、槍の達人で大いに新政府軍を悩ませ
ましたが、数発の銃弾を受け、17才の若さで
壮烈な戦死を遂げました。
久吉の首は、永井宿の高札場に、竹に刺されて、
7日間晒されたそうです・・・

そして、町野久吉墓の先には、突然、工事中の
表示と、ダムのような壁が…。

旧三国街道は、ここで消滅している様です・・・

工事の道案内のオジサンに聞いてみると、現在、
新三国トンネルを掘る工事が行われており、
トンネルを掘削した際の残土を、ここに捨てて
いるとのことでした。

仕方なく、いったん国道17号に出て、この工事
現場の残土廃棄用のコンクリートの壁(写真の
赤丸印)を迂回します。

暫く国道17号を歩いて行きます。
間もなく、17号沿いに目を見張る様に色鮮やかな
桃の花と満開の桜が!

余りの美しさにウットリとして、暫く
立ち止まって眺めます。

更に、国道17号を歩いて行くと、旧三国街道
遊歩道へ戻る表示がありました。



再び、春の花が咲き乱れる山道の快適な
ウォーキングです。







永井から猿ヶ京まで4キロですが、上り下りの
ある坂道なので、久し振りの街道歩きは、結構
長く感じました。


やがて遊歩道は小さな谷を渡り、その頃になると
前方に赤谷湖が小さく見えてきました。

湖畔がゴールの猿ヶ京宿です。



猿ヶ京宿が近づくと、街道沿いには数多くの
お地蔵さんがありました。
医療の乏しいこの辺りの山村には、お地蔵さんを
祀り「おがんしょ(願)かけ」をして、病の回復
を願う風習があったそうです。

(耳だれ地蔵)
街道沿いには、耳だれ地蔵やいぼ地蔵など、江戸
時代の人々が、悩まされたであろう疾患の名が
ついた地蔵がいくつもありました。

(いぼ地蔵)

(子育て地蔵)


(目の薬師)



(二十三夜塔)


今晩は、ここ猿ヶ京温泉街の次頁の写真の
温泉宿「吉長」(きっちょう)に宿泊します。


(1泊2食付ゴールデンウイーク料金:14,580円)



宿の温泉にゆっくりと浸かって、街道歩きの
疲れを癒します。
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