ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その5) (遊行柳:栃木県)     2017.10.11


(写真は遊行柳 )

「遊行柳」は、 時宗の宗祖である一遍上人(遊行上人)が、
旅の途中で使用していた柳の杖が、ここに根付いて柳に
なった、という伝説に由来します。

芭蕉は、奥州街道の芦野宿の外れにある「遊行柳」

(ゆぎょうやなぎ)と呼ばれる柳を見に行きます。
芭蕉が尊敬する西行法師ゆかりの柳だからです。

西行法師が詠んだ柳は、冒頭の写真の様に、今でも田の畔に
残っています。

”道のべに 清水流るる柳かげ しばしとてこそ
 立ちとまりつれ”(西行法師)

(旅に疲れて、道の脇の清水が流れている柳の木の下で、
 しばらく休もうと思って立ち止まった。)

西行のこの歌は、謡曲「遊行柳」の舞台で詠われたため、
これにより、芦野の柳は「遊行柳」として広く世に知られ
歌枕の地になっていました。
芭蕉は、親交のあった芦野地方の領主の芦野氏から、「私の
領内にある遊行柳を見せたいものです」と度々言われて
いました。
ぜひ一度見たいものだと思っていたのだが、ついに今日、

この柳の陰に立ち寄ることが出来た、と芭蕉は感無量に

なります。
芭蕉は、柳の木の下で、しばしもの思いにふけります。

”田一枚 植えて立ち去る 柳かな”

 (有名な柳の陰で西行法師を偲んでいると、いつの間にか
  時間が過ぎ、気がつくと人々は田を一枚植え終えて
  立ち去ってしまった。)

いつの間にそんなに時間がたったのか、と芭蕉は我に返り、
この場を立ち去りました。

我々のバス旅行は、田んぼ道からの遊行柳への入口を入って
行きます。






那須湯泉神社の参道脇の左手の石囲いの中に、冒頭の写真の
「遊行柳」がありました。



「遊行柳」の傍らに、上の写真の芭蕉の「田一枚
植て立去る柳かな」の句碑がありました。

現在の遊行柳は、何代か植え替えられています。

でも、周辺は、多分、芭蕉の時代から変わらない一面の

田んぼです。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「街道歩き」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事