ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

バスで行く「奥の細道」(その40) 丸岡城(福井県) 2019.6.11

2018-12-22 23:45:31 | Weblog

 ( 丸岡城の天守)

我々の「奥の細道」バス旅行は、宿泊地の山中温泉を出発して、芭蕉が宿泊した全昌寺などに立ち寄りながら、丸岡城へ向かいました。

芭蕉も、丸岡の城下町を抜けて福井へ向かいました。

 

上の写真の「日本一短い手紙の館」の駐車場でバスを下りて、駐車場の斜め前の「丸岡城」へ向かいます。

「日本一短い手紙の館」は、信長と家康の連合軍が武田を破った長篠の戦いの陣中から、家康の家臣の本多重次が妻にあてた手紙を題材に建てられた観光施設です。

”一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ” (日本一短い手紙)   

武士らしく余計な事には触れず、留守中には火事に気を付け、 「お仙」(仙千代という彼の子供)の面倒をよくみて、馬などの貴重品を大切にしろ、という意味です。

簡潔明瞭に用件を伝える短い文ですが、その中にも、家族を気遣う優しさが伺えます。 

ちなみに、「お仙」(仙千代)は、のちの丸岡藩・初代藩主の本多成重の幼名です。

 

「丸岡城」は、戦国時代の1576年、一向一揆への備えとして、織田信長の命により、柴田勝家が甥の柴田勝豊に築かせ、城下町を整備させました。

柴田勝豊の後、城主は、安井氏、青山氏を経て、1613年に本多成重(お仙)に代わりました。

しかし、4代目の本多重益は、酒に溺れ無能だったうえに、家臣団内部の内紛まで発生したため、幕命により領地没収(改易処分)となりました。

1695年、本多氏に代わり有馬氏が、越後の糸魚川から5万石で入城し、その後、幕末まで8代続きました。

 

丸岡城の天守は、姫路城や松本城などと共に「現存12の天守」のうちの一つですが、この現存天守の中では最古だそうです。(国重要文化財)

丸岡城の「天守閣」の外観は二層、内部は三層の「望楼型天守」です。(450円)

 

天守へと上る中の階段は、階段というよりも”縄梯子”と言った感じのほぼ垂直の階段で、必死で補助のロープを掴みながら、ようやく3階の天守まで上りました・・・

天守からは、丸岡の町が一望できます。

上の写真の赤丸印の小学校のグランドの辺りが「二の丸御殿」跡です。

天守の屋根は珍しい「石瓦」で葺かれており、石の瓦の天守は全国でここだけだそうです。

これは、北陸は雪が多くて寒いため、普通の土の瓦では割れてしまうからだそうです。

天守の石垣は、上の写真の様に、”野づら積み”という古い方式で、隙間が多く、粗雑な印象ながら、排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。

福井震災で落下した「石製の鯱(しゃちほこ)」は、現在は、上の写真の様に、天守閣登り口の階段脇に展示されています。

 

丸岡城の周辺は、築城400年を記念して造られた公園で、園内の上の写真の「歴史民俗資料館」には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。

 

 

 

丸岡城を出てから、名古屋駅から新幹線で東京へ帰りました。

名古屋(17:39) → のぞみ → (19:20)東京

 

ps. ご参考までに、これまでにご紹介した城を下記に書き出してみましたので、城に興味のある方はクリックしてみてださい。

なお下記の城名で、(100)とある城は「日本100名城」で、(200)とある城は「続日本100名城」です。

 2019/3の川越城(100)(埼玉県)、2018/11の小峰城(白河城)(100)(福島県)、2018/9の吉野ケ里(100)(佐賀県)
2018/12の韮山城(静岡県)、2018/9の熊本城(100)(西南戦争)、2018/9の佐賀城(100)
2018/10の八代城(200)(熊本県)、2018/7の新発田城(新潟県)、2018/3の船岡城(宮城県)
2017/11の白石城(100)(宮城県)、2017/11の二本松城(100)(福島県)、2018/8の松代城(100)(長野県)
2018/8の上田城(100)(長野県)、2018/3の仙台城、2018/3の多賀城(100)(宮城県)
2018/3の佐敷城(熊本県)、2018/10の一夜城(小田原市)、2018/5の小田原城
2018/5の小田原城・北条五代祭り、2017/11の大田原城(栃木県)、2017/12の箕輪城(群馬県)
2017/10の喜連川城(栃木県)、2017/10の勝山城 (栃木県)、2017/9忍城(200)(埼玉県)
2017/8の沼田城(200)(群馬県)、2017/8の名胡桃城(200)(群馬県)、2017/8の小机城(200)(横浜市)
2017/4の熊本城(100)(被災後)、2017/4の館山城(千葉県)、2017/1の宇都宮城
2017/1の徳次郎城(栃木県)、2016/12の金山城(100)(群馬県)、2016/11の小山城(栃木県)
2016/11の古河城(茨城県)、2016/9の今治城(100)(愛媛県)、2016/4の彦根城(100)
2016/4の福江城(200)、2016/4の熊本城(100)(被災前)、2015/10の岐阜城(100)
2015/10の犬山城(100)(岐阜県)、2014/7の小倉城(200)、2014/6の福岡城(100)
2015/5の苗木城(200)(岐阜県) 、2014/4の島原城(100)、2012/3の水口城(滋賀県)
2012/02の亀山城、2012/1の桑名城、2011/12の吉田城(200)(愛知県)
2011/11の 浜松城(200)、2011/11の掛川城(100)

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4 コメント

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丸岡城  (もののはじめのiina)
2019-08-07 11:24:01
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の日本一短い手紙は、小学生で習った気がします。
お仙を娘さんと思ってましたが、丸岡藩・初代藩主の本多成重の幼名(仙千代)でしたか。 φ(..)メモメモ

丸岡は、いつも通過するばかりでしたが、お城が現存天守の中では最古だったとは("^ω^)・・・
垂直の階段を縄梯子で登ったのは、お疲れさまでした。


> 藤山直美は、顔も雰囲気も、ホントに父の寛美によく似ています。
遠目からでもよく似ていました。



お仙は丸岡城の初代藩主 (ウォーク更家)
2019-08-07 12:15:02
そうでしたか、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は、小学生の教科書でしたか。

そうなんですよね、ほとんどの人が、お仙は娘の名前だと思っていますよね。

そうですか、仕事で丸岡はいつも通過でしたか。

そう、丸岡城の売りは、現存最古の天守らしいです。
丸岡城 (hide-san)
2019-08-09 15:31:00
柴田勝家が左遷されたお城だったような記憶がありますが、
違いましたか?

カミさんと一緒に登って、隠居所のような小さな城だなあ、と話した記憶です。
丸岡城の天守 (ウォーク更家)
2019-08-09 22:19:55
そうでしたか、奥様とご一緒に、あの縄梯子の様な階段を上がって天守に登られたのでしたか。

そう、天守も非常に狭く、確かに、隠居所のような小さな城ではありました。

織田信長の時代は、越前一帯は柴田勝家の領土だったので、勝家は甥の勝豊に丸岡城を築城させたらしいですが、「歴史民俗資料館」にも、丸岡城が勝家が左遷された城だった、という説明はありませんでした。

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