(写真は、「肥薩オレンジ鉄道」のロゴマーク入りの
「くまもんバッグ」)
最近は、町人に変装した徳川慶喜(松田翔太)が、品川宿で
女遊びをしているところで西郷(鈴木亮平)に遭遇するなど、
歴史的に有り得ないシーンに微妙にテンションが下がり
つつも、NHK大河「西郷どん」を毎回見ています。
(原作者の林真理子が、暴れん坊将軍のストーリーと間違えて
書いた?)
それでも、毎週見ているうちに、西郷や篤姫も通ったという
「薩摩街道」を歩いてみたくなりました。
という訳で、3/16から3/24まで、熊本の実家に帰省して
いた間に、「肥薩オレンジ鉄道」に乗って「薩摩街道」の
宿場町へ行って来ました。
熊本駅から、鹿児島本線に乗り、八代駅で「肥薩オレンジ
鉄道」に乗り換えます。
「肥薩オレンジ鉄道」は、熊本県の八代(やつしろ)駅から、
鹿児島県の川内(せんだい)駅まで、九州南部の西海岸の
117キロ、28駅を走ります。
ちなみに、八代から人吉経由で鹿児島とを結ぶのは「JR肥薩
線」ですが、今回乗車する第三セクターの「肥薩オレンジ
鉄道」と名称が似通っていて、ちょっと紛らわしい気も
します。
JR鹿児島本線・熊本駅(6:45) → (7:23)八代駅(7:58)
→ (肥薩オレンジ鉄道) → (8:42)佐敷駅
熊本駅を出発したJR鹿児島本線は、熊本県第2の都市である
終点の八代(やつしろ)市を目指します。
ちなみに、八代市出身の歌手・八代亜紀は、”やつしろ”
ではなく”やしろ”です。
ついでに、熊本市の名所は熊本城と水前寺公園ですが、歌手の
水前寺清子は熊本市出身です。
更についでに、歌手の森高千里(ちさと)は熊本出身ですが、
熊本名所の阿蘇の草千里(くさせんり)や高森町と関係がある
のかないのか、私はよく知りません・・・?
鹿児島本線の終点の八代駅で「肥薩オレンジ鉄道」に乗り換え
ます。
(肥薩オレンジ鉄道の八代駅)
肥薩オレンジ鉄道の始発駅の八代駅の改札口で売っていた、
下の写真の地域限定・肥薩オレンジ鉄道ロゴマーク入りの
「くまもんバッグ」を衝動買いしてしまいました。
(2,000円)
我ながら、”地域限定”には弱いなあ~。
肥薩オレンジ鉄道の始発駅である八代駅に、折り返しの電車が
入って来ました。
上の写真は、折り返す前に、追加の車両を連結して、車両の
数を増やしているところです。
肥薩オレンジ鉄道は、右手に不知火海(しらぬいかい)の景色
を眺めながら海岸線を走って行きます。
不知火海は、波もなく鏡の様に静かです。
八代駅から8駅目の佐敷駅で下車します。(熊本県葦北郡
佐敷町)
到着した佐敷駅のホームからは、加藤清正が築いた「佐敷城」
の石垣が見えます。
(上の写真の赤丸印が佐敷城の石垣)
(駅のホームの名所案内)
駅のホームでは、ギネスに登録されたという「葦北
(あしきた)鉄砲隊」の看板が出迎えてくれます。
下の写真は、「佐敷城」を背景にしたその「葦北鉄砲隊」
です。
かつて、ここ芦北地方(佐敷)は、細川藩にとっては、薩摩藩
(鹿児島)と相良藩(人吉)との藩境を接する防衛の拠点
でした。
「葦北鉄砲隊」は、1630年代に、熊本・細川藩が、防衛の
目的と、帰農していた旧勢力である加藤清正の遺臣達を
取り込むために、在地浪人からなる鉄砲隊を組織したのが
始まりだそうです。
天草・島原の乱では、葦北鉄砲隊は、原城総攻撃において
目覚しい活躍をみせました。
(天草・島原の乱については、「島原の乱の真相」を見てね。)
その後、400数十名に上る藩直属の鉄砲隊「葦北御郡筒」
(あしきた おごうりづつ)として、明治3年まで配備
されていました。
そして、2014年に、本物の火縄銃を使い、大人数が一斉に
空砲をならすギネス世界記録への挑戦イベント「全国
火縄銃サミット」が、ここ芦北で開催されました。
このサミットへは、全国約30の鉄砲隊や、韓国、イギリスの
鉄砲隊も参加しました。
このイベントで、葦北鉄砲隊の251人が、一斉に空砲を発射
し、ギネス世界記録に認定されました。
古くは、豊臣秀吉が大軍を率いて押し寄せたという「薩摩
街道」は、江戸時代には参勤交代の通り道でした。
「佐敷(さしき)宿」は、肥後(熊本)と薩摩(鹿児島)を
結ぶ「薩摩街道」の要衝の地で、「佐敷城」の城下町でも
あります。
駅で貰った佐敷宿絵地図を見ながら、佐敷駅から徒歩15分の
「薩摩街道」沿いの「佐敷宿」を目指して歩き始めます。
(to be continued ・・・)