(写真は、私ではありません。念のため・・・)
横浜駅を早朝6:38に出発、前回の続きの六合駅をスタート
して島田宿へ向かいます。
島田宿の大井川近く近くまで来ると、往時をしのばせる
大井川の川越遺構があります。
遺構には、当時の家屋が復元されています。
家屋の暗闇の中に、冒頭の写真のがっしりした体格の
川越人足を見たときは、思わずギョッとしましたが、
当時の雰囲気が良く伝わってきて楽しいです。
(人足は、私の仮装写真ではありません。念のため。)
更にその奥には、川会所(かわかいしょ)が、当時の家屋と
共に復元され、川越の業務を行う役人の人形が置かれて
います。
川会所で、当時、役人が行っていた川越の業務とは、水位の
深浅による賃金の決定や、川越えの優先順位の決定だった
そうです。
川会所には、実際に大名が川越えに使用した御駕籠や蓮台
などが展示されています。
大井川は通常で、76センチ(2尺5寸)の水深があり、
水深が150センチ(5尺)になると、一切の川越えが
禁止される「川留め」になったそうです。
ひどい時には、1カ月以上の「川留め」もあったそうです
から驚き!
1カ月も旅の予定が狂ったらたまりませんよね!
でも、水深150センチの「川留め」のときでも、幕府の
公用文書については、20~30人もの特別に選ばれた人足
が川を越えたそうです。
「東海道中膝栗毛」では、大井川の川越の様子が描かれて
います。
人足と交渉し、蓮台渡しが800文と吹っかけられた弥次さん
と喜多さん。
川会所で、公定料金を決めてもらい、渡ろうとしますが、
それでも480文とやや高め。
ならば、値切ってやろうと、脇差2本のうちの1本に、
刀のさやにかぶせる袋を長く伸ばして、大小二本の刀を
差している様にみせかけます。
武士の振りをして脅そうとしますが、刀のさやに
かぶせた袋が柱につかえて二つに曲がってバレてしまい、
慌てて逃げ出します。
大井川は私の想像以上に大きく、橋を渡るだけで15分も
かかります。
島田宿から金谷宿まで約4キロです。
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