忙中 A 閑話

 近頃、皆様妙に忙しい。忙しすぎるのはあ・かんわ(*^^*)
 無駄話でも致しましょ。

恐るべし植物人間

2006-01-30 04:35:58 | Diary
去年の春、新しいデジカメを買った。
おととし辺りから、妙な拾い物をする癖が出始めていたのだが、
デジカメを買った辺りから病膏肓に入るという感になり、
とうとう近頃はやりの某SNSで植物日記なんぞをつけ始めた。
なに、うちの旦那の話である。
 その上、学生時代の友人が、訪れる野鳥の賜物を
庭造りに利用しておられるのを知り、弾みがついちゃった。
もう休みの日ともなれば朝な夕なに散歩と称して
そこいらをほっつき歩き、写真撮ってくるか、何か拾ってくる。
そこまではまだいいんだけど、この友人俳句も嗜まれるようで、
頂いた年賀状には俳号が。
で、刺激されちゃって、図書館で俳句の本かなんか借りてきちゃうし。
俳号はなんにしよーか、ってあんた、一句も捻らんうちに
形からはいるんぢゃないっ!
 んでもって、昼前、んなこと言ってたくせに、
夕方になったら、俳句は向いてない、だと。(爆)

去年の9月に土曜遊友やったときは参った。
土曜日なので、通常のパートナーの方には余りお手伝い頂けないから
とりあえず子ども連れて後から来て頂戴と言いおいて、私ゃ先に学校に。
10時を過ぎて、参加者がわらわら集まって受付を始めた頃、
子どもと旦那がやってきた。
体育館の入り口にいる旦那のところに行ってみて驚いたねー。
スリッパも履いてないのはともかく、靴下の左右が違う!
それもスカイブルー黄土色。(爆)
勘弁してくれよ~。顔から火が出るかと思ったし。
帰って履き替えて来いという私に、へーきだよ、誰も気付かないよと言う旦那。
気がつきますって。ε-(´・`) フゥ
そのまんま体育館に入ろうとするのを体はって阻止、引きずり出す私。(・_・ )=C(o_ _)o.....ズズッ
なんやらおかしな気配を感じたのか、オレンジ(の補助メモリ)が声を掛けに来た。
「ちょっと~、見てよ、あの足元!」という私に
「いやー男の人は仕方ないよ、スリッパの事まで気が回らないよ」と
かばう発言をした後、オレンジが固まった。目が点々、口が開けっぱに近い。
入り口の扉に隠れて見えていなかった、もう片方の足が目に入ったのだ。
次の瞬間、噴いた!(遠慮深いオレンジ、普通は本人の前で噴き出したりせん。)
子ども達がどんどん入ってきているのにもかかわらず、入り口で揉めている夫婦。
みっともねー。(T_T)
とりあえず私が勝ちを修めて旦那は履き替えに帰った。
ったく、穴の開いた靴下片っぽだけ捨てるのやめれ!
色違い知ってて、そのまんま履いてくんな~!!
ちゃんと1足にまとめてある方を履け~!!!

まだまだある。
1月の12日に病理の結果を聞きに行く事になっていて、
ご家族もご一緒にというので、旦那にもその旨伝えて休みを取ってもらった。
駐車場に車を入れて、病院正面玄関に向けて歩いている途中。
「んで、おかーさんは今日からいつまで入院だい?」
「はい~?なんざんしょ~?へー、ほー、ふーん。
 今日から入院するっちゅうのに、私ゃハンドバッグぶら下げただけで、
 あんたは手ぶらでのこのこ歩いているっちゅうわけかいっ!」
「なんだ、入院しないのか。そーかそーか」
「そーかじゃないわよ、子どもはどーするつもりだったのよ」
「いや、今日帰ってカレーでも作ればいいかと思ってたさ」
「・・・・さよですか」
で帰ってみると、子どもは既にピアノの後、バレエに出かけていた。
旦那が子どもを迎えに行って帰ってくるなり、坊主が
「なーんだ、やっぱりおかーさん帰ってきてるじゃん」
後で聞いたら、私の友人でもあるピアノの先生に坊主が
お母さん今日からまた入院と言ったらしい。
で、私から話を聞いていた先生、
「いやいや、だいじょうぶよ。今日はお話聞きに行っただけだと思うよ。
ちゃんとお母さん帰ってくるよ。」と言ってくれた。
ったく、他人の方がよく判ってるし。
旦那にその話をしたら、「ぐわはははは。今日からお母さん入院だ。
いい子にするんだぞ、と言い聞かせておいたんだ。どーだ、参ったか!」だって。
はいはい、参りました。_| ̄|○

万事この調子なんである。
おまけに乳癌なんか切ったら終わりくらいの気でいるのである。
抗がん剤は爪が剥がれるそうだ、と言ったら初めてビビったようだ。
何でも自分で調べて自分で決めたい私としては、押し付けもオタオタもしない分、
楽と言えば楽なんだが。
骨惜しみはしないので、とにかく頼んだ事だけはなんでもやってくれるしね。
だけど、子ども置いては絶対死ねないと毎々決意を新たにしちゃうんである。(笑)

で、彼の病膏肓の方の拾い物、種やら実やらがずいぶん溜まってきた。
あの木はなんとかで、こっちの藪はかんとか、と講釈を垂れるので、
会社では当初「植物人間」と名づけられたそーだ。
まだ私の病が発覚する前だったのだが、縁起でもないと却下を申し立てるよう
言ったら、近頃では「園芸部長」と言われてるとか。
「演芸」のほうならおよそ縁がない人間だし、家には庭もないのだけれど、
命名の妙に免じてよしとしている。
んだけれども、昼休みの散歩の為にデジカメ持ち出すのやめれ!
肝心なときいつも使えないじゃないかぁ。

ところで、いよいよ明日から入院だ。
どうせ退屈しそうだし、携帯からbrogの更新でもするかな。







身の縮む思い

2006-01-29 04:13:48 | Pink Ribbon
頚骨症の痛みが治まってきた。v(^^)
「おい森」は同居の息子が借金を返してくれたので、2階ができた。
さっきは、ふた回り以上年下の妙齢の女性とWiFiデートした。

ところで、病気の事をオープンにしたのにはもう一つ理由がある。
学校やサークルで最低限必要な方にだけお知らせしていたのだけれど、
手術直前に、息子がたいへんお世話になったクラブの先生が直腸癌で亡くなられた。
あるお母さんとその事で立ち話をした際に、「癌って聞いたからね~、悪いけど
もう長くない、『死』を直接思い浮かべちゃうよね」という会話になった。
うんうんと頷きながら、あとで私のことを聞いたら、この方はすごーく気まずい思いを
してしまうんだろうな、とかなり申し訳なく思ったのだ。
その先生が亡くなられた事を心から悼んでの言葉だったし、
私は少しも傷つかなかったのだが。
で、まぁ自然に知れるなら知れてもいいわと思うことにしたのだ。
あー、宗教関係以外ね。(爆)
まだ生きてる親父の遺言で、神仏に頼っちゃいけんことになってるから、わたい。
あ、お守りは別。お守りはご利益よか届けてくれた人の気持ちで守られるから。

で、リハビリの話だが。
年末にへろへろだった私を心配したOTさん、医師の診察日の12日まで
来ないのは心配だからと年明け5日に予約を入れてくれた。
おせちを省いた正月を食っちゃ寝で過ごし、さて5日、今日は結構調子いいと
リハビリに出かける。

腕はどうですか~、浮腫はありませんか?ととりあえず、腕の周囲を測る。
浮腫みと太りを区別するために予め術前に左右共の腕の周囲を測ってある。
浮腫みもないが、太りもなかった。ふんっ、わたしゃ手足は細いのさ。
どーせ付くのはぜーんぶ腹っ!(爆)
で、痛みはどうですか?って聞くから、
なんつーか、その...、きゅんきゅんですよ。と答える。
とにかく、何かっていうときゅ~っきゅ~っと縮むんである。
胸のあったとこと脇の下が。
なもんで、「もう私ゃ帆立になった気分ですよ、胸に貝柱あるようなもんです。」
と言う。
「んで、脇にアサリ。つんつんされるときゅ~っつって縮みます。」
私は貝になりたくない!である。

OTさん、笑いこけているかと思ったら、もうひとり同僚を連れてきた。
「ねえねぇ、胸に帆立っていうのよ~」
「あー、わかる~。ほんとそんな感じかも~。うまいな~」
誉めてもらっても仕方ないんである。(^^;)
胸に帆立つっても、あーた。
女神ならいざ知らず、こんなオバサンが帆立つけてても
「ビーナスの誕生」じゃなくって「美ーなしの惨状」だしって、
ありゃ付けてるんじゃなくて、乗ってるのか。
じゃ、「アリエル」じゃなくて「有り得ん」だなんつー話をする。
その間中、二人は笑いこけている。
ま、とにかく、筋肉が収縮するのは、体が治るための正常な反応だと。

で、その翌週。
医者の診察の前にリハビリに行く。
OTさんまたやってきて、こないだは二人で一日中帆立帆立と言ってたんですよ、
と言う。そーか、しかし、アサリはどーした、アサリを忘れちゃいかん。(笑)
で、肝心のリハビリをしてみると腕が先週より上がらない。
なぜと言うに、この頃膿み始めていたのだが、大胸筋上に縦に入った傷が
開くのがこわくて胸を横に張る(腕を開く)運動を控えていたせいで、
身頃側(^^;)の筋が固くなってしまったのだった。
傷の位置はどこ、と聞かれたんで、
「う~ん、イメージとしては袈裟懸けに一太刀って感じですかね。
だいたい乳癌自体、辻斬りにあったようなもんだし。」
と答えるといきなり笑い出して、
「けせらさん、一回一名言ですね」と言われた。
実際には、脇の下から切ってあるので、袈裟懸けはあくまでもイメージなんだけどね。

次回も楽しみと言われたが、こんなとこでウケを取っても仕方ないんだがな~。
期待されると困るじゃん。(^^;)

その後の医師の診察で、傷にはってあるテープはある程度になったら剥した方が
膿まない事、(退院時、看護師さんは貼っといてと言ったが。)
傷がふさがっていなくても、出血があっても動かした方がいい事、
(多少開いても縫ってあるので、下から肉が盛り上がってくるそうな)
を聞いた。あー医者とのコミュニケーション少なすぎるし。
確かに今もまだくっついていない、胸をはると一番動く部分の傷は縫った直後より
広がり、瘡蓋に覆われている。これももうじき治るだろう。

というわけで、貝柱のごとく身が縮む思いのお話。


リンパ節郭清 術後のリハビリ

2006-01-28 14:05:26 | Pink Ribbon
正月を過ぎてからかなり治まってきていた頚骨症の痛みがぶり返して
眠れない日が続いている。眠ろうとすると痛みに意識が集中してしまうので、
眠気が痛みに勝つまで起きている。
 「おい森」も夜はタヌ吉の店がしまってしまうので、つまらない。(笑)
昨日は紫パンジーが咲いた。
今は術後の痛みのほうがかなり軽減して来ているのが救いだ。

乳房切除・全摘手術と言ってしまえば簡単だが、上半身の片側を覆い尽くしている
に等しい肉塊を摘出するのである。
傷自体は16、7cmだろうか。けれど見えている傷より、皮膚で覆われている見えない
部分に、長さではなく面積で考えなくてはならない傷がある。
その範囲すべての末梢神経と毛細血管をぶっちぎるわけだから、かなりなダメージである。

麻酔から目覚めた時には傷を保護するために何か板でも当てているのかと思った。
鎖骨肋骨折ったわけじゃあるまいし、ギブス嵌めんな~みたいな。
手術の終わった晩ほど苦しかったことは近来なかった。
術後の傷と頚骨症のせいで右も左も体中痛い、寝返りが打てない、眠剤が利かない。
長い長い夜。でもちゃんと朝は来たし。(笑)
万力で締め付けるかのように左胸からわき腹はガチガチに固まり、
リンパ節を切除した腋窩は直径3.5cmのスーパーボールをあてがったまま、
ぶっとい襷で斜め後方に吊り上げられたかのごとく。
脇の下にタウンページ挟み込んだまま歩けってかって感じ。
どこまでが傷なのかさえ定かではない。
ただ白い胸帯でおさえられた平らな左胸をおっかなびっくり見るばかりである。
腕はと言えば情けないほど上がらない。最初は耳たぶを掻くことすらできなかった。
脇の下から背中にかけて感覚も麻痺する。今も、表面は触ってもほとんど感じない。
押すと奥の方に打撲のような鈍い痛みを感じるだけだ。
幸いにして、術後浮腫は全くなかった。
手術が金曜だったので、3日目の月曜からリハビリに入った。
最初は雑巾がけ運動である。
そのうちに寝転んだままの万歳や、筋トレ・滑車運動なども始まった。
順調に進んでいるかのように見えた。
浮腫もなく、そこそこ腕も上がりつつあるかのように。

当初予定していたよりも4日も早くクリスマスイブに退院した。
帰宅してすぐにクリスマスイブの夕飯作りは体にこたえたけれど
それもなんとかこなし、毎日リハビリに励むつもりだったのだ。
が...。
入院中の動きが嘘のように、腋窩と二の腕の内側の痛みがひどく腕をあげられない。
二の腕は熱を帯び、ただもう痛いばかりだ。
ちょっとした動きや顔に風が当たっただけでも、傷の周りがきゅんきゅん縮む。
食事をする、本を読む、メールチェックをする、ちょっと同じ姿勢をとっているだけで
半身を内側から絞り込まれているような収縮感とイガイガした痛みが始まる。

外を歩けば、足元がふらつき、車の運転は到底できない。
普段乗らないバスや電車の振動が体に響く。
それでも、とにかく予約してあったリハビリに出かけた。

入るなり、担当のOTさんが心配そうに駆け寄ってきた。
元気ない、と見えたそうだ。
電車・バスと乗りついで病院に辿り着くだけで、へろへろだった。(弱~)
二の腕の痛みのことを話すと医者が伝えてはくれなかった説明を丁寧にしてくれた。
リンパ節を取り去ると、当然だがリンパ管は分断される。
そのリンパ管がどうなるかというと二の腕の筋肉に癒着するのだそうだ。
貼り付いたリンパ管が筋肉の伸びを邪魔する格好になるので痛いのだとか。
(確かに今、二の腕を伸ばすと内側からつまんだように数箇所引き攣れができている)
そして、術後1週間程度はまだ癒着が充分ではなく、
そちこちの神経も麻痺しているので、退院時には辛さがピークではないらしい。
10日から2週間にかけてどんどん体は修復作業をはじめ、しっかりと癒着し始める。
それをストレッチして伸ばすので、痛みはひどいし、麻痺していた神経も目覚めて
さらにダメージを感じさせると。
だから術後は二の腕の筋肉をできるだけ伸ばした状態でおくこと。
歩くときにも健側の腕で術側の腕を抱えてはならない。
また、大胸筋でも同じ事が起きるので、傷をかばって前屈みにならないこと。
等々教えてくれた。
頼むから、もっと早く言ってくれよ~。
それからの私は、夜寝るときも傍らに椅子を置き、腕を掛けて伸ばして眠り、
バランスボールの空気を少し抜き、TVを見るときに背中を預けて腕上げや
時折上体そらしをした。バランス(ヨガ)ボール、かなーりいい。d(ゝc_・。)イイ!!
ダイソーで525円で購入したけど、きっちり元を取った。
最初はバレエの先生のお勧めで子どもの為に買ったんだけど。(笑)
そして、こわがらずに腕や固くなった脇の筋、鳩尾の周辺もよ~く揉む。
腕伸ばしておいて娘と息子と旦那に交代で揉ませると、ほんとよく伸びてくれる。
そのときだけだけど。(^^;)もっと早く揉み始めりゃよかった。

いったいいつまで続くのかと思った痛みも
シシュポスの神話のごとくストレッチの後15分もすれば元の木阿弥で
上がらなくなる腕も3週間を過ぎたあたりから少しずつ光が見えてくる。
脇の下に挟んであったタウンページもいまやストレッチ包帯程度に思えるし、
とりあえずキッチンシンクの上扉に鍋の出し入れはできる。
車の運転もどうやらOKだ。
傷口はまだふさがらず毎日ガーゼ交換がいるが、子どもを抱き寄せる
事もできるようになった。1ヵ月半でここまでキタ。
皮膚感覚の麻痺はどうやら治らないらしいけれど、少しは回復するとか。

病気の事を書き始めたら、どんなに茶化して書いてあっても所詮癌患者の話、
健常者としてはイタすぎてリアクションに困るとのご忠告も頂いた。
書き始める前にそれは重々考えた。
けれども、どんな手術かを書いてある病院サイトはたくさんあるけれど、
その痛みや症状については患者さんの体験を読むしかない。
「全摘・リンパ節郭清」これだけでいったい何が想像できると言うのだ?
医師の説明を頭で理解する事と実際体験する事は別物。
日毎夜毎、不安に駆られてネットを徘徊する誰かの目に留まり、
たとえ少しでも私の経験が生かせるものならと思うのだ。
私自身も同様に多くの方々の日記に支えられたから。
どんなに家族や友人の思いやりに囲まれていても、結句、闘うのは自分。
無論、人それぞれ症状は違うけれど、知る事が何より不安を抑えてくれる。
選ぶのは自分だが、情報は多いほうがいい。
知らぬより知っていたほうがいい、と私は思うから。

病はまだ体の中に巣食っているだろう。
抗がん剤でこれからそれを叩く。
それもまたたぶん書く。
イタければ読まんでええ!

減らないもの。

2006-01-22 04:45:55 | Pink Ribbon
話はちょっと前に戻る。

癌告知をされてから、入院日が決まるまで半月以上はあった。
とにもかくにも待ち行列が長いらしく、希望の日なんて事を言っていたら
1月下旬になっちゃうよ、ということで、あちら任せの連絡待ちだったのである。
で、手術までは約1ヶ月である。
その間、体力温存とか、塀の中に入ったら雀がつつく程のご飯しか食べられないとか
病院食はまずくて喉を通らないかもしれない等とあれこれ理屈をつけて食べるわ食べるわ。
入院当日、まず体重を量りましょうと乗っけられた体重計を見て愕然としたのであった。

で、いよいよ手術前日である。
旦那と二人、手術やら後遺症やら麻酔やらの詳細が書かれた同意書を前に医師の説明を聞く。
で、もちろん最初は神妙に聞いていたわけだよ。
ところが.....。

先生曰く
「手術はね、(メスを入れる位置を書いた絵を見せて)こう切ります。
それでね、胸の上の方はね、大丈夫、できるだけきれいになだらかに仕上げます。
だけどね、下の方ね、ここはどうしてもちょっとえぐれちゃうことになるよ。
人によってね、その下の体の厚みが違うんでね、多少なりと段差ができるんですよ。」

ん? 
体の厚みって、厚みって、厚みって.....。


「先生っ、それって、つまりお腹の脂肪の厚みがあるからって事ですかっ?」詰め寄る私。
(私ゃ、体重40kgしかない頃でも、胃袋周辺の肉だけはとれなかったという体質なんである。)
「ああ、まぁその、早い話が...。....ま、そうだね。」医者のくせに心なしかたじたじしてるし。
「え゛~っ、 そんな大事な事はもっと早く言って下さいよ~。
 判ってたら、ちゃんとやせといたのに。(ほんとかよ)
 患者にできることなんてそれくらいしかないんだから。(もっと他にあるだろ)
 体力つけるために食べまくっちゃったじゃありませんかぁ。
(ここから小声)ちっ、2kg半は太っちまったい。」
「なんなんだ、全く。」(完全にひいている旦那)
医者は苦笑いしながら「まぁまぁ、じゃ、次いっていいかな?」
そうして、ちっともよくないうちに次の説明に進まれちゃったのだった。ひーん。

後で旦那に、この期に及んでまだ太ったのかと言われた私、
「だって、みんながしっかり食べて体力つけろっていうもんだから。」
「みんなって誰?」
「○○さんと△△さん...。」
「二人かよ」

もうほとんど、うちの馬鹿娘の
「たまごっち買って」「だめ!」「だって、みんな持ってるよ。」
「みんなって誰?」「○×ちゃんと□◇ちゃん...。」
「お前のみんなは二人かーーーっ!」
ってのとおんなじ。(^^;)

もっとも、○○さんも△△さんも、ちゃんとカルシウムや鉄分を取れだの、
滋養になるものを食べろだのとアドバイスしてくれたのであって、
決して、米だのパンだの炭水化物ばかり食べろとは全然言っていないのであった。
(だけど、なんといっても白米大好きの私...。)

そして、無事手術は終わり、有難くも上げ膳据え膳の毎日は続く。
予想に反して、病院食はたいへんおいしく、その上そちこちからお見舞いの
差し入れまで頂いちゃってまさに絵に描いたような食っちゃ寝の10日間である。
おかげで、「病院食でダイエット」の予定は見事に計画倒れに終わり、
結局摘出した乳腺分の重量しか減量することなく、退院したのであった。

ちなみに術後まだ私が麻酔で眠っている間に、旦那は摘出した肉塊を
「これが癌です」と見せられたそうだ。
触って(つついて)みますかと勧められたのに、遠慮したらしい。
滅多にある機会じゃないんだから、触ってみればよかったのに。
つーか、なんで私に見せてくれないのよ。(笑)
それにしても、血を見るのにやたら弱い旦那、
よくもまぁ卒倒しなかったものだと思ったけど、
本人曰く「癌はもう痛くないから。痛いほうはあっちで寝てたし。」
う~ん、わけわからん。

というわけで、口の他にもうひとつ減らないものの話。

雪・雪・雪

2006-01-22 01:37:37 | Diary
関東地方大雪。
朝起きたら、うーん、冬だ、冬はこうじゃなくちゃいかん。(笑)
もっとも、寒いので外には出たくないが。

子ども達が、雪ダルマを作りに行った。
つーわけで、雪ダルマとサル1・サル2のトーテムポール?
なんか雪以外の物もいろいろ混じっているけれど、
まぁ、ぬいぐるみにだって詰め物はある事だし。
ここいらじゃいつも作れるってわけじゃないしね。
普段は「おい森」で作るのがせいぜい。
(あはは、はまってます。
花の交配を狙ってるんだけど、まだ紫のチューリップしか咲かない。
娘にもらったピンクのバラはなぜか散ってしまったし。)

雪ダルマも子どもがいないと、やはりなぜかちょっと寂しく見える。
つーか、なんか性格悪そうに見える気がするのは私だけか?




謹賀新年

2006-01-21 04:08:16 | Pink Ribbon
また何ヶ月もBrogを放置したまま2006年を迎えてしまった。
本年も皆様のご多幸を心からお祈り申し上げております。

思えば、去年は本当にめまぐるしい1年だった。
年の前半はとにもかくにも発表会で明け暮れ、
それに重なるようにして、舅を見送り、
その後は法事だ納骨だと忙しない日々を送る事になった。

そのまんま年も暮れるかと思ったんだけどね。
そうは問屋がおろさなかった...。

11月10日、初診。
即日マンモグラフィ・超音波・細胞診を済ませ、
翌週17日、立派な乳癌患者と認定されちゃった。
 \(T0T)/ ♪パンパカパーン♪ ってな具合である。
細胞診した時点で覚悟は決めていたんで、驚きもしなかったけど
結果を聞くまで1週間待たされるのはそうありがたいものではない。

その後の1ヶ月は検査検査検査。(お金掛かった~)
エコー・CT・MRI・骨シンチ・肺機能に心電図、
しまいにゃ、水虫の検査までするんじゃないかと思ったよ、ほんと。
やれやれ、なにがなんやら....。
術前説明によれば、癌は3箇所、おそらくは3.5cm大、遠隔転移なし。
リンパ節転移が疑われステージはIIB。
つーわけで、まぁ左乳房全摘・リンパ節郭清と決まった。
この頃は、なぜか強烈に体調悪かったので、思ったよりステージが下で
かえって驚いた。

12月16日、無事、非定型的乳房切除術を終え、洗濯板半枚完成である。
先週になってやっと病理の結果も出た。
小葉癌、2.5×4cm、リンパ節転移1/30、ホルモン受容体(+)、HER-2(-)
まぁ、じたばたしても仕方がない、事実を受け止めるだけの事である。

10日ばかりの入院とその前後、ここ一ヶ月ばかりは
親も子も、ただもう周囲の方々の暖かい心配りのおかげで
生き永らえたようなものだ。
傷の痛みと腕の重さがただただ辛いばかりの日々、
差し伸べられた援助の手が嬉しく有難く幾度涙したかわからない。
子どもを預かって頂いた上に食事の面倒まで見て頂いたり、
お夕飯の差し入れを頂いたりと本当に何人もの方にお世話をお掛けした。
 遠慮する気力もなく、とにかく甘えさせて頂いたが、
いったいいつになったら受けた恩を返せる事やら。
(習い事の先生達にまで、子どもの夕飯用意させちゃって実家の母にあきれられたし...。
 友人も先生方も私の周りってどうしてこんなに親切な人ばっかりなんだろう。)

 お蔭様で漸う地を這う虫のようだったリハビリの成果も少しづつ上がってきた。
Brogもいっそ閉めようかと何度も思ったのだけれど、やはり続ける事にした。
病気になったからといって、性格が変わるわけでもなく(^^;)、
入院だろうと手術だろうと何かしらそれにまつわるお笑いネタが発生する。
免疫細胞活性化のためにも、とりあえず書いていこうかな~と。
人様に笑って頂くと、私の細胞が活性化するのかって?
なんか違うような気がするが、まぁ、この際いいことにしよう。

というわけで、明日からは明るい話題。