私は琵琶湖の近くで生まれました。太平洋戦争が終わったとき、小学校(当時は国民学校といいましたが)の1年生でした。小学校では夏休みになると近くの湖岸の水泳場に泳ぎに行く日があって、楽しい1日を過ごしました。戦後間もない頃でしたから、5キロくらいの道のりを集団で歩いて行った記憶があります。
途中に粗末な家が2、3軒固まって建っている側をすり抜けて湖岸の道に出るところがあったのですが、泥だらけの豚が何頭か飼われていたことを思い出します。後で知ったのですが、この辺りから入り江になっている対岸まで、朝鮮人が多数住んでいたのです。戦前から琵琶湖には入り江を埋め立てて農地に変える干拓事業が行われていましたが、その労働力は朝鮮からの人たちに依存していました。(入植が自主的だったか、強制だったか私は知りませんが、今は美しい農地になっているあの一帯を見ると、やはり胸は穏やかではありません。)
その後、私が大学生だった頃、北朝鮮による北朝鮮への帰還事業が始められ、多数の朝鮮人の方々が北朝鮮に帰って、または渡って行きました。渡って、と書いたのは、北の出身ではない方も、多数いらっしゃったようだからです。中には朝鮮人と結婚した日本女性もいらっしゃいました。
私どもは当時、地元から京阪神地区の大学に通う大学生たちで学生会という組織を作っていました。あの頃は、日米安保条約の問題で、国中が騒然としていた頃でしたし、学生たちはみんな今よりも元気があったと思います。私たちの学生会は背中に安保問題を背負ってはいましたが、町での活動は地元密着型で、伊勢湾台風募金活動から始まり、未解放問題への取組み、演劇活動、その他地元でのボランティア活動といった内容でした。こうした中で、北朝鮮への帰還する朝鮮人を送る会などにも出席しました。
今も覚えています。「オンヘヤーー、ヘ 、ヘ 、ヘ 、オンヘヤー、クニョンポリ、アラリド...」 これは朝鮮語の収穫の歌だと教わりました。みんなで輪になって両手を左右に振りながら踊るのです。実に明るい、喜びに満ちたリズムでした。
今、北朝鮮によるテポドン発射のニューズを聞きながら、北朝鮮をめぐる暗い話題に思いを巡らせています。拉致問題もそうですが、それ以上に私に重くのしかかって来るのは、あのとき北朝鮮に渡って行った方々のその後の人生はどんな様子だったのだろうか、という思いです。あんなに明るく、希望に満ちて帰って行った人たちのその後の道は、今の北朝鮮の様子から想像すると、胸が痛む思いです。私の友人だった金さん、白さん、朴さん、そして李さん...
浄土真宗は、厳密にその教えを解釈すると、「祈り」を排斥しています。しかし、人は「祈り」なしには生きていけない部分があるのです。わたしは、阿弥陀さまの光(慈悲と智慧の光明)が北朝鮮にも届きますよう...真剣に祈っています。
途中に粗末な家が2、3軒固まって建っている側をすり抜けて湖岸の道に出るところがあったのですが、泥だらけの豚が何頭か飼われていたことを思い出します。後で知ったのですが、この辺りから入り江になっている対岸まで、朝鮮人が多数住んでいたのです。戦前から琵琶湖には入り江を埋め立てて農地に変える干拓事業が行われていましたが、その労働力は朝鮮からの人たちに依存していました。(入植が自主的だったか、強制だったか私は知りませんが、今は美しい農地になっているあの一帯を見ると、やはり胸は穏やかではありません。)
その後、私が大学生だった頃、北朝鮮による北朝鮮への帰還事業が始められ、多数の朝鮮人の方々が北朝鮮に帰って、または渡って行きました。渡って、と書いたのは、北の出身ではない方も、多数いらっしゃったようだからです。中には朝鮮人と結婚した日本女性もいらっしゃいました。
私どもは当時、地元から京阪神地区の大学に通う大学生たちで学生会という組織を作っていました。あの頃は、日米安保条約の問題で、国中が騒然としていた頃でしたし、学生たちはみんな今よりも元気があったと思います。私たちの学生会は背中に安保問題を背負ってはいましたが、町での活動は地元密着型で、伊勢湾台風募金活動から始まり、未解放問題への取組み、演劇活動、その他地元でのボランティア活動といった内容でした。こうした中で、北朝鮮への帰還する朝鮮人を送る会などにも出席しました。
今も覚えています。「オンヘヤーー、ヘ 、ヘ 、ヘ 、オンヘヤー、クニョンポリ、アラリド...」 これは朝鮮語の収穫の歌だと教わりました。みんなで輪になって両手を左右に振りながら踊るのです。実に明るい、喜びに満ちたリズムでした。
今、北朝鮮によるテポドン発射のニューズを聞きながら、北朝鮮をめぐる暗い話題に思いを巡らせています。拉致問題もそうですが、それ以上に私に重くのしかかって来るのは、あのとき北朝鮮に渡って行った方々のその後の人生はどんな様子だったのだろうか、という思いです。あんなに明るく、希望に満ちて帰って行った人たちのその後の道は、今の北朝鮮の様子から想像すると、胸が痛む思いです。私の友人だった金さん、白さん、朴さん、そして李さん...
浄土真宗は、厳密にその教えを解釈すると、「祈り」を排斥しています。しかし、人は「祈り」なしには生きていけない部分があるのです。わたしは、阿弥陀さまの光(慈悲と智慧の光明)が北朝鮮にも届きますよう...真剣に祈っています。