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世襲坊主の独り言

世襲の事情から会社退職後に真宗寺院住職に転身した男が、自分の信心もないのに他人さまに信心を語る苦しさを白状する記録です。

北朝鮮に仏の光を...

2006-07-05 11:29:10 | Weblog
 私は琵琶湖の近くで生まれました。太平洋戦争が終わったとき、小学校(当時は国民学校といいましたが)の1年生でした。小学校では夏休みになると近くの湖岸の水泳場に泳ぎに行く日があって、楽しい1日を過ごしました。戦後間もない頃でしたから、5キロくらいの道のりを集団で歩いて行った記憶があります。

 途中に粗末な家が2、3軒固まって建っている側をすり抜けて湖岸の道に出るところがあったのですが、泥だらけの豚が何頭か飼われていたことを思い出します。後で知ったのですが、この辺りから入り江になっている対岸まで、朝鮮人が多数住んでいたのです。戦前から琵琶湖には入り江を埋め立てて農地に変える干拓事業が行われていましたが、その労働力は朝鮮からの人たちに依存していました。(入植が自主的だったか、強制だったか私は知りませんが、今は美しい農地になっているあの一帯を見ると、やはり胸は穏やかではありません。)

 その後、私が大学生だった頃、北朝鮮による北朝鮮への帰還事業が始められ、多数の朝鮮人の方々が北朝鮮に帰って、または渡って行きました。渡って、と書いたのは、北の出身ではない方も、多数いらっしゃったようだからです。中には朝鮮人と結婚した日本女性もいらっしゃいました。

 私どもは当時、地元から京阪神地区の大学に通う大学生たちで学生会という組織を作っていました。あの頃は、日米安保条約の問題で、国中が騒然としていた頃でしたし、学生たちはみんな今よりも元気があったと思います。私たちの学生会は背中に安保問題を背負ってはいましたが、町での活動は地元密着型で、伊勢湾台風募金活動から始まり、未解放問題への取組み、演劇活動、その他地元でのボランティア活動といった内容でした。こうした中で、北朝鮮への帰還する朝鮮人を送る会などにも出席しました。
 今も覚えています。「オンヘヤーー、ヘ 、ヘ 、ヘ 、オンヘヤー、クニョンポリ、アラリド...」 これは朝鮮語の収穫の歌だと教わりました。みんなで輪になって両手を左右に振りながら踊るのです。実に明るい、喜びに満ちたリズムでした。

 今、北朝鮮によるテポドン発射のニューズを聞きながら、北朝鮮をめぐる暗い話題に思いを巡らせています。拉致問題もそうですが、それ以上に私に重くのしかかって来るのは、あのとき北朝鮮に渡って行った方々のその後の人生はどんな様子だったのだろうか、という思いです。あんなに明るく、希望に満ちて帰って行った人たちのその後の道は、今の北朝鮮の様子から想像すると、胸が痛む思いです。私の友人だった金さん、白さん、朴さん、そして李さん...

 浄土真宗は、厳密にその教えを解釈すると、「祈り」を排斥しています。しかし、人は「祈り」なしには生きていけない部分があるのです。わたしは、阿弥陀さまの光(慈悲と智慧の光明)が北朝鮮にも届きますよう...真剣に祈っています。

業(ごう)

2006-07-03 21:12:43 | Weblog
 東京の永福町にアミータ仏教学園というところがあります。学園と名付けられておりますが、普通の家庭のダイニングルームで開かれる仏教塾です。そこに月に1度真宗木辺派のご門主をお迎えしての仏教セミナーが開かれます。私も2年前から出席させて頂いて勉強させて頂いております。
 2か月ほど前のセミナーの席で、何かのお話のついでに「業(ごう)」が話題になりました。「業」とはいろいろな因縁(原因)から生じている現在の結果だと言ってもいいでしょう。セミナーの席で「人はみな業の縛りを受けている」とかのお話が出ました。どんな人でも今まで生きてくるまでにいろいろなことを考え、いろいろなことをしてきたはずですが、それが善いことであろうと悪いことであろうと、その結果がそのひとの今に及んでいる、という意味です。

 こういうお話になったときに女性の方から質問が出ました。「では、業が積もっていると結果は決まってしまうのですか?」

 この方の質問はこうではなかったかもしれませんが、他の仏教書などでの解説から、実は私もふと同じようなことを聞いてみたくなっていました。というのは、その席でのお話だけではこういう疑問が出るような詳しいものではなかったのですが、「業」の話になるとよく「人は前世からの「業」を背負っていている。前世で善行を積んだ人は現世で幸せになっているし、悪業を積み重ねた人は何をしても幸せになれない」ということをいう方がおられるからです。

 ご門主のお答を書きますと、ご門主はその質問に対して「仏の教えに遇い、仏を信じることによって、業果の縛りから解き放たれる」ことについてお話になりました。つまり、今まで生きてきていろいろな業を積み重ねてきても、仏の教えに遇うことによって正しい生き方を見つけることができて、幸せになれる、ということですね。

 具体的に言えば、わが身大事に考えるあまり(他)人も自分と同じ弱い立場であることを忘れたり、人を羨ましがったり、妬んだり、という生き方をしていると、そのときには気がつかなくても、いつか自分の生活にひびが入って、不幸せをまねくことになるが、仏の教えを守って、自分とともに他人の幸せも考える生活をしていると、幸せがもたらされる、ということですね。

 「業」は過去の悪業、罪業でこれからの運命が決まっているような教えを言っているのではなくて、今の間違った考え方や行動を改めないと、世間での評価を失い、窮屈な生き方になりますよ、ということです。


「信」に徹する浄土真宗

2006-06-30 14:14:14 | Weblog
 浄土真宗は親鸞聖人が開かれたのですが、正確には浄土真宗は親鸞さまのお考えの後継者たちが作った宗派というのが正しいようです。親鸞さまは浄土宗の祖、法然上人のお弟子でしたが、共に法難にあわれて、法然上人は土佐に、親鸞さまは越後に流罪となられ、年齢も法然74歳、親鸞34歳と大きく開いており、お二人はその後は直接お会いになる機会もなかったようです。流罪は数年で解けたのですが、親鸞さまは京都へは帰らず、関東(今の茨城県)に居を移されて、法然上人から指導を受けた念仏の教えの布教に努められました。
(機会を作って親鸞さまの足跡を訪ねてみたいと思っています。)

 そういうわけですから、親鸞さまご自身は法然さまと別の宗派を作る意図はなく、ひたすらに念仏によって救われるという念仏の教えの布教にに専心されたのですが、京都に残った法然さまの他のお弟子さまとは、ズレができてしまうのも避けられないことだったと思われます。これが現在の浄土宗と浄土真宗になったわけです。

 いったん教団ができてしまうと、いろいろとしきたり等の世俗的なことまで違いが出来てしまうのが人間社会の常ですが、浄土宗と浄土真宗の根本的な違いは、やはり親鸞さまご自身のお考えから始まっていました。念仏(南無阿弥陀仏と称えること)を何度も称えることが懸命であればある程、阿弥陀如来のお浄土に近付けるという浄土宗と、南無阿弥陀仏を一心に信じることが大切で、信じ切ったときに口から洩れる南無阿弥陀仏は阿弥陀如来からの呼びかけであるとする浄土真宗です。

 どちらも自ら仏となることを目指す他宗の難行門にたいして、浄土宗、浄土真宗などは、阿弥陀仏を信じることによってお浄土に迎えて頂こうという易行門と呼ばれています。しかし、その易行門の中でも、懸命に南無阿弥陀仏を称えるという「行」としての性格を残す浄土宗、これに対して「信」を優先し重視するのが浄土真宗、という違いがあるわけです。

 仏教はお釈迦さまの亡くなられた後、お釈迦さまを慕うお弟子たちによって、宗教としての性格を強くしていったのですが、その後、出家者ではない人々を救うことを主眼とする大乗仏教が生まれ、この大乗仏教がチベットや、中国の文化と接触し、日本に伝わりました。日本では日本の土着の多神教とも共存する形で混じりあって、日本的な今の日本の仏教が生まれ、普及しました。

 日本で消化された仏教は、多分に現世利益的である土着信仰と結びついて、来世にもご利益を延長するがごとき役割を負っていたように見受けられます。そういう中で、他の雑念を排して、ただ阿弥陀仏を頼めという信仰だけを強調する教えが生まれたということは、考えてみるとたいへんなことですね。

 さて、その信心、阿弥陀如来を信じる心なのですが、易行とは言われますが、心から「信じる」ということは、そう簡単ではありません。私自身も未だ本当の信心に到達したとは言えない状態です。勉強は熱心に励んでいるつもりですが...
このブログも、そうした心の動きを公開日誌の形で始めたわけです。


御神体と仏像

2006-06-29 11:53:20 | Weblog
 世界遺産に登録された熊野に行ってきました。熊野三山本社の主なる祭神は 第一殿は熊野牟須美神、第二殿は速玉之男神、第三殿は家津美御子大神であり、それぞれ、千手観音、薬師如来、阿弥陀如来を本地佛とするとしています。

 若い宮司の方が案内の説明をしてくれましたが、神様は私たちの目には見えないので、仏さまの姿でこの世に現れたのだ、と言ってました。本地垂迹説のことでしょうが、私は目に見えない仏さまが衆生に合わせた形態(垂迹)をとって神様となってこの世に出現したのだと聞いていましたが、案内の方の説明は...。

 若い宮司の方の説明はジョークだったのかもしれませんが、よく考えてみると
確かに神様の姿は私も拝見したことがありません。御神体は鏡であったり、剣、勾玉などのほか、山、川、滝などの場合もあります。

 一方、仏さまといえばすぐ仏像を思い出します。私のお寺は浄土真宗ですが、浄土真宗の仏像は阿弥陀如来の立像が普通です。これは、いつでも極楽浄土に迎え入れるよ、と姿勢で示しておられるのだそうです。もっとも、私のお寺は安土桃山時代に建てられた浄土宗のお寺が始まりで、本尊は等身大の阿弥陀如来坐像です。坐像は、阿弥陀如来がお浄土で説法をしていらっしゃる姿なのだそうです。

 いずれにせよ、仏さまのお姿は拝見しようとすればいつでもできます。もっとも浄土真宗でも、仏像ではなく、「南無阿弥陀仏」の六字名号、「南無不可思議光如来」という九字名号、「帰命尽十方無碍光如来」という十字名号を本尊として礼拝し、仏像を置かないこともありますが。これは、宗祖の親鸞さまが寺も仏像も必要ないとして名号だけを大切にされたためだそうです。

 熊野の宮司さんのユーモアあふれるご案内ありがとうございました。

無の見と、有の見

2006-06-27 10:39:41 | Weblog
 仏教の教えはほんとうに難しいですね。このページで私は人は死んでも土や塵になって終りというわけではないと書いてきました。これは、自我を抱えながら自分の死を凝視し、片方で仏法の教える「すべては空だ」という教えに変な共感を覚えている人が多いような気がしたものだから、私の考えていることを書いたのでした。

 ところが、仏教書では有無同然(うむどうねん)とか、有無を離れるという教えがあって、有り、無しに拘っていること自体が煩悩の為せる業、と喝破されています。つまり、死んだら「私」は亡くなって塵になると断定する考えは「無の見」、死んでも「私」は何らかの形で、たとえば霊魂として続いていくという考えは「有の見」(見はケン、見方、考え方のこと)というのだそうです。仏教では人間社会は五つの汚れ、濁(じょく)をもっていると教えていますが、その五つの中に見濁(けんじょく)という世の汚れがあると分析しています。一つの考えに拘って世の中にゴミをばらまいている人は、生きているときからゴミだというわけでしょうねぇ。

 昔からの考え、仏教の教えも含んでですが、そういうものが現代の科学技術の分析的な考えでは理解できず、自分は死んだら塵になるのか、と寂しい思いに沈み込む前に、そういう考え方も乗り越えた仏法の教えをもっと勉強しなければ、と思ったことでした。