親鸞さまは比叡山での修行では自分の煩悩を克服できず、救いを得ることができないと悩まれ、法然上人の教えを受けて、念仏に帰依されました。では、法然さまはどなたに導かれたのでしょう。気になって調べてみました。
法然さまはご存命当時は智慧第一と謳われた学僧であったそうですが、その法然さまがご自分を振り返られて、「仏法は戒定慧(かい・じょう・え)の三学より構成され、戒定慧にも小乗の戒定慧、大乗の戒定慧、顕教の戒定慧、密教の戒定慧などがある。しかるに、この身においては一戒も持たず、禅定の一つも得られない。このように戒定慧の三学の器ではない自分の心に相応する法門はないのか、わが身が堪えられる修行はないのか、と多くの智者や学者を訪れたが、教えていただく方も道を示してくださる方もいらっしゃらなかった。」と嘆かれたそうです。
そして四十三歳のとき、善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』という著作にある「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住座臥(ぎょうじゅうざが)に時節の久近(くこん)を問わず、念々に捨てざる者これを正定の業と名づく。彼の仏の願に順ずるが故に」の文に遇われて、阿弥陀仏の本願による救いの道を見出された、と伝えられております。一心にただ「南無阿弥陀仏」の念仏をとなえて、寝ても起きても念仏を捨てない人は、まさしく往生が定まる業因を得た人である。何故なら、阿弥陀仏の願に順じた行為であるから...という意味でしょう。阿弥陀仏の願(がん)というのは、阿弥陀仏が仏となられた時に願をたててお誓いになられたその願のことで、汚れに満ちた社会の中で生きている罪深き衆生も、南無阿弥陀仏の名を呼び救いを求めるものを分け隔てなく救い取るという意味です。
現今、自らはわが身を振り返ることもせず、自らの愚かさの程度もそこそこに、救いだけは他人さま並みに追い求めております。こういう有様では、真剣に救いを求め、悩みぬかれたのちに、念仏という救いの道に到達された法然さまや親鸞さまのお教えを、自分の肌身で理解することは難しく、それどころか、お教えそのものが信じられずに疑いをはさんでしまう始末です。
他力だ、易行道だと言っても、自らを観て、自分の愚かさを知ることをスキップしては何が救いなのかも、到底分かりません。
法然さまはご存命当時は智慧第一と謳われた学僧であったそうですが、その法然さまがご自分を振り返られて、「仏法は戒定慧(かい・じょう・え)の三学より構成され、戒定慧にも小乗の戒定慧、大乗の戒定慧、顕教の戒定慧、密教の戒定慧などがある。しかるに、この身においては一戒も持たず、禅定の一つも得られない。このように戒定慧の三学の器ではない自分の心に相応する法門はないのか、わが身が堪えられる修行はないのか、と多くの智者や学者を訪れたが、教えていただく方も道を示してくださる方もいらっしゃらなかった。」と嘆かれたそうです。
そして四十三歳のとき、善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』という著作にある「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住座臥(ぎょうじゅうざが)に時節の久近(くこん)を問わず、念々に捨てざる者これを正定の業と名づく。彼の仏の願に順ずるが故に」の文に遇われて、阿弥陀仏の本願による救いの道を見出された、と伝えられております。一心にただ「南無阿弥陀仏」の念仏をとなえて、寝ても起きても念仏を捨てない人は、まさしく往生が定まる業因を得た人である。何故なら、阿弥陀仏の願に順じた行為であるから...という意味でしょう。阿弥陀仏の願(がん)というのは、阿弥陀仏が仏となられた時に願をたててお誓いになられたその願のことで、汚れに満ちた社会の中で生きている罪深き衆生も、南無阿弥陀仏の名を呼び救いを求めるものを分け隔てなく救い取るという意味です。
現今、自らはわが身を振り返ることもせず、自らの愚かさの程度もそこそこに、救いだけは他人さま並みに追い求めております。こういう有様では、真剣に救いを求め、悩みぬかれたのちに、念仏という救いの道に到達された法然さまや親鸞さまのお教えを、自分の肌身で理解することは難しく、それどころか、お教えそのものが信じられずに疑いをはさんでしまう始末です。
他力だ、易行道だと言っても、自らを観て、自分の愚かさを知ることをスキップしては何が救いなのかも、到底分かりません。