昨夜、もう10年以上も以前に一緒に欧米に出張した仲間が青山のレストランに集合して懇親会を開きました。出席は8人でしたが、私がお坊さんになったというので、珍しい存在というわけか、みんながいろいろな質問をぶつけてきました。その中に、高野山での修行から帰って住職になったばかりの若いお坊さんに仏教の言葉について質問したら、えらい高飛車に叱られてしまった。お坊さんというのはそんなに偉いとは知らなかった・・・。そういうものですか? という質問がありました。前後の事情が分かりませんが、そのお坊さんはきっと何か、自分の立場と相手の立場を勘違いされているのでしょうねぇ。そう言えば、私も田舎の街角で同じ浄土真宗ですが、他派のお寺の住職に捕まって、訳の分からない理屈に付き合ってしまったことがありましたっけ。お坊さんにも変人というのは何処にでもいるのでしょうね。
何宗でも、修行は自分のためにするもので、修行したから偉くなったということはありません。偉いかどうかは周りが慕ってくれるかどうかで決まります。会社ではないのですから... 会社などの実業の世界では、訓練を受けて資格を取ると、ランクが上がって給料も上がるということはありますが。
しかしよく考えてみると、お坊さんの世界にも世の中から誤解されるような仕組みが何百年の間にたまった湯垢かヘドロのようにこべりついているような気もします。世の中の誤解だけではなく、その若いお坊さんのように本人がすっかり思い違いをしてしまうくらい世の中とずれてしまうこともあるようですね。
私の勉強させていただいたお坊さんの姿は、修行は自分のための修行であり他人に誇るものではない、そして修行の結果として何かを得ることができたなら、その効果を自分以外の人々に振り向けて人々のお役に立てること、です。これがすべてです。
お坊さんといえども、今の世の中を生きていくには場合によってはこのような純粋な姿ではやっていけないこともあるかもしれません。しかし、原則をキチンとわきまえていないと、俗世に流され、勘違いもしてしまうことになるのだろうと思います。私も肝に銘じなければ、と考えています。
この日の懇親会では、このあと、お坊さんの顧客満足度とかの話になって、たいへん勉強になりました。
何宗でも、修行は自分のためにするもので、修行したから偉くなったということはありません。偉いかどうかは周りが慕ってくれるかどうかで決まります。会社ではないのですから... 会社などの実業の世界では、訓練を受けて資格を取ると、ランクが上がって給料も上がるということはありますが。
しかしよく考えてみると、お坊さんの世界にも世の中から誤解されるような仕組みが何百年の間にたまった湯垢かヘドロのようにこべりついているような気もします。世の中の誤解だけではなく、その若いお坊さんのように本人がすっかり思い違いをしてしまうくらい世の中とずれてしまうこともあるようですね。
私の勉強させていただいたお坊さんの姿は、修行は自分のための修行であり他人に誇るものではない、そして修行の結果として何かを得ることができたなら、その効果を自分以外の人々に振り向けて人々のお役に立てること、です。これがすべてです。
お坊さんといえども、今の世の中を生きていくには場合によってはこのような純粋な姿ではやっていけないこともあるかもしれません。しかし、原則をキチンとわきまえていないと、俗世に流され、勘違いもしてしまうことになるのだろうと思います。私も肝に銘じなければ、と考えています。
この日の懇親会では、このあと、お坊さんの顧客満足度とかの話になって、たいへん勉強になりました。