新大久保などで行われている在特会によるヘイトデモ。
実はこれまで見た事が無く、一度自分の目で見てみようと思っていた。
そこで先日、秋葉原で行われたヘイトデモを見学に行ってきました。珍しく土曜日の開催とあって、都合がついたのです。
あいにくなのか幸いなのか分んないけど現場は雨。デモの出発地となっている公園前で知人と合流し、初のデモ見学です。
んで、感想。
在特会の方々は集団でいるという高揚感に包まれちゃったのか、「想像」と「デマ」と「拡大解釈」と「お仲間だけで共有されている倫理観」からにじみ出てくる「知的なお言葉」をがなり立てていらっしゃっいました。
「おらぁ」「死ね」「出てけ」とかね。
靖国神社に放火しようとした韓国人らに対する抗議という名目のデモで「在日は日本から出て行け」とか「死ね」とか主張するのは、自分の家の前にフンをした犬の飼い主に抗議するために「世界から犬を抹殺せよ」と言っているようなもんだから、「デモ本来の意味が薄れて逆効果じゃね?」とも思いましたが、その辺はご愛嬌。
一番の目的はきっとストレス発散、健康増進なのでしょう。健康になれば健康保健の利用も減って国益に繋がりますもんね。さすが愛国者様です。
それにしてもデモで叫んでいるみなさん、あとで写真で確認するととってもいい表情をしていました。
あれを映画化するなら、往年のジャック・ニコルソンやアンソニー・パーキンス、アンソニー・ホプキンス級の名優を用意する必要があると思いました。
顔を隠すためなのか80年代に杉山清貴とか吉川晃司とかがかけていたようなダサ…いや、レトロなサングラスをかけている人が妙に多かったのも印象的でした。マスク着用の人も多かったなぁ。
とはいえ、まぁデモ隊の行動は想像の範疇内でした。
どちらかといえば、私が驚いたのは一部のカウンターの方々の言動でした。
こんな事を言うと敵を増やして、ツイッターあたりで罵られたりしそうですが……。
下品でした。
デモ見学一回という初心者の私には、立場こそ逆だが、やっている事は同じに見えました。
現場で戦っている人間に綺麗事はいらないんだ!とおっしゃる方もいるでしょう。
しかし、単なる罵し合い、怒鳴り合いで何か解決するのかなと。
在特会側もカウンター側も「お互いに敵を作る」事で、むしろ自らの内に生まれた「自分勝手な正義」を増幅させ盛り上がっているんじゃないかなと。
デモ隊とカウンター側の人々。どちら側も罵りあっている時、なんだか楽しそうだったもん。
もちろん、下品ではないカウンターの方々もたくさんいました。目立たないけど、そっちの方が多い事でしょう。
相手をののしるのではなく、品行方正にデモを見つめる彼らには素直に頭が下がる思いです。
薄汚い言葉をぶつけられた人々の心に染みて元気や笑顔の源になるのは前者と後者のどちらの行動なのかを、ヘイトに反対する人は再考してみる必要があるんじゃないでしょうか。
罵るとかバカにするとか、相手を挑発する方法はいくらでもあるでしょうが、「怒鳴る」という方法は、武力を誇示して相手を力で抑えつける物である。
いわば「暴力」の一種。
在特会に怒鳴られてもカウンター側の人の気持ちが変わらずに、団結力を固めている事こそ、「暴力で暴力を抑えつける事はできない」という証拠なのではないでしょうかね?
デモ終了後、ジャーナリストの安田浩一さんらとお茶をしながらそんな事を考えておりました。自戒を込めて。
※今回の日記は在日特権などのデマの検証ではなく、あくまで個人の感想です。
ネオナチたちに対するカウンターの趣旨には賛同しますが、
利敵行為になりかねない言動は慎むべきでしょうね。
反レイシズムの行動部隊が統一されたようですが、
のりこえネットなどとも協調した上で、
より啓蒙的、効果的な街頭行動を模索すべきでしょう。
主張は通名禁止ぐらいにしてほしいわ。
在特会をはじめ、ネット上などで「特権がー」などと騒いでいる人たちは、その「特権」についてご自分で調べられたのでしょうか?
単なるネット上の噂や根拠のない書き込みを鵜呑みにして、被害者意識にとらわれているのではないでしょうか。
私は役所の税務の部署に所用があって行った際、思い切って聞いてみたのです。「在日コリアンは納税の面で優遇されているのですか?」と。
すると「そんなものはありませんよ」と一笑に付されました。もちろん、この役所の管内だけなのかもしれません。
でも、このようにして一つ一つ確認していけば、何が真実で、何が嘘なのかが明らかになります。
ネットに没頭する人は、ネットという仮想現実の中に真実があると思い込み、現実世界での人付き合いという面倒なことを避けようとしているように思います。
もっと世に出て、暮らしの中に真実を見出すべきと考えます。
しかし、
反日的言動で知られる李信恵さんの様に、カウンターサイドの愚行を無条件に正当化しちゃう思慮の浅い輩がいる限り、「どっちもどっち」「どちらも下衆な暴力集団」と思われても仕方ない部分はあるでしょうね。
対立を煽ってるだけでは何も解決しません。
カウンターサイドにブログ主様のような冷静かつ公平な視点の人間が一人でもいれば良いのですが、後ろ盾的スタンスの有田芳生氏ですら、ヒステリックに持論を主張し、憎悪の連鎖を拡大させてるだけですから、問題の解決は難しいと思われます。
どこかでまとめて反論を載せないと、
あなとの嫌っている団体・勢力と同じ穴のムジナだと思いますが。
例えになっていないですねえ。なんか朝鮮万歳な人たちの主張って全部そうなんですけど、どうしてなんでしょうか?
自分の家の中でフンをした犬の行為を抗議する為に「俺の家の敷地内から犬は出て行け」、が正しいです。もしくは敷地内に入った犬は抹殺する、ですかね。何にしても理解不足は否めませんね。
そもそも竹田氏は特権を在日と言っており在日コリアンとは言ってません。在日外国人に対する特権だと私は受けとりました。でも反論してる人って何故かコリアン限定で特権はない!と叫んでいるんですね。何故なんでしょうか?
あと、特権では通名のことを言ってます。ナマポ優遇とかその他特権らしき事には一言も触れていません。あくまでも通名を特権だと言ってるんです。でも何故が反論する人って在日コリアンはナマポで優遇なんてされてない!って反論してるんですよ。
おかしいと思いませんか?全く頭が悪い。
勝手な妄想でイメージ作って反論するって、それは敵は自分自身にあるって事でしょ?もうちょっと冷静になって、竹田氏の発言に反論があれば知的に論理的に反論すればよろしいのに。だから、今の時点ではどちらが正しいか私も判断つかないのですよ。
でも今時点では反竹田側の主張があまりにもお粗末過ぎるのでキモチは竹田氏側に傾いています。ぜひ、このブログで論破して私の考えを改めさせてみてはどうでしょうか。
竹田氏の発言は10年遅れ。今まで何度も何度も何度も出てきては心ある方たちによって否定されてきたものですよ。
こちらのブログでも、初期の記事でとっくに扱い済みです。
よろしければ以下もどうぞ。http://blog.goo.ne.jp/ngc2497/e/8be0b14a8c1390c3150d80c1e978cddf
http://www.norikoenet.org/common/pdf/20131021_seimeibun.pdf
>どれも特権でもなんでもないのですが…通名なんか日本人でも使えます。
これは、日本人の場合は通称と言うそうですね。通名ではないようです。
>そもそも在特会会長の「桜井誠」は通名で本名は高田誠(タカタマコト)ですので。
これがそのものズバリ通称ではないですか?通名ではないですよね?
>更に偽装婚姻や偽装戸籍を使用する事で黒歴史なんかも白紙化出来ます(池田小学校8人殺害の宅間守がやっていたのが有名です)。
いや、法に違反する事を前提にすれば何だってできますよ(笑)。それは特権でも何でもなく、ただの犯罪でしょ?一緒にしちゃいかんです。
>つーか…そもそも竹田氏は黒歴史を白紙化出来る事がうらやましいのか?
どこまでアテになるのかわかりませんが、WIKIの通名には、
在日外国人の通名は、居住する区や市町村に登録することで、住民票に記載され、法的効力を持つ。登記などの公的手続に使用することが認められ、 契約書など民間の法的文書にも使用できる(単なる自称では、詐欺罪や文書偽造罪などに問われる場合がある)。印鑑登録証明書や運転免許証には、本人の申請により本名に加え、通名の併記が可能である(例:氏名 金 美淑(木村 淑子))。
となっています。自治体への登録のみで通名の法的な使用が可能になるそうです。また日本人の場合、
日本国籍の者は通名を登録できない。しかし日本国籍を取得したが改名していない場合など、日本国籍者でも通称名を使用することがある。その場合、その名称を法律的に有効なものとするためには、家庭裁判所で改名する必要がある。判例によれば「その通称名で生活している実態があること」は、改名の理由となる。
つまり在日の通名と日本人の通称は全く意味が異なり、日本人は改名しない限り法的な名称として使用できないことになります。改名は自治体の登録で行えるものではなく司法の手続きが必要になるそうです。また通称は法的な使用が認められていません。だから通名と通称は全く性格の違うものになります。
この内容で言えば明らかに通名は在日特有の権利であり、見かたによっては特権と言われても仕方ないのでしょう。私はそう理解しましたが・・・。
言及された事実が正しいと仮定した上で反論させていただきますと、手続きしないといけない分、通名のほうが不便ですよね。
よって、権利ではなく義務といったほうが適切。
また、行政が把握している以上、通名を使って犯罪歴を隠す、といった行為もできません。
そもそも、なぜ通名という制度があるのか、なぜ彼らがそれを使わざるをえないのか、こういったことを考えれば、彼らが特権階級などでは決してなく、むしろ特権とは対極の位置に立たされていることがご理解いただけるものと存じます。
差別や偏見がなくなれば、おのずと通名使用者もいなくなりますよ。
「在日特権」などというデマを吹聴する者がいるかぎり、自己防衛のために特権でもなんでもない不便な通名を使う方たちは、むしろ逆に増えるだけです。