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自由への道連れ

2017-07-27 09:46:39 | 詩とか
プログラマーになった。

本物のプログラマーからすれば、僕など青二才だが、作りたいと思ったものを一通り自力で何でも作れるという実感は確かに持っている。
具体的なやり方はマスターせずとも、そこに行き着くまでの方法論を理解したことで、そういう実感が生まれているのだと思う。

例えるなら「明日の12時に青森に行ってください」と言われ、ここ(神戸)からどうやって行けば良いのか全く検討もつかないが、スマホの乗り換え案内で調べたり、駅に行って聞いたりすれば何とかなりそうだという期待のもと、「はい」と答える。そんな感じだ。
具体的な方法は分からなくても、そこに行けるかどうかを調べる方法論と、日本国内であれば1日あれば何とかなるという経験を持っているから、大丈夫だという実感を持てる。


同時にトレーダーになった。

本物のトレーダーからすると、僕の扱う額など知れているが、人に誇れるくらいの成果は挙げられるようになった。
いくらでも稼げるという話ではないが、確実に一線を超えた感はあり、運用に対するストレスや不安は消えた。

例えるなら、地中のどこに金があるのかを大体把握していて、それを掘るコストとそこから得られる利益を秤にかけて、どうするかを判断できる。そんな感じだ。
その方法論を体得してしまったから、対象が別に金じゃなくてもできるし、ずっと見ているとおおよその流れがつかめてくる。


この2つの職業は僕が自由を手に入れるために、おそらく無意識的にたどり着いたものだと思っていて、現状すごくしっくりきている。
雇われるという概念から開放されたし、結果が全てという領域なので、他人にガタガタ言われることもない。

一般的に働いている同世代とは、ほとんど会話が噛み合わなくなってしまったが、自由へのこだわりを捨てられない以上、今は仕方がないと思っている。


ここまで自由、自由と書いてきたが、そもそも「自由」とは何なのか?

僕なりの結論は「人生という長い軸で見たときに、やりたいことをやれる目処が確かに立つかどうか」「方法論を知っていて、そこに確かな勘があるか」ということが、自由であるかないかの分かれ目だと思っている。

もう少し分かりやすく話そう。
例えばの話だが、僕は30歳までに大学の修士に戻り、もう一度自転車競技に打ち込みたいと思っている。
そのためには、ある程度の余裕ある生活と将来のキャリアへの揺るぎない自信が必要だということが分かるが、それをどうやって得れば良いのかはまだはっきりと見えていない。
つまり、「できるか、できないか」が分からない。正確に言うと「できるか、できないのかを何を持って判断すれば良いのか」が分からない。
それが「30分で神戸から青森まで行くのは無理です」「もう地球上に金はありません」的な感じで白黒はっきりつけばいいのだが、なかなか難しい。

けれども、近づきつつあるなという実感は確かにある。
少なくとも今は、その実現に向けて何も邪魔するものはなく、真剣に自分の人生の行く末だけに集中できる。
「もう不毛な時間を過ごすのは辞めよう」と思い会社を辞めてから一年がたつが、その後、信じられないほど色々なことが起こった。

これがずっと続くわけではないのが分かっているので、今ある時間を大切にしたい。
この2、3年が残された最後のチャンスかもしれない。

そう思って日々を楽しみつつ駆け抜けられればと思う。

そんな25歳だったらとても素敵だ。