貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・森羅万象

2023年10月31日 | 貧者の一灯


















私は詰所でカルテを開き、その日の血液検査
結果を確認し、用紙を切り取り台紙に貼って
いた。

このような作業は医者の仕事ではないという
同僚もおり、市中病院では看護師の仕事にな
っているが、私はそうは思わなかった。

検査結果を見て貼り付けるという作業は確認
という大事な意味があると信じていた。

しかし、単調な作業なので、お気に入りの看
護師が一緒にいるとついつい話が弾はずんで
しまうということもよくある。

この日もそうだった。 話が途切れたところで
ふと男のことを思い出し、「ところで、さっき
入院してきた人の主治医は誰?」と看護師に尋
ねた。

「先生ですよ、ご存じなかったのですか?」
「えー、知らなかった。今、僕の患者さんは
8人もいるのに」

その頃、主治医は助教授が決めていた。

彼は自分が執刀医として手術を考えている患者
は、自分の意思が反映しやすいように若い医者
に当てるようにしていた。

15分後、私は男のベッドを訪れた。男はすでに
病衣に着替えて、大きな体をベッドに横たえて
いた。

私は自己紹介をし、自分が主治医であることを
告げた。男はちょっと鋭い視線を向けてきた。

目は「こんな若造が主治医か」と言っている。
私は少し緊張し、でもできるだけ堂々として診
察を終えた。

右肺の呼吸音は低下し、打診では右胸下部は濁
音を呈していた。

鎖骨上にリンパ節は触知しなかった。

診察が終わり立ち去ろうとした時、「いったい
私は何の病気でしょうか?」と男は尋ねてきた。

「まだ何もわかっていません。これから検査を
進めていきますが、まず明日の午後に胸の水を
取って調べますね」と私は答えた。

先日外来で行った痰の細胞診でクラスⅤの腺癌
細胞が見つかっており、クラスⅤは疑う余地の
ない結果だった。

問題は胸水で、この中に悪性細胞が見つかると
一般的に手術の適応はなくなり、予後も不良で
平均約8カ月の余命と言われていた。





翌日の午後、私は6年目の先輩の指導下に胸水を
採取した。

男を座らせ、テーブルにもたれさせるようにし
て背中を露出、濁音界を定め、穿刺部位を決定
した。

今、思うと単にまっすぐに針を刺すだけのこと
なのだが、その頃の私には大手術にも匹敵する
処置だった。

検査室に入る前に先輩が言った「肋骨上縁を狙
え。下縁には血管があるぞ」、「胸膜は一気に
通れ。痛ませるとショックが起こるぞ」という
言葉を思い出し、私は汗だくになりながら針を
進めた。

針は肋骨上縁を滑り、胸膜腔を捕らえた。

注射器に血性液が吸い込まれてくる。私は注射
針の根元をしっかりと持ち、1㎜たりとも動か
ないように力を入れていた。

約20㎖の胸水が採取できた時点で先輩医師は
「よし」と小声で言い、私は胸腔に空気が入ら
ないように、電光石火、針を抜き去った。

胸水が血性であることは悪性を暗示しており、
2日後に返ってきた細胞診の結果はそれを裏付
けた。

その週に行われた症例検討会では、患者が若く
右肺摘除が可能な肺機能であること、胸膜以外
に遠隔転移は認めないことから胸膜肺全剔術ぜ
んてきじゅつを行う方針が決まった。

治療方針の詳細は助教授があらためて夫婦に説
明するようになっていたが、予め妻には概略を
伝えようと考え、検討会の2~3日後に詰所の前
を通りかかった妻を呼び留めた。

「お世話になっております」と言いながら、妻は
深々と頭を下げた。

「いくつか検査結果が返ってきていますので、
途中経過をお話ししておこうと思います、お座
りください」 私は妻に椅子を勧めた。

妻は突然の話にびっくりした様子で、しかし表
情は変えずに椅子に座った。

「入院以来いろいろと調べてきましたが、御主
人の病気はあまり良くないものである可能性が
あります」

妻が息を呑む音が聞こえ、心なしか顔色が青ざ
めたように見えた。 私は続けた。

「右肺に小さな腫瘍があるのですが、肺を被う
胸膜を破って肺の周りに広がり、胸の水の原因
になっています。

先日採取した胸水からは異型細胞が見つかりま
した」

癌細胞と異型細胞はほぼ同義語なのであるが、
一般の人にはニュアンスが異なって聞こえる。

この時代、癌という言葉はできるだけ口にする
ことは避けていた。

「手術になるのですか?」 妻は搾り出すような
声で尋ねた。

この時点で妻の「手術するほど悪いのか」という
認識と医師の「手術ができればいいのだが」とい
う認識はすれ違っている。

「あらためて助教授から説明がありますが、手
術の方向で考えています」

「癌でしょうか?」 妻がかすれた声で尋ねた。

「明らかな癌細胞ではありませんが、このまま
置いておくと悪性になる可能性がある細胞が見
つかっています」

この時点で妻の「何も病気はないか、薬で治る」
という希望は消え、その前に「夫は重病であり、
癌かもしれない」という現実が突き付けられた。

一瞬、辺りの空間が凍りついた気がした。…















「真面目に働いていたはずなのに、悲惨な老
後が待っていた」。これが今の日本の現実な
のだろうか。普通の勤め人として中流以上の
生活を送ってきたのに、彼らはなぜ生活苦に
陥ったのか?


※…真面目なサラリーマンが“貧困老人”に
なる時代  

多数の「貧困老人」を取材すると、彼らは最初
から下流生活だったとは限らず、むしろ普通に
働いてきた人たちばかりであることが生々しか
った。

生涯独身、あるいは離婚したという人が多く、
日常生活における孤独も際立っていた。  

老後に向けた貯蓄をせず、年金に頼るつもりが、
年金だけではまったく足りないと知ったのは自
身が老いてからだったという。  

現在、貧困にあえぐ高齢者に、1964年の東京オ
リンピックの好景気時に上京した人が多かった
ことを思えば、2020年以降に同様の状況が生じ
ることが懸念される。  

さらに、NPO法人「ほっとプラス」代表理事の藤
田孝典氏は「団塊の世代が75歳以上の後期高齢
者となる2025年前後に、生活保護受給者が一気
に増加するのではないかという『2025年問題』
もあります」と指摘する。


※…
750万人が“独居老人”に…孤独という大問題

2025年には、「世帯主が65歳以上」の高齢者世
帯が2103万世帯となり、これは全世帯の38.9%
に上る。

さらに、高齢者世帯のうち676万世帯が「夫婦
のみ」751万世帯が「単独世帯」。

つまり751万人が“独居老人”になることが予
測されている「日本の世帯数の将来推計-2019
年推計)。  

あなたは、一人暮らしの高齢者になっても、孤
独に陥らない準備をしているだろうか?

「高齢者には『キョウイク』と『キョウヨウ』
がない」といわれる。「今日行くところ」「今
日の用事」がないという意味だ。…


社会福祉士として高齢者問題に取り組んでいる
松友了氏(社会支援ネット・早稲田すぱいく理
事)が語る。

「社会的義務や組織にはめこまれていた人が引
退してそこから放たれると、やることがなくな
ります。

そして、よかれと思ってしたことが『高齢者ク
レーマー』や『老害』と叩かれてしまうことも
ある。

社会から必要とされないことがつらいのです」

貧困高齢者たちは居場所を求めて彷徨(さまよ)
っている。これは、年金や生活保護だけで解決
できる問題ではない。

老後に向けた自身の「準備」が大事なのだ。  

これまで取材した貧困高齢者たちは、総じて無
気力だった。

貧困ゆえの無気力なのか、無気力ゆえの貧困な
のかはおくにせよ、人生に夢や希望はとうてい
抱けないようだった。

「老後の楽しみ」という言葉が、これほど虚しく
感じられることはない。  

こうした辛い老後が、誰にでも訪れうる時代で
あることは心に刻んでおきたい。…









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