大きな事故で2回とも流血もないし、これはただ事ではないと私を思い出したと言うわけでした。
Kと出会ったのは40歳の時でした。
連れ合いの難病も10年に一度くらいに再発と思えるような悪化の時期があり、38歳の時が最悪だったのです。
「もうだめだ~~!」と八代亜紀さんの「ともしび」と言う歌を聞きながら、通勤の車の中で涙を流していた時期でした
あなたの命のともしびが
もうすぐ消えると聞かされた~♪
家では家族の目がありますから、泣き場所は通勤の車の中でした~
私には泣き場所もないとよく思っていましたねえ~、その頃は~
昭和55年の春でした。
たけのこ採りやツクシ採りを特にこの春はしていました。
来年はもう出来ないだろう~と思いながら・・・
「3人も子どもをお前に産ますのではなかった~」としみじみと連れ合いが悔やんでいたこともあったのですよ~
悲痛なうめきですが、だから私は頑張れると思っていました~
そんな中を導いてくださった霊能者ですから、無神論だった私も信じられない事だけどこんな世界もあるのだと実感できていました。
その直後の担任だったので、感激が強く残っていた時期だったのです。
息子たちは高1・中1・小4でした。
我が子に語るような真剣さで命の授業をしていたのでしょうねえ、きっと!
連れ合いは連絡を取ってその10日後にKの母親と出かけていきました。
受験祈願をありとあらゆるところにおまいりをしてお札をもらい祈願しておきながら、合格したのにお礼参りに来ていないと言う知らせだったそうです。
お札も机の中に放りっぱなしにしているし、お礼参りの仕方なども丁寧に教えてもらったそうです。
きちんと親が実行したら健やかにして3ヶ月以内に返してやろうと言う話だったと聞きました。
5月24日のことでした。
私は昔から雑記帳と異名がつくくらい日にちと名前を覚えていられる特技があったので、今もそうなのですよ~
1学期の終わりに3者面談があり、通知表と夏休みの過ごし方などを話し合うのです。
私は2年5組で、Kの妹は6組でした。
7月16日の午後、次の面談を待つ少しの時間に、Kの母が廊下を通りました。
一人だと見たので、「先生、20日にKが退院できるのですよ~」とうれしい話を聞かせてもらえたのです
5月の時に3ヶ月と聞いてとてもありえない~と内心で思っていたのだけど、それ以上に早い2ヶ月とは大きな驚きでした。
大学も休学願いを出しているから、元気になり次第行けますから~と聞いて、安心したものです
不思議なことって本当にあるんですよ~
教え子との追憶ではないけれど、同僚の数学のT教師のご主人も鮮やかな助けを受けた一人でした。
家庭科のN教師の姉も助かってもらいました。
3番目の妹もその一人です。
元気になって仲人をして差し上げた会社の部下のMさんも~
死を宣告されるくらいの重篤な状態からの生還ですからね~
また時間があったら横道でお話できるかもしれません。
その当時は助けてもらえたうれしさで、病気で悩んでいる人に会うと、紹介して連れて行ってあげました。
それが助けていただいた恩返しだと心から思っていましたからね~
金儲けや商売でないと信用してもらえているから、見事に不思議と素直に聞いてもらえ喜びをつかんでいただきました。
そんな喜びを連れ合いの横にいてたくさん体験できましたねえ~
Kと同じクラスにYもいました。
Yが音大の3回生になっていた正月のことです。
年賀状は10円の電話で挨拶できるのだから、学生の間は無駄遣いをするな~と毎年言っていたので、大学生になっても守っている生徒がいて、その中の一人でした。
初詣から帰った11時過ぎに、Yから電話がありました。
「Yさん、おめでとう~
良い年を迎えられましたか~」というと、
「先生、私の家にはクリスマスもお正月もないのです~
姉が死にたいといって包丁を持って暴れるし、取り上げると電気のコードを持ってトイレに篭もり、首を絞めようとするし・・・
母と二人で見守っている毎日で疲れ果てているのです。
助けてもらえませんか~」と言う内容でした。
包丁を持って私が死にたいのに死ねないのはYちゃんたちが邪魔をするからだと暴れる時は、隣の人にも押さえてもらわないと母と二人では無理なんだと話します。
地獄のような日々が11月くらいから続いているのだと・・・
明日に続く
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