人間賛歌・もっちゃん4649

この子らが私に光を

開校当初、障害児学級はありましたが、その後6年間くらい該当生徒がいなくって学級は閉鎖されていました。

学級担任の時は活き活きとしていた私も管理色傾向の強い学年主任は面白くなくって、もうこの学年を卒業させたら私も辞めようと決心しかけていた時だったのです。

連れ合いが難病に罹っていた10代の終わりの記憶があるだけに、子育ての途中でもバトンタッチできるようにスペアーの気持ちで長い間勤めていたのも事実でした。

50歳を目前にして楽しくない職場なら辞めて、児童福祉関係の免許もあったのでそこで子どもに触れ合える仕事をしたいなどと現実逃避の夢を見ていたのです。

2学期末にはかなり本気になっていました。

もし、良い仕事に出会えないときはどこかの大学生になってもいいわねえ~なんて、息子に打診していたこともありましたからね~

そんなある日校長室に呼ばれ、「来年2名の生徒が入学してくるので、本校もみどり学級2クラス増にするのですが、担任としてはダウン症の小柄な女の子は知的障害児学級生なので内臓疾患も併せ持っているし、子育ての経験のある女性教諭に担任を願いたいのです。
自閉症の男子の担任には若手の男性教諭を当てたいと思っているのです。」と説明がありました。

「教育委員会にすぐに直訴する積極的な親らしいので、対応できる教師でないとやり込められてしまい前向いて運営できないだろうし、先生に一応やる気の有無を確かめさせてもらっているのです。」という用件でした。

私も前々から一度障害児教育と関わりを持ちたいという願いがあったことを伝えました。

「この子らを世の光に」する運動支援の取り組みが生徒会活動で実施されていたのです。
鉛筆や消しゴムを買うことで売り上げのいくらかが善意銀行にまわるというものでした。

学級担任だった頃は、「一人がたくさん買わなくっても、たくさんの生徒が心を寄せ関心を示してくれていると思えるほうが親御さんたちの喜びが大きいだろうからね、消しゴムも良質だし1個50円の協力を年に1回だけなので、全員でやれたらいいわねえ~」と言葉を添えて申し込み用紙を配ると、ほとんど全員が賛成してくれました。

2学期の中ほどでしたからクラスのまとまりのカラーがとても綺麗になっているころでした。

生徒会担当の顧問に申し込み状況の結果を見せてもらって、我がクラスが断然トップだったと確かめて協力いただいた喜びをプチモナミでお伝えしていたこともありました~

この子らに世の光を当てて欲しいという運動ではなく、この子らを世の光にするのだという優しい社会を実現する運動ですから、一人でもよき理解者を増やしたいと願っていました。

弱者に住みよい環境はすべての人にも居心地の良い社会ですからね~

学級経営はこの考えが基盤でした~

障害児学級を中核にすえて学校運営できたら素晴らしいと管理職みたいなことを思っていたのです。

校舎の片隅でひっそりと生活するのではなく全校生の先頭に立って光り輝くみどり学級生であって欲しいと願っていました。

即、ぜひ私にやらせてください~と担任をお願いしたのです

水を得た魚のように心の元気を取り戻すことが出来ました。

時間があれば、柔道部の部活教室になっている汚い部屋を片付け4月に新入生を迎える準備を夕方遅くまでこつこつとやっていました。

知的障害児学級と情緒障害児学級と二部屋が私の活動の場となりました。
相棒の先生は新婚ほやほやの温厚な理科の教師で、アトピーがひどくかなり欠勤が多く、その年も特休を5月頃から取られたので、新しい講師と二人理想を語り聞いてもらいながら実現に向けて頑張りました。

今思うと、この子らが私に光を当ててくれたのだと思えます
それまでの25年に匹敵するくらいに貴重な10年を与えてもらえました!

続きは明日~

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「この子らを世の光に」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事