この希望にあふれた子どもたちの背後には多くの肉親が祈るような気持ちで見つめ入学を祝福しているし、見守っているのだと強く感じたものでした。
その頃の私は誰でもいい、一人理解者がいてくれたら私たちは頑張れる~
子どももまっすぐに伸びていける~
そう信じていました。
肉親のありがたさは私には痛いほど大きく感じられたのです。
養護施設で家族の愛に飢えた子どもたちの空虚な思いを埋めてやることの難しさを体験していたので、すぐにこの宝物に目をつけて親の心を繋ぎ止めるパイプ役として学級通信の活用を思いついたのです。
プチモナミ(小さな恋人)と言う通信はこの年に始まりました
いつも気になる人、大切に思う人、幸せであって欲しいと願う人、それは恋人です。
フランス語でプチは小さなという意味、モナミは恋人。
みんなのことをプチ・モナミと呼ばせてほしいです。
先生の片想いだと思うけど、心を伝えていけばきっと振り向いてステキな笑顔をいつの日か返してくれるのではないかと思い、通信を出します。
その後30年近く学級通信・学年通信・みどり学級通信(全学年)と対象者は大きく変わっていきましたが、毎年1号には私の自己紹介と通信名の謂れを載せていました。
2号は自己紹介を兼ねて、今年の抱負を語り合うページです。
わが子が新しい環境でどんな毎日を送っているのか、親は知りたいと願いますからこのやり方はとても私には合っていました。
最初の3年間は苦い思い出もなく試行錯誤しながらうまく進んでいきました~
3年担任の時に次男が小学校入学の年でした。
いじめに遭い、ごきぶりのあだ名が付いたりして親子ともども悩んだ年でしたので、親としてなす術の無い憤りを体験できたので、これは許せんと次の学年を受け持った時から学級開きの翌日に、呼び名の大切さを取上げる取り組みを始めたのです。
本当にわが子の成長の過程で見せてもらえた様々なことが親の気持ちを理解できる大きな教えとなっていました。
いじめは許さないと言う姿勢を示し、担任は一番弱者の味方に立つと学級の雰囲気が変わって来ることを学んだ年でした。
34歳の時でした
かなり重い知的障害のあるHが親の希望で普通学級にいました。
年子の兄がいるから肩身の狭い思いを兄にさせたくないと親は考えたのです。
Hは退屈になり誰かにかまって欲しくなるとすぐに唾を吐きかける癖があると言う引継ぎ内容でした。
普通学級でお客さんとして静かに座っていたら良しとする毎日なので、善悪をみっちりと教え込む余裕の無いところで生活してきました。
ほんとうは何の進歩も向上も無いなかにHは毎日閉じ込められていたのでした。
座席は教卓のまん前~
唾を吐いても一段高い教卓がさえぎってくれるから被害は少なくて済みます。
どこに座らせたらクラスのみんなへの被害が少なくって済むか~
Hのことはそっちのけでお客さんのままに放置していた担任でした
いじめの対象は自分たちと異質なものに向けられ、エスカレートしていきます。
言葉をもたないHはいつもおびえたような泣き笑いに似た笑みを浮かべていました。
どこまでしたらほんとうに泣き出すのか一度泣かせてみようという度胸試しが始まり、昼休みに男子数人のいじめの対象になっていきました。
椅子に座って黙って必死に固まっているから面白かったと言います。
椅子を背後からガタガタと揺すってみたり・・・
だんだんエスカレートして行き、たたいたりつねったり・・・
言葉を持たないからされるままだし、いやだという意思表示もできません。
家に帰って何も言わないし誰も気づいてやれませんでした。
だんだんそんな日が続くうちにHは教室の入り口から中に入りたくないと言う素振りを見せ始めます。
朝の会が始まるときに入り口の廊下で私を待っているのです
明日に続く~
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もっちゃんです
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