骨董屋 青雲館

昭和の金沢、まだ子供だったころのことや、今の金沢に思うことなど、折々に綴っています。

90歳の母の戦争体験

2023年08月13日 | 日記
先日ネットサーフィンで見つけた硫黄島の記事で思い出したのですが、そこにも書かれていたように、当時は爆弾が落ちた際に目と耳を守るように言われていたようです。

戦時中はまだ小学生だった母の戦争体験として、子供のころにいろいろ聞くことがありました。
金沢は幸い空襲には逢いませんでしたが、富山の空襲での火事が金沢からも見えたそうです。
家は商売をしていたので、ひどく食べ物に困ることはなかったようでしたが、働き手の父親が招集され、いろいろと大変だったようです。
灯火管制だけでなく、計画停電(というかある時間だけ電気がつくというもの)もあったとか、空襲警報が鳴ったら決められた防空壕に入るのだが、町中なので遠くまで行かなくてはならず、病で足の不自由な祖父は家に残っていたとか聞きました。
今ではなくなってしまいましたが、子供のころには小立野に上がる坂の途中の崖には、まだ防空壕の入り口跡が何個か残っていました。

学校で空襲の訓練をした時、先生に「敵の飛行機(訓練用)」は吹き流しをつけているから…と言われ、そのまま米軍は吹き流しをつけて攻撃に来るんだと思っていたほど子供のころの話だそうですが、その時に「爆弾が落ちた時の衝撃で耳が聞こえなくなったり、目の玉が飛び出ることがあるから」と、親指で耳をふさぎ、あとの四本の指で目を覆ってうずくまるように」と言われたのだけはしっかり覚えていたようです。
本当に爆風でそうなるのかはわかりませんが、当時は兵隊さんもそういっていたようですから、そういう教えが広まっていたのでしょう。