骨董屋 青雲館

昭和の金沢、まだ子供だったころのことや、今の金沢に思うことなど、折々に綴っています。

金菓糖

2015年02月25日 | 日記
昔は北陸はどこもそうだったのかもしれないが、金沢のひな祭りは四月三日だった。
端午の節句も一か月遅れの六月五日に行われた。
三月三日ではまだ寒く、桃の花も咲かないから…と子供のころは教えてもらったが、今では温暖化が進んだせいか雪も昔ほどは降らず、花も雛菓子も二月に入ったすぐから店に並んでいる。

雛菓子といえば金菓糖が真っ先に思い出されるが、昔はここだけのものではなかったようで、以前ご近所だった東京町田にご実家のある奥様も、子供のころにはお雛菓子として飾ったことがあるとのことだった。

子供のころはひな祭りの終わった後、それを下ろして食べるのがうれしかった。
今でもひな祭りの後、白湯と一緒にひとかけらずつ口に入れるのが楽しみだが、甘すぎて食べられないという人も多いようで、煮物の砂糖として使われることも多いようだ。

いろんな野菜や鯛の形が多く、それに有平糖の花や、波や笹の葉の形をした菓子を添えて篭に盛られる。
今では手のひらサイズの篭でさえ二千円近い値段になってしまったが、そのせいか、それとも全国的に有名になって生産量が多くなったためか、今年はばら売りの金菓糖も売り場に出ていた。

子供のころはひな祭り近くの菓子屋に行くと、いろんなばら売りの金菓糖が並んでいて、好きなものを選んで買ったものだった。
もちろん食べることを前提にして選ぶので、波か笹の葉のカリッとした甘さも好き、金菓糖はニッキの香りのする「たけのこ」は絶対外せず、有平糖の魅力もあって、貰ったお金の中でいろいろ考えて選ぶのは楽しかった。

有平糖はアルヘイトウと読み、南蛮から伝わった菓子のことだと聞いている。アリヘイトウということもあるようだが、以前雛菓子を置いている和菓子屋で「アルヘイトウはありますか」と尋ねたら、そこのおかみさんに怪訝な顔をされた。
説明したら「ああ、それならユウヘイトウというんですよ。うちには置いてありませんが」と言われたことがある。
今では菓子の名前すら昔のままでは通じなくなってしまったのだろうか。
有平糖も、店によってはただの細工飴でしかないものもあるが、やはり昔ながらのものは固いなかにも外側のふわっとした感触があって味わい深い。
だからそんな昔ながらのものが少しでも長く続いてほしくて、毎年金菓糖で有名な老舗の品を、ささやかながら応援買いさせてもらっている。
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