骨董屋 青雲館

昭和の金沢、まだ子供だったころのことや、今の金沢に思うことなど、折々に綴っています。

昔のお笑いと言葉狩り

2019年10月30日 | 日記
ユーチューブに昔の懐かしいお笑いがいろいろとアップされているので、結構楽しんで見ている。
いとしこいしや中田ダイマルラケット、映像はないが砂川捨丸春代の声まであって懐かしく、また面白かった。

いとこいやダイラケの漫才は相手を馬鹿にすることもなく、それでいて軽妙な掛け合いで笑いを生み出した。
捨丸は昔の大夫才蔵の万歳の様に鼓をもって合いの手のように鳴らしながらも、世の夫婦漫才のように相方の春代にコケにされることもなく、小さいころに見ていると一種の芸能のようにも感じた。
漫才は「お笑いブーム」からテンポが機関銃のように早口になり、また人を馬鹿にして笑いを取るようにもなってきたように思う。
でも最近ではまたコンビの掛け合いで笑いを生み出すようなものに戻ってきているようで面白い。

そんな昭和の漫才を聞いていると、今の時代では炎上するだろうな…と思われるような話の内容も多い。
笑いを取るためではあるが、相手の奥さんの容姿をけなしたり、娘の結婚相手探しを飼い犬の貰い手探しと同じように扱ったり、落花生の皮をむくのを女性を乱暴するときにたとえたり、その時代では別になんでもなかったのだろうが、やはり世の中がそれだけ変わってきたのだろう。

今は忖度や自主規制だけでなく、世の中が「言葉狩り」のようになっているようだ。
一番ターゲットになっているのはメディアでよく取り上げられる政治家や芸能人のようだが、ユーチューブなどを見ていると、一般人の投稿動画でも規制にあっている人もあるようだ。
一方では表現の自由があると言いながら、弱者への配慮を錦の御旗に言葉狩りの過ぎるときもある。
何とも生きにくい世の中になったものだと、昭和生まれはつくづく思う。

テレビで聞いた外国語

2019年10月27日 | 日記
昭和三十年代になると、当時皇太子であった上皇様のご結婚の儀がテレビ放映されるのをきっかけに庶民にもテレビが普及した。
テレビ放送が始まるといろいろな歌手が画面に登場したが、東海林太郎のように礼装で直立不動で歌う方もあれば、米軍キャンプを回って腕を磨いた方は英語の発音も衣装も振り付けもアメリカ風で新しかった。

歌手は本場の発音で歌っているのだろうが、テレビを見ているこちらは外国語などわからない者も多い。
だから「バナナボート」の歌は「ディーオ、イテテ、イテテ、イテテ、イテテ、痛ててーよ」と、何とも痛そうな歌に聞こえる。
江利チエミの「チャチャチャは素晴らしい」の歌も、みんな意味も分からず「ワンロケ、ケーロケ、チャッチャッチャ」と唄っていた。
ギターを引きながら歌うアントニオ古賀は、なんといっても「マラゲーーーニャ」と長く長く伸ばして歌うのが面白かった。

何を言っているのかわからないが、とにかく「よその国の言葉」というものをテレビの歌で初めて聞いた。

杜若の像とひゃくまんさん

2019年10月26日 | 日記
県議会庁舎にある「杜若像」については以前にもこのブログで書いたことがあるが、今回それをキャラクター化して名付け親を公募するという。
「ひゃくまんさん」に続いての人気者になれるだろうか。
名前の募集は11月22日に締め切られるので、お披露目はそれ以降になるのだろう。どんな名前になるのか楽しみにしている。

「ひゃくまんさん」は加賀百万石からついた名前で、その名の通り、金色のだるまに加賀友禅模様をあしらい、ひげは輪島塗という豪華なキャラクターだ。
だるま姿は縁起もいいが、また顔や動きも愛嬌があって可愛らしい。

(「かわいらしい」というのは金沢弁か? 可愛いと愛らしいを一緒にしたものなのだろうか…)

「ひゃくまんさん」は体形がだるま型なので、改札も通れないし電車やバスにも乗れない。だからせっかくの北陸新幹線にも乗れず、移動はもっぱらトラックという切ない一面がある。
それでも時折東京で活躍しているのを見ると、商売気のない県のキャラクターにしてはよく頑張っているなと思っている。
彼のグッズはいろいろあるが、駅のおみやげ売り場に行けばほとんどのものがそろっている。
私は漆シールのひゃくまんさんが好きでスマホに貼っているが、ペットボトルの「ひゃくまんさん」も捨てがたい。
加賀棒茶のペットボトルのラベルが「ひゃくまんさん」になっているのだが、以前より売り場が少なくなって、今ではなかなかのレアものだ。
現在では中身がお茶でなくなったものもあるようで、もしかしたらだんだん作られなくなっていくのかもしれない。

今度の「杜若像」も、キャラクターになったらいろんなグッズができるのだろうか。
先輩に負けないように、彼のキャラクターを生かして頑張ってもらいたいと思う。




昭和的な職場?

2019年10月24日 | 日記
定年退職後のパート勤めに、これまでとは違った仕事をしてみたくて洗い場の仕事を選んだのだが、これがまた大変だった。

もともと「大変な仕事だけど大丈夫?」と言われたのである程度覚悟はしていたが、仕事内容もそうだが、何より現場の教え方自体がきつかった。
仕事内容は返却されてくる食器と、食事の提供に使われる鍋やお玉などを洗って片付け、さらにホールの床とテーブルを掃除するというものだ。
ただ、職場の何百人もの人が一斉に決まった時間に食べに来るため、食べ終わって一斉に返却に来るとシンクに山のように食器が積みあがる。それと同時に空になった鍋や米櫃などが続々と運ばれてくる。
それらを決められた時間内に鞭で打たれるように必死で洗い、さらに利用者のいなくなったホールも整えなくてはならない。
それらの仕事一つ一つにいろんな細かい「決まり」があって、それができていないと口うるさく注意される。

仕事上、それを守らないと危険だからとかいうのであれば当然注意されて当たり前なのだが、休息時間に先輩より先にトイレに行こうとしたり、その日の割り当て仕事の空きがいくつかあって、「どれにする?」と先輩に聞かれてうっかり自分の希望を言ったりしても嫌味を言われたり怒られたりする。
要は「新米がベテランよりでしゃばるのは気に入らない」ということなのだろうか。

新しく入ってくる者は、ここでのやり方はわからない。そしてある程度教えてもらっても、すぐにベテランのように働けるようになるわけでもない。
時にはその時のスタッフ数やメニュー内容によって、いつもと違った仕事の流れになることもあり、そんなときはまた教えてもらわないとわからない。
自分の仕事をしながら人を教えるというのは、確かに大変なことだと思う。だが教えてもらう立場というのも、また気を使って大変だ。

「なんでそんなことをするの」と言われたら、すぐに謝らなくてはならないようだが、馬鹿正直に理由を言って怒られる。
こうしたほうが自分的には早くできる…と思っても、違ったやり方は認められない。
判らないことは「聞かないほうが悪い」、でも聞くと「いちいちうるさい」という顔をされる。
確認のため「これでいいですか」というと「なんで聞くの、これまで何度もやってるでしょ!」と怒られる。
注意された意味がよくわからなくても「いうことを聞かない」と吹聴されたり、自分の教えた通りにやらないと、それが他の先輩から教わったやり方でも気に入らなかったり…。
なんとなくこの年になって何でいまさら嫁いびり? と思うような毎日を過ごし、次に新しい人が入ったらやめようかと思いながら、それでもぽつぽつと後から入って来た人たちも皆一週間もしないうちにいなくなって、結局いまだにずるずると働いている。

私より何か月か先に入った人も、いまだにターゲットになっていて、注意されて黙っていれば「何も言わない」と馬鹿にされ、自分の考えを言うと「ああ言えばこう言う」と怒られ、「はやくやめればいいのに」と面と向かって言われている。

いくら新人を入れても定着しないからか、派遣元の会社から職場に「パワハラに注意するように」というポスターが張り出されたが、自分たちのやっていることは正しいと思っている方々には意味がない。
私自身もまだ新米だから、いつやめようかと思いながらも、先輩方の教えにはこれまでに得られた経験が込められていて、まだそれが理解できていないだけかもしれないと思うと、今はあれこれ文句を言わず、受け身でいるのが良いのだろうと思うこともある。
現代は、そんな職場はブラックと言われるのかもしれないが、案外肉体労働的な派遣業務にはそんな昭和的な?職場環境が残っているのかもしれない。



久しぶりに

2019年10月23日 | 日記
ずいぶん長い間書き込みを中止してしまった。
その間に私事ながら長年携わってきた仕事を定年退職し、新しい生活が始まった。

退職後は時間のゆとりができるから、これまでなかなかやれなかったことができるだろう、思い切りブログも書けると思っていたが、実際退職してみれば年金では足りない生活費を稼ぐためにハローワークに通ったり、これまでとは違った仕事や人間関係に慣れるのに時間がかかってしまった。

世の中も平成から令和に移り変わり、継承を世界にお披露目する即位礼正殿儀も滞りなく終了した。
昭和はますます遠くなり、私的には自分の子供時代のことがまるでちょんまげ時代の思い出のような文化の変化を感じてしまうが、消えてしまった文化や言葉、使われなくなったものの数々を懐かしみながら、これからも少しずつ書いていけたらと思っている。