金沢では個人商店はもちろん個人医院などでも名字を屋号として使うため、店の事を話すときは基本呼び捨てです。
結婚後住んでいた千葉の木更津の人たちは「〇〇屋」(〇〇にはそこの店の名字が入る)と言っていて、それで金沢は違うんだなと感じました。
もちろん屋号として使うときだけで、その家の人に対しては普通に〇〇さんと言います。
デパートや大型スーパー、大手のドラッグストアなどを言うのと同じ感覚なのだと思います。
神社や寺院も普通に話すときは呼び捨てですが、改まった時には〇〇神社、〇〇寺さんなどと言います。
それでも長年鎮座していらっしゃる神明宮は「お神明(しんめ)さん」と呼ばれていますし、野田にある桃雲寺は前田利家公の菩提寺として「大桑御坊(おんまごぼ)」と呼ばれていたようですから、呼び捨てにするのはそれだけ身近で親しいことの表れなのだと思います。
金沢も昔は「尾山御坊」があったことから、金沢に家のある者は郊外の親戚の家に行くと「おやま(尾山)の〇〇さんがいらした」と言われました。
子供の時は「お山から来た」と言われていると思い、そんな山奥に住んでいるわけでもないのにと不思議でしたが、大きくなってようやくその意味が分かりました。
結婚後住んでいた千葉の木更津の人たちは「〇〇屋」(〇〇にはそこの店の名字が入る)と言っていて、それで金沢は違うんだなと感じました。
もちろん屋号として使うときだけで、その家の人に対しては普通に〇〇さんと言います。
デパートや大型スーパー、大手のドラッグストアなどを言うのと同じ感覚なのだと思います。
神社や寺院も普通に話すときは呼び捨てですが、改まった時には〇〇神社、〇〇寺さんなどと言います。
それでも長年鎮座していらっしゃる神明宮は「お神明(しんめ)さん」と呼ばれていますし、野田にある桃雲寺は前田利家公の菩提寺として「大桑御坊(おんまごぼ)」と呼ばれていたようですから、呼び捨てにするのはそれだけ身近で親しいことの表れなのだと思います。
金沢も昔は「尾山御坊」があったことから、金沢に家のある者は郊外の親戚の家に行くと「おやま(尾山)の〇〇さんがいらした」と言われました。
子供の時は「お山から来た」と言われていると思い、そんな山奥に住んでいるわけでもないのにと不思議でしたが、大きくなってようやくその意味が分かりました。