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シンガポール紀行

2018-02-21 15:23:34 | 旅行

シンガポールの知られざる側面

シンガポール2泊3日、ツアー旅行に参加した。



淡路島位の面積、小国家、シンガポール。
シンガポールは日本人とって、驚く側面がある。

① 国民の平均年収10万ドル。1000万円。
日本人の平均年収4万ドル。日本人の2.5倍の給与をシンガポール人は稼ぐ。

② 住宅。 平均的家賃、1か月3000ドル~4000ドル。 平均月30万円~40万円。

この数字はアジアで突出している。全てが異常に高い。

シンガポールはアジアに位置するが、イギリスの出先、出張所のような国だ。
イギリス人が作った国だ。
300年前貧しい漁村の島を世界に冠たる経済国家に作り上げたのはイギリス人だ。
シンガポールは他民族国家。 中国系、インド系、マレー系3種の民族で構成されている。
現地住民はイギリスに過去の植民地支配を謝罪せよと叫んでいる。
イギリス人にしてみれば、自分が数百年かけて築き上げてきた経済地を奪われた心境だろう。


シンガポールには国を美しくする法律が有るそうだ。
街の設計は計画されておりきれい。



シダ科の植物


苔科の植物


イギリス人の観察力に驚く
シンガポールは亜熱帯の島であるが故に、植物が多い。
何気ない木、植物。
入植したイギリス人は誰も気にとめない植物をしげしげ観察する。
葉の形をノートにスケッチしている。そして、膨大にスケッチした植物を細かに分類し、それぞれ名前を付けている。
そしてBotanical 、植物学として学問にまで発展させている。
シンガポール現地住民、中国人、インド人、など絶対にそこまではやらないだろう。
我々日本人は、ワビ、さび、桜、杉、ヒノキ、と植物を観察するが、イギリス人ほどに、詳細に、学問するほどにまでに植物を観察しない。
イギリス人の観察力には驚く。 自国には見られない植物に接して彼らは非常に関心を示した。葉っぱを何千枚もスケッチするイギリス人は奇異に思われたことだろう。
イギリス人のその観察力は「科学の原点」のように思う。
数学、物理学等自然科学を発展させたイギリス人。

大英帝国の象徴シンガポール。シンガポールに来てイギリスを感じる。
世界の近代化に大きく功績を残したイギリス。
しかし今イギリスは実入りの少ない老いた国になってしまった。

今大英帝国の名残はロンドン、大英博物館において見ることができる。

大英博物館 British Museum




1921年イギリスの領土 大英帝国


定年退職後の移住先にシンガポールは人気があるそうだ。自分も興味を示したが、所持資産1億は必要だろうという。興味は消えさった。


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ベトナムの高原都市 ダラット紀行

2018-02-20 17:03:35 | 旅行

今ベトナムは正月休み。
私の勤める会社は2月10日から2月20まで正月休暇だ。
社員の多くは親元に帰って家族と過ごしている。

私は会社からダラット旅行の切符をもらいダラットツアーに参加した。
ダラット( Đà Lạtt)は、ベトナム中南部の都市で標高1475メートルの高原に位置する。フランス植民地時代に避暑地として開発された。 人口20万人。冷涼な気候なので心地よい。
標高1475mの高地であるのに人口が20万人とは驚いた。



私が滞在するホーチミンからダラットまで飛行機で行く。飛行時間30分。

ダラットに到着。飛行機にタラップが横付けされる。 機内から外に出る。
さわやかな空気、冷涼な空気に新鮮な興奮を覚える。

空港の風景は驚くほど爽快だ。
日本の空港では見られない。
気温20度c。






日本の主要な空港、成田、関空、名古屋セントレアとは大きく趣が異なる。
空港から出てバスに乗る。ホテルに向かう。高原都市だから空港からホテルまで遠くはないはず。しかし、意外にも、ダラット市街地まで1時間30分近くもバスに乗った。
道中は山岳地帯の山斜面に造られた道路を走る。
1時間走ったあたりから風景が開け人口20万のダラット市街へと入った。
市街地はあまりきれいではない。非常に混雑している。
空港の爽快さとは対照的だ。

右端の赤色のシャツを着た女性。ベトナムらしい山帽子をかぶって、一生懸命料理を作っているのを私は見ている。
私は料理が来るのを待っている。なんとなく、なにげない路上で働く女性の後ろ姿にベトナムに来たのだなと思う。


ダラットの魅力は空港周辺の風景だろうと思う。
中心部は混雑で特に心に印象深く残るのはない。



帰りの飛行機に向かって歩く。
iphone で撮影する。
前を歩いている一家。 何か絵になる1枚だ。
時折の旅行は気分転換になって良い。
また明日から会社勤務、仕事だ。会社の仕事は私がリーダーとなって大きなプロジェクトが進行中だ。




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スイス人一家を訪問

2015-09-19 15:05:13 | 旅行

あるスイス人一家を訪問
スイスは欧州の中央、アルプスに位置する国で面積は日本の九州くらい、人口は800万人。
私が日本にいたころ、スイスは小国というイメージだったが、実際は世界最高の国際競争力を持つ国だ。
精密機械、高級腕時計、はスイスの主要産業。 
国民の一人当たりのGDPは42,000ドル。一方日本国民一人当たりのGDPは36,000ドル。日本よりも豊かな国スイス。
 
マニラにいたころ、スイス人と縁ができお宅をお邪魔する機会が有った。
彼は、服装、風格からして他欧米人と異なる気品があり、富裕層という感じだ。
英語も丁寧なイギリス英語を話される。
この一家はマニラから1時間のところにあるアラバン市に住んでいた。家を訪れるとあっと驚く豪邸。プール付き、庭園が美しい。企業家だそうで、大変な富豪だ。
なぜスイス人が豊かなのか、興味をもち調べたところ、日本と共通するものがあり、スイスに親近間を抱くようになった。
かって国際競争力のある産業がなかった地方の貧しい国スイスがなぜ、世界に冠たる最高に豊かな国になれたのか。



「嘆きのライオン」フランス革命
19世紀の欧州は戦争が多く、多くの雇い兵、傭兵にスイス人が応募し、傭兵からもたらされる外貨はスイスの主要な収入になっていた。
ある一家の兄弟、お兄さんがドイツの傭兵、弟さんがフランスの傭兵になり、ある戦場で、兄、弟が戦うという場面に遭遇。兄弟が敵になり戦闘になったとのこと。
これを知ったスイス人は嘆き、もう傭兵は止めよう、傭兵に出なくても生きていけるよう産業を作らなければいけない。 国を挙げて富国強兵に乗り出した。
この嘆きは「嘆きのライオン」としてライオンの彫刻があり、有名なスイスの観光地になっている。
そして、精密機械、ロレックスなどの精巧な腕時計を生み出し、世界でも指折りの国際競争力を持つ富裕国になった。 




一方日本も、敗戦時の最貧国の時代に、民官をあげて産業勃興に力をいれ、自動車、工作機械、電子機器、世界競争力ある産業を生み出した。
スイスと日本、なにか共通点があるように思える。
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タガイタイ紀行記

2015-04-26 08:24:44 | 旅行
タールビスタホテル
創設は1938年。高原都市タガイタイに所在し、タール湖が見渡せ、庭園が大変美しい。





タガイタイはマニラから南へ約60km、標高700mにある街で、有名な避暑地として知られる。
日中平均気温約25度C、夜間は20度くらいに下がる。
マニラの暑さ,喧騒さに日ごろ身を置く私にはオアシスなように思え、南フランスのようなロマンがある。

とても爽快だ。

訪れたのは、タールビスタホテル。4☆ホテルでタガイタイ随一の高級ホテル。
混雑もなく、とてもリラックスできるホテル。
宿泊しなくても庭園、レストラン、教会に出入り自由。
ホテルからタール湖の絶景が見渡すことができる。
タール湖は火山の噴火でせき止められてできた火山湖。

庭園内に洒落た教会があり、賛美歌が聞こえてくる。
クリスチャンではないが、耳を傾けていた。



ホテル、庭園、教会、全てが絶妙に調和し、うまい設計だ。
非常に洒落て垢抜けしている。

ホテルのロビー



光が美しくロビーを照らしている。

老白人紳士のさわやかな笑顔
タールビスタホテルにはアジア系、白人系の顧客が多い。
彼らのそばを通ると、英語、中国語、韓国語が聞こえてくる。

白人のお年寄りが楽しそうに談笑している。
彼は足が不自由で、付き添い女性に支えられながらタール湖の見えるところまで歩いていった。
その顔にはシワが深く刻まれていた。楽しそうに笑顔を作り、遠くのタール湖を眺める表情はとても豊かで良い顔をされている。
老年後期に入り過去生きた歴史が深く刻まれたシワに凝縮されているかのようにも思える。彼は深くため息をつきながら満面の笑顔でタール湖を眺めていた。
老年になっても美のある白人紳士、タール湖の美しい自然とその深く刻まれたシワ顔が、とても爽やかで印象的だ。
若い人たちもいる。しかし彼らは老紳士のようにタール湖の大自然に接して満面の笑顔を作らない。
老白人紳士には少年のような無垢純粋な美があった。 老紳士はきっと素直な誠実な人生を送ってこられたのであろう。大自然の美の前に純粋になれる。そこから笑顔、喜びが生まれる。

タール湖に浮かぶ休火山







ホテルの庭園


タールビスタホテルの外観




タールビスタホテル歴史案内



タールビスタから車で30分の観光名所




レストラン

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高度1万メートル飛行中

2013-09-02 20:03:16 | 旅行


成田国際空港を飛び立ったANA,全日空ボーイングジェット機、一路マニラに向け航行中。
現在の速度時速940km. 高度1万メートル、非常な高速で飛んでいるのであるが、高度1万メートルにもなれば速度感がない。空中にポツンと浮かんでいる感じだ。

主翼近くの座席を予約したため主翼の様子がよく見える。地上にいた頃主翼は若干垂れ下がっていたが、今、羽根は空気を捉え上向きに沿っている。主翼がこんなに弾力性があって曲がるとは驚いた発見だ。
沖縄上空を通過し、台湾が見えてくる。空が明るくなってきた。いよいよ南国の空。マニラが近ずいてきた。

私は空の旅が好きだ。高度1万メートルの機上にいると、地上にいた頃のいろんな問題が空言のように思える。
澄み切った青空の高度1万メートルでは人生をリフレッシュできるかのような新鮮な気持ちになることができる。

あれは何年前だったろうか。大阪にいた頃、12月中旬、その日は小雨が朝から降りつずく。傘を差しながら御堂筋を歩く私は不遇感、不運感、絶望感の極にいた。仕事上、家庭上、人生上さまざまな問題を抱え、直前2メートル前の地面をうつろに見ながら、さながら落ち武者のように落胆して歩いていた。寒い。足元が悪い、靴が濡れてくる。足が冷たく不快だ。 朝刊に年間自殺者が3万人を越えたと記事が載っていた。私もその一人に入るのだろうか、一瞬そんな考えがよぎった日だった。

人生の転機はそれからしばらくしてやってきた。フィリピン工場の工場長としてマニラに赴任してくれないかの誘いがあり、私は飛びついた。外国で仕事をし、収入を得、生活をする。私の人生は日本を離れて一転、好転した。何もかも変化した。全てが新鮮に見える。

あの時思い切って海外赴任に挑戦してほんとによかったと思う。今、私は日本にいたころとは全く違う、小成功の道を歩んでいる。
日本を出るとき私は全てを整理した。「断舎離」。全てを捨てた。家も家財も全て。家はデベロッパーが倒産したため暴落、売却益はマイナス。資産はほぼゼロ。しかし、海外に出て数年たった今、、、、、、、
私の資産は、年収に達した。世界にはチャンスが無数にある。日本にいたままでは、一生井の中の蛙で終わったことだろう。

高度1万メートルの機上にて。

マニラ マカテイ アヤラ通り

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