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生命は偶然ではない(エッセイ)

2021-02-15 16:46:37 | 日記



道端に小さな花が咲いている。
近寄り、よく見るととても可憐で美しい。
どんな芸術品よりも美しさを感じる。

私は感じる。 主催者がいる。 花を咲かした主催者がいる。
主催者は目には見えないが、意思がある。 咲かせようという意思、思い、が存在しているのを感じる。
花を咲かして命を楽しむ。美しさを楽しむ。
そういう、思い、意思を私は感じる。
意思を持った目には見えない存在を神様という。

神様がわからない人は花をよく見ればよい。
一体、だれが花を咲かせたのだろうか。花を咲かせた意思がある、想いがある。
と思いを馳せ、考えれば神様がわかる。

人は進化の結果存在するのではない。
サルから進化したのではない。神様が人間を作ったのである。

神様が花を作ったように、人も神様が作ったのである。
神様の人を作った思いとは、生きることを楽しむため、成長し、成功し、豊かになり、人生を楽しむために人間は作られている。
水、空気、食べ物、重力、みな神様が用意されたものだ。

人は本来、成功し、豊かになるものだ。
しかし、不幸な人が多いのも現実。
不幸の理由は、神様を知らない、自分の本当の親を知らない、魔を防ぐ方法を知らないことだ。

神あるところ、生命あるところ、魔もまた同時にある。
自殺、事故死、病死、貧困、不運---神様の守護の働いている人には無縁だ。

生命とは神様を意味する。
唯物論者の言うように、世の中物質のみで神はないとすれば、まさに何もない、混沌としたままで、花が咲くことも、生命が生まれることもない。

意思、意図、思い、計画がなければ何も存在しえない。

日本神道において、神の定義は以下である。
混沌とした何もない状態から、秩序ある世界、生命、万物を生み出した神を、
「天之御中主大神」
天をつかさどる神を
『天照大御神」
地をつかさどる神を
「素戔嗚尊」
神は目には見えない存在(霊)だからカクリミと呼び、略してカミと呼ぶ。
神様は目には見えないけれど、存在され生命が生きるためのエネルギーを常に放射されている。
私たちは神様のエネルギーがなければ生きられない。

私たちは神様の分霊だ。神様が親である。
神様がわかると、生きる知恵が生まれる。
神様は生もう、育もう、作ろう、成功させよう、豊かになろう、幸せになろう、楽しもう、--という意思、思いもった、創造することがお仕事の存在なんだ。
神様に自分の思いを向け、意識を向け、知恵を働かせれば、今の環境が激変し、きっと幸福な人生を送れる。
神様に抱かれ、親しみ、いつも一緒にいれば、人は安全で守られて、平安な人生を送れる。
神様の守護が働いていれば、悪魔に人生を邪魔されることも、奇病にかかることも、不慮の事故に遭遇することもない。
神様は胸で祈ること。頭ではわからない。

神様とともにあれは、不思議な奇瑞、に遭遇することがある。
不思議が奇瑞を体験すると、神の存在を確信するようになる。
モトハシ






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海外で抗生物資の偉大さを知る

2016-01-09 10:55:16 | 日記


フィリピンに駐在していた時のこと。
大阪に本社があり、工場をマニラに持つ会社で私は勤務していた。駐在2年目のころ歯の健康診断に行こうと思い立ち、現地の歯科医院に行った。私の歯は1本を除いて優秀だ。この1本というのは高校生の時虫歯で抜歯したもので、ブリッジをしていた。
特に痛むところはない。ブリッジの調子が少し変でメンテナンスしてもらおうと思って行ったのであるが、命を失いかねない大変な目にあった。

会話は英語で行う。ブリッジをはずした内部が虫歯になっているとのこと。 フィリピン人歯科医師は虫歯になっていますと言って、そのあと何も説明もなしで治療をしだした。麻酔を打ちペンチらしきものでなにかやっている。 歯を抜いている。この歯科医師はなんの説明もなしに、私の虫歯になっているという歯を抜歯していたのだった。

そして治療が終わった。1本抜かれてしまった。 フィリピンでは、歯科医師の主な治療法は抜歯だと聞いたことが有る。虫歯で歯科医院に行ったらほとんどの医師は抜歯するそうだ。患者に断りも入れない。抜歯が最良の治療だと思っている。  確かに、フィリピンでは歯のない人間が多い。

治療が終わった。医師は薬を出した。この薬を1日3回、5日間飲んでくださいという。
フィリピン歯科医師に不信感を抱いた私はどうも薬を飲む気になれない。 1日分飲んだ後飲むのを止めた。すると、私の体に大変なことが起こった。抜歯手術した箇所に菌が入り込み、化膿した。 菌の増殖はすさまじいと形容してよいほどで、顔は腫れる、何やら化膿しているにおいまでしてくるといった事態になり私は怖くなった。歯科医師に電話をしても出ない。

会社の友人は私の異常を知り、「抗生物質」を飲めという。 抗生物質は体内に入った菌を殺す薬で、薬局に売っている。処方箋は不要。だれでも買える。薬の名は「Cefarakishin 」セファラキシン」という。薬代は約1000円程度。取りもとりあえず、購入し飲んだ。すると、劇的といってもよいほど快方に向かった。腫れは収まり、化膿しているにおいも消えた。
後でわかったことだが、もし抗生物質(殺菌する薬)をのまなかったなら、私は命を失っていただろう。細菌症で亡くなるケースは多いらしい。

抗生物質とは何か
抗生物質とは何かを調べてみた。それは、「ペニシリン」という。1928年細菌学者イギリスのアレクサンダー・フレミング によって発見された。かれはペニシリン発見の功績でノーベル医学賞を受賞した。過去先人は様々な功績を残してくれているが、人類最大の功績は「ペニシリンの発見である」と、私は思う。 フレミングによって発見されるまで、人は人体に侵入してきた強力な細菌には無力であった。 怪我をして傷口から菌が血液を介して体に侵入してきた場合多くの者が命を落とした。 第一次世界大戦時、莫大な兵士が細菌症で亡くなった。ペニシリンが発見されたたおかげで、人間の寿命は飛躍的に伸びた。 人類史上最も偉大な発見だといえる。

ペニシリンとは何か。それば 「カビ」だ。お餅を放置しておくと自然,表面に曇りが発生する。それは カビ。 日常何気なく接する カビ。 このカビが白血球でも対抗できない強力な細菌を死滅させる。
 フレミングは研究中、ガラス皿上の細菌がたまたま飛来して落下したカビの胞子によって死滅しているのを発見した。
そう、細菌を死滅させるペニシリンとは 日常見かける「かび」だったのだ。 カビが、人を殺してしまう強大な細菌を殺すのだ。
すごいことだ。私は手を合わせて感謝する。

自然界に発生した細菌は、また自然界に発生したカビによって死滅させられる。これが発見されたのはつい90年前の1928年のことだ。

私は、フレミングの功績により、死をまぬかれた。なんて素晴らしい発見なのだろうと思う。
ペニシリンが発見されるまで、ちょっとしたキズで、菌が入り、そのまま亡くなってしまうという時代が1928年で終わった。
私たち現代人が健康で長生きできるのも、先人の功績のおかげである。

私は自称、素人神道研究家である。
この 「細菌」と「ペニシリン」の関係は、「魔」と「神」の関係とも言えると思う。

神の働きとは、産もう。育てよう。成長しよう。生きよう。成功しろ。という目に見えないエネルギー。
一方、魔の働きとは、神の作ったものを破壊しよう。殺そう。つぶそう。汚そう。無くそうとするエネルギーと言える。

ペニシリンが発見されるまで、人類は死を恐れた。しかし、ちゃんと、神というエネルギーは存在していた。ペニシリンは人間が作ったものではない。大自然界に存在している有機物質だ。
ペニシリンを存在なさしめた根源はなにか、それは、生きよ。生きるんだ。負けるな。という大自然界の意思の表れであると私には思えてならない。
偶然の産物であろうか?カビは。 決してそうではない。意思がある。 お前たち、これを飲め、そしたら病気が治って健康になれるよという、意思が存在するのを感じる。
カビは有機物、生命体、微生物だ。「意思」がそこにある。 私たちは、大自然界の意思によって生かされている。


私の命を助けたペニシリン、セファレキシン






カビが細菌を死滅させている様子がわかる。


セファレキシは緑色のカビ から作られる。


私たちは カビ に接したとき、どういう感情を持つだろうか? 気持ち悪い??
しかし、この カビこそ 人類を、何百万、何千万という人の命を救ったのだ。

セファレキシで私の体を破壊しようとした、細菌は死滅した。
セファレキシに私は「神」のエネルギーを感じる。生命を生かそう、育もう、守ろう、という、目に見えない「意思」を感じる。

大自然界の生きよう、生きるんだという意思、見えないエネルギーを、古代日本人は「神」と呼んだ。
生命を存在させようという大自然界の意思。その意思を「神」と日本人は呼ぶ。
ペニシリンを知って、私を生かしている、「神」に私は感謝と温かい、明るい気持ちになる。発展的、希望に満ちた気持ちになる。
そう、「神」は喜び、感謝、を表す、現に今ここに、そこに存在する。

神は魔に勝つ。魔は神にはかなわない。 生きるとは神の意志のそのものだ。
私たちが生きているのは、神の意思だ。”お前たち、しっかり生きるんだぞ。頑張れ、負けるな。生きるんだ。子孫をつなげ。発展しろ。成功しろ。豊かになれ。”
そういう、目には見えないエネルーギ―が充満していることを、私は感じる。

生命の謳歌
この世は神の創造物。破壊と創造。死と生。神とは生と意味し、魔とは死を意味する。神と魔、生と死は表裏一体で現に存在する事象。

イギリスは世界人類社会に最も良い功績を残している国だとペニシリンを知って思う。


現在、抗生物質はフレミングが発見したカビ由来のペニシリンをきっかけにして、さらに改良、改善され、第一世代、第二世代抗生物質と発展し、様々な抗生物質が開発されている。

私たちは体調が悪い時、歯が痛む時、病院や歯科医院に行く。そして薬が処方される。処方される薬の多くは、「抗生物質」だ。
抗生物質の働き、開発歴史を知った私は、その偉大性に感動する。

医師にアンケート調査が実施されたことがある。
最も人類に貢献した有益な薬剤は何か?
「抗生物質」が二位を大きく引き離して一位であったという。





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傘を買ってくれた銀行員

2014-04-06 15:04:28 | 日記


マニラは雨季に入ったようだ。 ここずーと1週間、曇り空、雨。
今日、大雨。 豪雨かと思えばおもむろ明るくなって、日が射してくる。
しばらくして、また雨。 熱帯地方独特の強い雨。 スコール。 しかし、不安な感情には襲われない。
日本で豪雨が来ると不安さがよぎるのとは対照的なマニラ。
マニラは暑いため、雨が来ると気温が下がり心地良い。

私は銀行にいた。
腰掛けて待っていると、ザザー、バタバタ、激しい音を立てながら雨が降ってきた。
止まない、~止まない、~雨。
帰るに帰れない。
待つ。待つ。待つ。一向に止まない雨。
私には傘がない。

豪雨はさらに激しさを増してきた。おやっ。窓から見える外の風景、道路の様子が変化してきた。
道路が冠水し出した。ドンドン水位が上がってくる。30cm。50cm.80cm....
ええっ? ナンですかこれは?と叫びたい心境。 
子供が飛び込んだ。水位は胸辺りに達している。 私は帰れるのか不安になってきた。
銀行内の様子はいたって平静。行員は黙々仕事をしている。電話で話している行員もいる。

内心はらはらしつつも、落ち着いた表情を無理に作り、
手持ちぶたさそうな守衛に声を掛ける。
「いつ止むんでしょうね、この雨」
「Don't worry,it will stop soon」
「私、傘がないんでね、帰れないんです」と言うと、
「No problem sir,wait」
と彼は、歩き出し、窓口の女性になにやら声を掛けている。 
ンっ?ナに?
女性は席を立ち、歩き出した。「ちょっと待ってください。傘を買ってきますから」 と私に声を掛け雨の中を出かけていった。 
”えっ、傘を買う?私のために?”。 ンっ

しばらくして帰ってきた彼女の手には傘が握られていた。服が濡れている。
”「Sir,here you have umbrella!」"
ありがとう。ありがとう。私はどんな表情を作ったらよいのか戸惑いながら、誠意いっぱい、礼を言おうと心は はせるのだが、言葉はうまく出てこず、ただ、目をギンギンさせて、Thank you!と言った。
傘代100ペソ渡す。

日本ではありえない出来事。 
~~~
傘をさして、私は外に出た! あっ、冠水しているのは銀行前50mくらいのみで、左右に目を投げると向こうには車が列を成していた。
銀行前の道路は土地が低くなっており、周囲の雨水がなだれ込み冠水していたのだった。車列はおとなしくきれいに並んで待っている。水が引くまで待っているのであろうかと思うと、可笑しさがこみ上げてくる。銀行内が平静だったのも理解できた、毎度のことだったのだ。

女性行員は冠水した道路の中、どうやって傘を買いに行ったか? それも外に出るとわかった。 山岳地帯を探検するとき絶壁に体を沿わせて進む場面がある。 まさにあれ。建物沿いに体を沿わせて、小さな足場を頼りに私はようやく冠水していない道路まで脱出できたのであった。都会で探検しているような心境になる。

フィリピンらしい出来事。

家に着くころ雨は止み、日が射してきた。オレンジ色の夕日がマンションを明るく照らし出している。
ほのぼのと、今日の出来事がよみがえる。さわやかな女性銀行員の顔、気を使ってくれたガードマン厳つい顔がよぎる。
今日はすがすがしい一日だった。
~ ありがとう。 ~.~





ケソン市トーマス通りでの出来事
本稿は2013年6月に初寄稿したもの。







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久々の日本帰国、浦島太郎

2014-02-26 11:39:38 | 日記
久しぶりの日本帰国
3年半、フィリピン、バンコク、上海と海外に滞在し、久しく帰っていなかった母国、日本に帰国した。
日本にいたころ当たり前であったことが、何も感じなかったことが、とても新鮮に見える。
なんて、日本は素晴らしいのだろう、日本はすごいと思うことを数多く発見する。浦島太郎になったような気分である。日本再発見。
日本へ観光で入国する外国人は数百万人を超えるといわれる。もっとも多いのが中国人、そして韓国人、インドネシア、マレーシア、米国、英国と続く。
彼らは、一様に日本に関心し、感嘆する。 ある高年イギリス人紳士は日本に来た印象をこう述べている。「私は未開の後進国から、未来の国に来たようだ」と。 彼は新幹線、都市交通機能、地下鉄、鉄道、インフラの進歩に驚いた様子である。 確かにそうだ。東京、大阪ほど都市交通機能が大規模に発達している国は、世界中、どこにもない。その規模においてまさに、日本は世界一である。
毎日当たり前のように電車を利用して勤務先に出勤、学校に登校する。関東だけでもその数1000万人を超える。世界から見ると、これはすごいことである。

フィリピンに長くいたが、フィリピンのインフラ、都市交通機能は日本より、100年遅れている印象だ。そもそも、フィリピン人に鉄道を作ろうという意識がない。 われわれはこれでいいのだ。といっているかのようだ。鉄道があれば30分で行けそうな距離を彼らは1時間半かけて時刻表もない、当てにできないバスで通勤している。たまに、停滞で数時間遅れることもある、すると、「今日は仕事できないね、休みだ、帰ろうか」。こんな調子である。

タイのバンコク、インドネシアのジャカルタは、フィリピンより進んでいる。日本を目標として国を挙げてインフラ整備に取り組んでいる。 中国は気候が日本と似通っているせいか、日本との共通項は多い。しかし、政治システムが日本とは多きく異なる。中国は日本に追いつき追い越せと、日本を非常に意識している。日本を超えることを目標としているようだ。中国はGDPで日本を追い越したといわれるが、一般民衆の生活ぶりを見ると、中国は日本より20年は遅れている印象だ。

日本はアジア一の豊かな国であるし、日本人はアジア一の富裕民族であることは疑いのない事実である。二位の中国、韓国をまだまだ大きく引き離している。日本の発展はアジア全土によい影響を与えている。

しかし、日本に帰ってなぜか私は落ち着かない。 食事はおいしい。日本食は実にうまい。 世界にない入浴の習慣。お風呂が楽しい。
四季が美しい。 交通が便利。どこでも電車、バスで行ける。 わが母国、アジアの雄、日本国。 
しかし、なぜか、私は落ち着かない自分を見出す。電車に乗る。前の人、前に立っている人の表情は暗い。きちんと時間通りに会社に行かなければならない。豊かだが、何かに縛られている。本当の意味での自由のない民族、日本人。そんな印象を持つ。日本人は幸せだろうか?幸せ指数を数字で表すことが出来たら、日本はアジア諸国になかでは点数は低くなるかも知れない。 豊かさとはなんだろう? それは、人生は楽しいと味わえるかどうかではないだろうか。物質的にはもちろん、見えない心の豊かさを、日本人は忘れている、そんなことを思う。

私は東京、八王子に住んでいる。多くの家が建っている。家、家、家、しかし人の気配を感じない。 まるで、ゴーストタウンの印象を感じる。
各家にはそれぞれの生活があるのだろう。なぜか、母国日本にいると寂しく感じる。

日本は何か大切なものを忘れてしまったように思う。 それは人の絆。 アジアは貧しい。フィリピン、インドネシア、バンコク。かの国は音、喧騒、人の生活臭を感じる。

昭和のころ、日本が貧しかったころ。そのころ、町には子供があふれていた。公園にはいつも子供がいた。家族の絆。人と人との絆は強かった。

今、豊かな日本。アジア一の富裕国日本。この国では人の絆が希薄になってしまったような印象を持つ。

私は本当に、浦島太郎になってしまったのだろうか。





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私の自伝-振り回された過去

2013-11-26 06:16:07 | 日記

自伝
私は誰?

ブログエッセイ著者、私の写真は35歳当時のころ撮影された。 当時はまだ両親も健在で親と一緒に暮らしていたせいか表情も穏やかだなと思う。 しかし、、もう、今は親はいない。
私が生まれたのは大阪府東大阪市瓜生堂1丁目。当時、私の家は土地面積100坪、約1000へ―ベー、江戸時代に建てられた大きな茅ふきの家。離れの家、蔵、もあった。祖先は庄屋。庄屋とは大規模な土地を所有して事業をなすものを指す。庭園には池があり、鯉が泳いでいた。井戸もあり、桜、柿、夏ミカン、など樹木も豊富。女中さんもいた。こういう家の長男として私は生まれた。
当時は貧しい家が多かったなか、私は恵まれた富裕な少年時代を過ごした。両親は5人子供をもった。うち二人は幼少で亡くなり、3人の男の子が育った。

人から羨望のまなざしで見られていたのだろうこの私の実家。しかし、今になってわかるのだか、実は恐るべし因縁を背負っていた家だったのだ。
庄屋さんだったというこの家、昭和初期の頃、子孫が絶えてしまって絶家となった家だったのである。 子孫がすべて絶えてしまったこの家には誰もいなくなった。そこへ、私の父一族がこの家に養子として入った。父がこの家に入ったのは父が10歳の時だ。父の父、祖父は土地の名士とされ、当時の花形職、皇居警護の近衛師団に選抜された。馬にまたがり礼装した祖父の写真が仏間に飾られていたのが子供心ながら印象的だった。土地では知らぬ人はいない程有名な家である。
父には兄弟が多い。父に聞いたことがある。「お父さんは兄弟何人いるの?」父の答えが印象的だ。「さー何人かな?10人以上はいるな」と。父は兄弟が多すぎて自分の兄弟が何人いるかもわからない。大正、昭和初期の頃は産めよ増やせえよの国の政策なのか、とにかく子供が多かった。

この広大な土地、家、家財、今はどうなったか。全部なくなった。父は無一文となって死んだ。脳溢血だった。発症して4時間後に治療甲斐なく死亡した。
父はこの土地で事業を始めて失敗、すべての土地財産を失いこの世を去った。ただでもらった財産ほど怖いものはないと私は思う。絶家となった家にはそれなりの理由があったに違いない。絶家となった家に入った一族にも当然負の影響を受け継ぐ。
私の弟は国会議員の秘書をしていた。国会議員の秘書になれたのも、家の羽振りがよく土地では良く知られていたからだろう。弟は得意の絶頂にいた。秘書勤続10年後、彼は東大阪市市議会選挙に立候補した。選挙活動は並々ならないほど盛大で、土地の有識者ほとんどが応援した。トップ当選するだろうと予想された。

しかし、彼は落選。秘書職を辞めたあとの彼は落ちぶれた。彼には子供がなく、妻側から疎まれ離婚した。
一番下の弟は、勉強が嫌いで、運送会社に入った。彼は頭角を現し,取締役部長までなったが、家庭には恵まれず離婚した。
そして、私自信、私はごく普通の職業につき、普通の家庭を持ちたいと熱望したが、全うな結婚生活もさせてもらえず、離婚。私には女の子ができたが、5歳の時に別れ、子供は私から去っていった。
この家で生まれ育った男の子3人は全員離婚し子供はない。絶家となるだろう。
単なる偶然ではない。明らかに家の負の遺産を引き継いでいる。3人はそれぞれ努力し、だれも離婚など望んでいない。みな、平和な家庭を望んだし、成功しようと頑張った。

祖先を調べようと思った。市役所で除籍謄本を取り寄せ調べてみた。大勢の名前がある。多くは若くして亡くなっている。子供の死亡率が高い。時代の背景か、平均寿命は短い。 祖先は子供多いが多くの子供は若くして亡くなっていた。死亡年齢、3歳、1歳、4歳の数字が目に留まる。
子供の頃霊夢をよく見た。 霊夢。 5歳くらいの頃だったであろうか、私はまだ良く覚えている。目を閉じると、暗闇の中に人の顔が見える。一人、二人ではない、大勢だ。顔の後に違う顔。その顔いずれも全うではない、苦しんでいる、怒っている、悶えている。5歳の子供はいつも泣いていた。母は意味なく泣き続ける子供をいぶかっていた。
純粋な子供の脳には家にまつわる負のエネルギーが見える。その霊夢は私の人生を予言していた。霊夢で見た通りの悲惨な人生を自分は歩むことになった。

果たして、人の人生、生き様は、生まれてきた家に大きく影響される。人はだれでも成功したい、発展したい、豊かになりたい、良い会社に入りたい、良い結婚をしたい、良い大学に行きたい、いい家に住みたい、子供と共に生活したい、と、当たり前の、当然な思いがあり、この思いが実現するよう、考え、行動を起こす。 しかし、この行動を妨害し、潰そうとするエネルギーもまた、同時に存在する。 明らかに正のエネルギーと負のエネルギーは同時に存在する。

人はこの世に生を受ける。子供はすくすく成長しようとする、生きようとする、良い学校に入ろう、良い職業に就こう、良い結婚をしよう、財産を築こう、家を建てよう、と思いを抱き、実現しようと行動をする。これは正のエネルギー。しかし、これを妬み、疎み、邪魔しよう、潰そう、壊そうとする、負のエネルギーもまた、同時にこの世には存在するのも現実。それは人の目には認知できない異次元の作用。

人がこの世に生を受け、全うな人生を歩もうとすれば、真っ先やらねばならない重要なことは、負のエネルギーを遮断することである、と私は学んだ。

正のエネルギーとは「神の働き」、負のエネルギーとは「魔の働き」、こう表現することができる。 神と魔はいつも表裏一体で存在する。
火を燃やせば必然的に煙(煤)が発生するように、「神」が存在するところ、「魔」 もまた発生する。この現象は自然界の法則といえる。
神の思いと働きは、産もう、造ろう、育てよう、発展させよう、成功させよう、である。
魔の思いと働きは、神が作ったものを破壊しよう、壊そう、邪魔しよう、潰そう、である。

この世の世界、「存在」には、「意思」、「想い」がある。 その意思を我々日本人は「神」と呼んだ。 

神と魔
神あるところの同時に魔も同時にある。神はこの宇宙を作り、地球を作り、人間を作った。 神の仕事は創造すること。 魔もまた神の産物。魔は神から生まれた。 神は全ての自分が生んだ子供を愛する。子供はみな神から愛されたいと思う。

悪魔も元は神が生んだ子供、天使だった。
神は漂う何もない宇宙に創造する思いを込めた。日本古典によれば、宇宙の創造神は「天の御中主の神」。天の御中主の神は多くの神を産んだ。天照大御神、月読の神、スサノオの尊、水は目の神、雲の神、土の神。 神の仕事とは産むこと、作ること、成功させること。それぞれの神の子供は神から授かった使命を持つ。天照大御神は太陽を司る。光、熱、すべての生命に命のエネルギーを放射する。月読みの尊は月を司る。海の満ち引き潮を司り、気候の変化を産む。
神の仕事とは産もう、育てよう、造ろう、成功させようである。 我々一般人間の思いと同じ。 我々一般人の思いは、会社を発展させよう、国を豊かにしよう、財を作ろう、成功しよう、家を建てよう、大学に入ろう、結婚しよう、この思いは神の思いと同じである。
神とは創造すること、成功すること、発展すること、とイコールである。神は不可視のエネルギーであり、明白に自然界、人間界を支配し、存在している。 神が存在するからからこそ、私、あなた、彼、彼女の存在がある。「存在」とは「神」を意味する。

魔と凶事
人間界で起こる凶事の多くには「魔」が絡んでいる。魔の思いは、もっと不幸になれ、もっと苦しめ、やっつけろ、と常に人の不幸を企んでいる。魔は人の成功、幸福がたまらなく苦痛なのだ。

神の仕事とは
神の本来の仕事とは、「創造しよう」、「産もう」、「育てよう」、「造ろう」、であるから魔を破壊しようという仕事にはあまり積極的でない。したがって、人間は自分で魔から防御しなければならない。

創造的破壊と非創造的破壊
創造的破壊とは神の仕事の一部である。最初から完全なもの、完成されたものはない。作っては壊し、創造しては破壊することによって「学び」「成長」する。創造的破壊は神の領域である。しかし、同じ過ち、失敗、学ばない破壊、破壊が目的の破壊は魔の司る非創造的破壊である。人間の生まれた目的は、成長すること、理想社会を作ることである。しかし、実際はほど遠い。これは、すなわち魔が人間に多く関与していることを意味する。

アスファルトの花
信号が青に変わった。さー渡ろうとしたとき、ふと、アスファルトの道端に花が咲いているのに気がついた。
砂埃が堆積した道端に小さな小さな一輪の花が花びらを咲かせていた。花びらの大きさ約8mm。花はピンク色。誰も見向きもしない。誰も関心を持たない道端に咲いた一輪の花。よくよく観察すると、とても可憐で芸術的な美しさがある。人が作った美ではない。大自然界が作った美である。決して偶然にこの美は生まれない。そこには、確かに、意思、想い、がある。美しく花を咲かせよう、という意思があるに違いない。花を咲かせようという想いがなければ花は存在しない。絶妙な大自然界の想いが働いている。 大自然界は生命を産み、育む。生を産み、生を謳歌することが大自然界の目的である。

この世に存在する意思ある大自然界。 
この小さな小さな花、これを作ったのはだれか、大自然界である。この大自然界を古代日本人は、「神」と呼んだ。 その感性により、システム化されたものを日本神道をという。
この小さな花は教えてくれた。私の産みの親は「神様」です。----人間も同じではないか。 この小さな花と人間は兄弟だ。






命は美しい。


神は美だ。存在は美しい。生命は喜びだ。生きることは楽しい。神=美=存在=喜び=謳歌=成功











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