今日は。
大内氏の妙見信仰についてお話しします。
神社の中でよく言われる、北極星の神として天御中主神が神格化されたのは、それこそ江戸末期の国学が隆盛する中で均整された話であり、熊野の妙見信仰も明治の神仏分離令まで修験道の中心には仏像や般若心経がありました。
鷲頭寺は妙見信仰の中心ですが、立地場所が変わっています。
かつての鷲頭寺は修験道の様な格好をして、鷲巣山を仰いで、上社に焔火を灯すという山岳信仰にちかいものだった言われています。
神社神道の本宗である伊勢は太陽信仰(アマテラス)をお祭りしていますね。
そして太陽の光のセンサーである、金星の天津甕星、そしてお月様である月読命。
数多くある星の神として最も強いのは太陽と月だと思います。
「ねうしとらう」は道教の世界観ですね。
争いがなくなり、星占いが盛んになった平安時代。
これを仏教に形を変えて広めたのが空海、神道に形を変えて広めたのが安倍晴明です。
大陸に渡って学んだ占星術が我が国で厄払いの信仰などで広まりました。
彼らが日本人の星空にもつイメージに革命をもたらしたといえます。
空海なんて名前からして、世界観がロマンチックで壮大ですね^_^
ところで世界の最初の北極星信仰は古代バビロニア王国まで遡るらしいです。
そう言えば、隣国のエジプトは太陽神ラーを信仰していました。
末期にはバビロニアが台頭してきた影響で妙見信仰も盛んになりましたが。
流石に其処まで調べるのは大変なので、今回は世界中に広まった太陽信仰と北極星信仰が日本の寺社仏閣にあって、
その神話が形を変えて下松市にあるということが分かっていただけたらと思います。
しかもかなり古い時期に。
うーん、すごい。