Motofukuの下松(くだまつ)考察ブログ

山口県にある下松市について考察します

ザ・モール周南

2015-12-15 09:14:27 | 施設
「ザ・モール周南」とありますが、浦安市にある東京ディズニーランドのように実際には下松市潮音町ににあります。

20年ほど前にショッピングモール、ザ・モール周南が招致され、その成功例をモデルケースとして、二年後にはミスターMax、サンリブと大型店が続けて下松市に建てられました。

買い物がしやすくなり、住人が下松に向かうきっかけになったのを覚えています。

ザ・モール周南はくだまつ文化会館と並立されています。
以前はもっと遅くまで開店していましたが、未成年の配慮らしいです。。。
下松市は全体的にシャッターが閉まるのがはやいです。

改装されて出来たムービックス周南(映画館)、こちらでナイトシアターを見れば11時あたりまで楽しめますよ。

また今年の秋に店舗が大幅リニューアルしたそうです。

行ったことない人は是非。

末武村の猿川

2015-12-10 20:55:56 | 歴史
来年の干支に関連してちょっと申に関連する話題。

末武の猿川について、古くから上流から猿が流れてきたので猿川(申川)になったという伝説があります。

末武上地に「古所」(こそ)の地名があるが、これは猿振の振に古い丘があることからきており、高橋に「蓼原」の地名があるのは千代次の茅の沢山生えている地から関連があるのではないでしょうか。

高橋は遠石八幡宮の氏子ですが、明治以前は花岡八幡宮が高橋の氏子を収めていたようです。

遠石に移ったのは花岡八幡宮の末寺(閼伽井坊など)が明治に入って廃寺、縮小した影響でしょう。



歌から見る下松のルーツ

2015-12-01 11:23:33 | 歴史
下松市の地名については百済津という説と、北辰妙見信仰の伝説によるものがあることはすでに説明しました。

それとは別に確実な資料が残っているものとして、下松という地名が残っている由来が別の時代に存在します。

足利時代の武将として今川貞世という人が、紀行文「道ゆきぶり」の貞世が住吉神社に詣でて、霊験を讃える条文の間に

此歌のこゝろは、今年九月に豊後の高崎の城より、宗久といふ僧此方にわたり侍らんとて、船に乗りはべりながら、順風なかりける夜の夢に、よはひ八十ばかりの翁の、かみひげ白きが、烏帽子に浄衣きたる一人出来て、左の袖をひろげで、これに乗て、船出せよといひて、外をうちふり給ひければ、をひ風吹きてこなたにわたりぬとおぼえけるを、夢心地に住吉の大明神よと思ひて侍るに、やがて其暁風よくなりぬとて舟いでて、日のうちに周防の「くた松」というところにつきぬとかたられし事を、ふと思い出して侍りしほどに、この歌もその心をかたむけてよめるなり

とあります。これは貞世が鎮西探題として九州に下向した時につけられたもので、これが「くた松」の初見であると考えられます。

時代としては降星伝説よりも「くた松」が後になるのですが、そもそも大和言葉は濁音を使わない傾向があります。
ですのでこっちが本当の由来ではないかという人もいます。
その証拠に明治の神仏分離の際、妙見社の記録にも降松神社は「くたまつ」という表記があったようです。

ですが、町おこしには「くたっとした松」よりも「星降る街」の方がいいわけで、、、(笑)
この話を知る人は下松市にはほとんどいません。