Motofukuの下松(くだまつ)考察ブログ

山口県にある下松市について考察します

下松市についての由来

2016-02-05 20:43:17 | 歴史
下松の地名については古来より「鷲巣山旧記」の皇星降臨説と、百済との交易による百済津説、今川貞世の「道ゆきふり」等にある湿地の松を意味する「クタマツ」より転化した説などあります。

北辰妙見伝説は金輪神社にありますが、推古天皇の御代には海に沈んでますのでそのまま文献通り捉えるのは難しいでしょう。

大内氏の時代に妙見伝説を周防一帯に持ってきて支配を正当化させたのでしょう。
当時の日本人にはそのような発想はありません。(第一人者の空海は新羅人と言われています)
海外との貿易にも多言語を要するため、自称するだけではなく実際に大内氏は混血か大陸系だと言われています。

はじめは「クタマツ」だったのが、空海伝説が広まり、平安時代に入り安倍清明が陰陽道で星祭を行うようになり、その後大内氏が信仰した一帯の妙見伝説に影響しました。

船乗りは向かう方角が肝心ですので、夜にも向きが変わらない明かりが見える必要があります。
そのため北極星信仰が根付くようになりました。
大内氏が妙見信仰だったのは夜に明かりが必要な交易船に乗っていたためでしょう。
農耕民族が昼間に太陽の天照大神を崇める感覚とは真逆で、
大陸から来た騎馬民族(大内氏)は夜中に北極星の天之御中主神を崇めるようになります。