プチ早期退職者の資産運用+αブログ

りんごのお歳暮と資産運用とは無縁の父(思い出話)

 今日の話は、子供の頃に届いていたりんごのお歳暮と父の貯蓄感覚に関わる思い出話です。


木箱入りのりんごのお歳暮

 もう50年以上前、私が幼稚園児だった頃、年末には木箱に入ったりんごのお歳暮が届いていた。りんご箱は、日本が貧しかった頃を描いたドラマ等で子供が勉強机代わりに使っていたりするので、それで見覚えがある人もいるかもしれない最近では、頑丈な作りと優しい木のぬくもりがクローズアップされ、りんご箱のリメイクが話題になっているらしい。





 細かな記憶はほぼないが、りんご箱にはもみ殻に埋まった赤いりんごが何段か入っていて、そこから堀り出すのが楽しかった。

 そのお歳暮を贈ってきていたのは洋服屋だった、と大きくなってから母から聞いた。父が着もしない高価なスーツやコートを何着も誂えていたからだ、と不満そうに言っていた。父は自営業で、仕事柄スーツなどは必要なかった。ジャケットを着ていたのは家族でデパート出かけた時ぐらいで、記憶をたどってもネクタイを締めた父のスーツ姿など思い出せない。


資産運用を考えもしなかった

 当時の我が家の金回りがよかった記憶はない。幼稚園児の頃、住んでいたのは狭い借家だった。一度引っ越して少し広くなったが、やはり借家だった。父の仕事場も何度か変わったが、ずっと借りていた。限定的なお得意さんを相手に細々と仕事を続けていた。私が小学校低学年の頃までは人を雇っていたが、やがて自分一人なっていた。私が小学生の頃には母は内職を始めていて、中学生の頃にはパートに出るようになっていた。

 父は誠実に仕事をしていたと思うが、お金があれば使ってしまうタイプで、節約して貯金に励むことはなかった。ましてや家を買うとか、資産運用は考えもしなかった(何一つしてなかった)。だから、少し金回りが良かった頃でも着もしない服をたくさん誂えたりしつつ、ずっと借家住まいでも何とも思ってなかったようだ。

 昔、戦後の厳しい時代を生き抜いてきた庶民にはそういう感覚の人が多かったのかもしれない。また、私が社会人になってから資産運用に興味を持って色々やったのは、そんな父を反面教師として意識していたからなのかもしれない。



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