心地よい晴天の下、妻と子どもと何気なく散歩、ボール遊び。これほど当たり前の幸せを感じたことがあっただろうか。振り返ってみれば、ここ半年はこの当たり前の幸せすら実感することができなかった。子どもの甘えた泣き声、妻のたわいな世間話。全てを受け入れる余裕が無かった。昨日一つの事を決心したとき、それを受け入れる余裕ができた。
世間からすれば非常識とも取れる行動かもしれない。
今後の大きな舵取りを迫られるときがきた。専門性を追い求め、外枠から看護全体の矛盾を是正する。これが本来、私の追い求めてきたものかもしれない。
給与に見合わない過酷な勤務、まだまだ女性の世界。そこに一歩踏み込んだとき、奴隷的な気分にもなった。一生懸命理解しようとした。馴染もうともした。しかし、
何故疑問におもわない。
何故動かない。
このような疑問だけは、心裏から消える事は無かった。これは、女性が多いが故の問題か。精神科では男性が多いが故の問題もあろう。精神科と他科はこの区別が潜在的にあるとも感じた。一見浅はかな疑問とも取れよう。面白半分に今後の経過を見ていてくれればいい。世間の看護職のあり方は、私の職業看護師としてのあり方とは、あまりにも違いすぎる。一人の力では難しいかもしれないが、ロングスパンでは現実的なビジョンがある。まずは行動を起こす事からはじめなくてはならない。新しいことをするには、最初は何でも批判から始まる。覚悟して動かなければならない。
まずは家族があっての私。そこに気付いたとき、迷いは無くなった。
精神科
それは私の原点。拙著「精神科看護師、謀反」で私が述べていた専門性のあり方にずれは無かった。日本の精神科を必ず変える。そして、日本の看護を大きく変える。批判していた方々にもいつか理解を得られる日が来ることを信じて私は動き続ける。
最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!
最後までご閲覧いただきありがとうございます。ここで宣伝。私の書いた本「精神科看護師、謀反」も一人5冊ずつ買うべし。
面白くなかったらごめんね。よろしく。
世間からすれば非常識とも取れる行動かもしれない。
今後の大きな舵取りを迫られるときがきた。専門性を追い求め、外枠から看護全体の矛盾を是正する。これが本来、私の追い求めてきたものかもしれない。
給与に見合わない過酷な勤務、まだまだ女性の世界。そこに一歩踏み込んだとき、奴隷的な気分にもなった。一生懸命理解しようとした。馴染もうともした。しかし、
何故疑問におもわない。
何故動かない。
このような疑問だけは、心裏から消える事は無かった。これは、女性が多いが故の問題か。精神科では男性が多いが故の問題もあろう。精神科と他科はこの区別が潜在的にあるとも感じた。一見浅はかな疑問とも取れよう。面白半分に今後の経過を見ていてくれればいい。世間の看護職のあり方は、私の職業看護師としてのあり方とは、あまりにも違いすぎる。一人の力では難しいかもしれないが、ロングスパンでは現実的なビジョンがある。まずは行動を起こす事からはじめなくてはならない。新しいことをするには、最初は何でも批判から始まる。覚悟して動かなければならない。
まずは家族があっての私。そこに気付いたとき、迷いは無くなった。
精神科
それは私の原点。拙著「精神科看護師、謀反」で私が述べていた専門性のあり方にずれは無かった。日本の精神科を必ず変える。そして、日本の看護を大きく変える。批判していた方々にもいつか理解を得られる日が来ることを信じて私は動き続ける。
最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!
最後までご閲覧いただきありがとうございます。ここで宣伝。私の書いた本「精神科看護師、謀反」も一人5冊ずつ買うべし。
面白くなかったらごめんね。よろしく。
精神科の構造改革は私としては嬉しいですけど、まだまだ周りの力を集めなくてはいけませんね。
また宣伝活動でもしましょうか?
精神科看護に対する思い→どことなく自分が思っていることと、一緒のような考えかなと...
あいにく自分は語学力がなく自身の思いをうまく伝えれなくて、汗。こつこつと現場で頑張っていきます。
今後、意見交換などよろしくお願いしますね。
ありがとうございます。私もたいした表現力はありませんが、活字という媒体も利用しながら主張していきたいとおもっております。。
本来なら、日精看の長崎大会で、渦中のある人ががシンポジウムにでるという事でしたので、直接具体的な質問をしようとおもっていたのですが、一旦精神科を離れたので、今回は参加できません。次回の大会では私がどこかで出現するかも知れません。変えようとするものはいつも批判されるものです。改革者も批判されるものです。そこで如何に潰されないように協調性を持って取り組んでいくか。これが私の課題となりそうです。かの孫正義氏やカルロスゴーン氏もその手法に批判が飛び交っていた時期を知っております。北尾義孝氏のように毎朝おきて瞑想するのもひとつの自分を高める方法だとおもいます。
私には何が合っているのか、模索の日々です。
今後ともよろしくお願いいたします。謀反の宣伝もよろしくです。
調停の最大の争点は、家内が高知市の健康づくり課に私の通帳のコピーを提出させられたことにあります。家内はかつて政令都市で法律専門職でしたが、私名義の通帳のコピーを提出してしまいました。普段の彼女の行状からすれば、信じられない行動です。このように精神障害者の家族は絶対的な強者である行政に対しては全く無力です。行政は障害者自立支援法を機会にして、私たち精神障害者を目で見えない檻に再び閉じ込めようとしています。
行政は障害者自立支援法施行に際し、個人情報データーを意図的に収集し、データーベース化するな
障害者自立支援法の申請を機会として、行政は障害者の個人情報を集めて障害者の個人情報データーを収集し、データーベース化しようとしている気がします。高知市の健康づくりは私の同意を得てないのにも拘わらず、家内に私名義の通帳のコピーを提出させ、私の通帳を閲覧しました。私は健康づくり課の本人の同意を得ない個人情報収集は個人情報保護違反であり、私のプライバシー権を著しく侵害していると、高知市の健康づくり課、個人情報センターに電話で抗議しましたが、電話を一方的に切られました。このようなケースは私だけではないようですので、高知簡易裁判所に調停を申し立てました。現在調停の場で話し合うことになっていますが、健康の人間でさえも担いきれないような重荷を障害者に負わす行政に怒りを覚えます。
それより日精看の長崎大会←ドキッとさせられちゃいました、汗・汗。
結局、新しい記事に書きましたとおり、外科にとどまる事になりました。私も一人の人間。いつまで続くかわかりませんが、一度踏ん張ってみるのも精神を鍛える意味でよいのかとも思いました。
そして、今後しばらくは精神科の学会などに参加する意思はありませんでしたが、今回の踏みとどまった事をきっかけに、精神科学会のほうにも意欲的に参加する意思が固まりました。どこかでお会いするかも・・・ですよね。
場は違えど、同じ看護を提供するものですよ
もっさんとは機会がありましたら是非会ってお話したい人物の一人ですので、いつかお会いできることを楽しみにしてますね。